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今年の夏は涼しさを通り越して寒い   (2001年8月20日)

 今日もすごく良い天気で星空がやたらにきれいである。先日は欠けた月から出てくる木星を見て(木星食)感激したのであるが、今日もまた東の空に一際大きく輝く木星と金星であろうかを眺めながら鶏の水桶を洗っている。

 今年の夏は暑いと思うような日は殆ど無く、朝晩は涼しく爽やかな日が多かった。今朝は半袖に薄い作業着では涼しさを通り越して寒い位である。温度計を見たら12℃である、もう夏が過ぎたことを実感する朝である。

 星空も木星の下の方にオリオンの三ツ星が山の稜線から顔を出している。オリオンは真冬の星で、今朝の寒さに相応しい。夜が明けていく空の色は丁度プラネタリュウムを見ているようである。

 ねぶただ、よされ踊りだ、花火だと夏の行事も終わった。どの行事も例年の賑わいを見せただろうか、生ゴミを扱う限りでは、不景気の波にさらされている感じがするのである。

 収穫の秋を控えて稲は生育が良いようだが、米余りでは出来れば出来るほど安値に叩かれる事は必至である。我が家の田圃は、りんご園の忙しさに振り回されている間に雑草がびっしり生えて稲の生育が頗る悪いから、多収より減収で幻滅の悲哀を感じることになりそうである。

 りんごは土作りをして美味しいりんごを作るようでないと他県より有利になることは出来ない。この上台風でも来て落とされてしまったら、今年は無収入を余儀なくされるのである。さて俄百姓の運命や如何に。




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雪渓を行く「日本カモシカ」に遭遇

北八甲田山系の井戸岳噴火口にある雪渓を行く「日本カモシカ」

Nihonkamoshika

この日は八甲田へ「イワブクロ」がそろそろ開花する頃との情報を頂いたので、とうしても「イワブクロ」の花の写真を写したいと登ったのですが、幸運にもちょうど「イワブクロ」の花の写真を撮っていたレンズを通して向こうを覗いたらいるではありませんか、ゆっくりとゆっくりと雪渓の上を歩く「日本カモシカ」の姿が噴火口を横切るように歩いている姿が見えました。

これはすご~~い。

なかなかこんなシーンに出くわす事は、、、ありませんねぇ。

この後雪渓を越えて岩陰へ見えなくなりました。






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生ゴミ堆肥の作業場にハエが少ない   (2001年8月10日)

 7月未に蒸し暑い日が2~3日続いた際に、大きな黒いハエがわんさと押し寄せてきた。それが作業場の周囲で生まれたものか、遠くから飛んできたものかは分からないがとにかく大変な数であった。

 ハエ叩きで50匹位も叩き落とすと少しは少なくなるが、しばらくすると又増えてくるのである。この先ハエとの戦いが激しくなるのではないかと憂欝になっていたのであるが、8月に入ってからはカラッとして涼しい日が続き、あの汚らしいハエが飛んでこなくなってしまった。

 どうしたことだろうか、普段注意深く観察していれば何処にウジがわいて、何故発生しなくなったのか分かるようなものだが、ハエが出れば叩き殺すだけでそんなことまで良く分っていないのである。

 それにしても蒸し暑くなれば多少はハエが飛んでくるけれども、今年はこれまでのようにハエ叩きが5~6本も壊れるほどハエが多くないようである。有り難い話しである。

 7月13日に五戸の畜産試験場から雛を買ってきた。クロスブラウンが100羽・コーチンが20羽・ロードが20羽、いずれも60日雛だから鳩位体が大きくて押し潰されて死ぬようなことは余りない。

 鶏を始めた頃は雛を買ってくれば一割や二割は死んでしまったものだが、だんだん死ぬ鶏も少なくなって今では殆ど死ぬようなことはない。

 2~3日もすれば今まで住んでいた先輩の鶏達を押し退けて餌を食うくらい元気になるのである。前にどうして雛が死んだのか、今はどうして元気で居れるのか不思議に思うのである。鶏舎の住心地が良くなったのかもしれない、そういえばダニの発生も殆どないようである。

 ダニ等が沢山発生するようなことは、虫の世界で自然のバランスが崩れるためではないだろうか。ダニの天敵も居る筈でそれらが適当に住んでいれば、ある種のものが異常発生するようなことはないと思うのである。

 田や畑の作物に害虫防除の薬剤を散布すれば、害虫も殺すだろうけれどもそれらの天敵の虫も殺してしまうのである。そして農薬に頼らなければならない農業になってきたわけである。

 そこで農薬に頼らない農業を始めようと努力する人が何人か現われたようである。理屈としては害虫もその天敵の虫も適当に増えて、バランスがとれたときには虫の害も少なくて済むわけである。

 ところが人間が自然をゆがめてそのバランスを崩してしまっているのである。

 今さら急にその自然のバランスを取り戻そうとしてもそうはいかない。農薬に追い詰められてきた害虫が俄に発生することは間違いない。そしてその害虫を押さえる天敵が増えるには相当な時間がかかるようである。

 健康を増進する農業では自然を取り戻す大変な実践をした人達の研究に学んで、自然のバランスを回復する所にいくらかでも近付けていく必要があると思っているのである。

 考えてみれば作物に農薬を散布することだけではなくて、畜産も又自然の恩恵を受けるような工夫が必要なことと思えてくるのである。自然を壊さないような方向の研究が大分遅れているように思うのである。




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甲子園出場青森県代表は光星学院と決まりました

今年(2012年秋)の甲子園出場青森県代表は光星学院と決まりました。

全国高校野球選手権青森大会の青森県代表を決める大事な試合が7月26日、青森市営球場で決勝戦を行い、光星学院が聖愛高校を5-3で下して2年連続6回目の優勝を果たした。

青森県の高校野球史上初の春夏通算4大会連続で甲子園の出場を決めました。

でも、私は津軽の人間なので、地元選手が頑張った弘前のミッションスクール「聖愛高校」に勝ってほしかった。

やはり、外人選手を集めた「光星学院」には力及ばなかったですねぇ。

8回表までは3対3の互角の戦いだったのに、その裏に2点本塁打を打たれてしまい、とても残念です。

「聖愛高校」の選手たちにエールを送りたいと思います。

高校生たちにとってはこれが最後のチャンスと思って頑張って来ましたが、この頑張りを是非後輩たちに引き継いでもらって、次の甲子園春季大会へ向けて精進して貰いたいものです。




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畑の高田豊後を使って梅干しを作る   (2001年7月28日)

 母は丹念に梅干しを作る質であったから梅には興味があって裏の畑に3本の梅の木が植えてある。一番先に植えたのが梅干し用の大きな実の成る木である。ところがその木には油虫や貝殻虫がいっぱい着き、葉が縮んでろくに良い実が成ったことがないのである。

 妻は母から伝えられた梅干しの作り方がやたらに面倒臭いためか、梅が少しでも多く成るともう沢山だといって顔をしかめるのである。

 今年は妻が手を掛けられないことを梅の木が知っているかのように、葉もぴんとして大きな梅の実が何時になく沢山成ったのである。

 私はなんとかして梅干しを作ってみようと思ったのである。倅夫婦はりんごで忙しく、とても手伝える状況でない。しかたなしに一人で梅の実を落として、本を見ながら梅干し作りに挑戦することになった。

 梅干しは何時も青いうちにつけこむから、7月7日に実を落として水に入れてあくぬきをした。夕方焼き塩を作って漬けこんだ。しその葉は毎年裏の畑に生えてくるから300枚ばかり取って漬けた梅の上にのせておいた。

 3日目には水が上がってきたので、梅の種を取りのぞく作業をする。これは思ったより旨くいった。

 梅が少し熟せば味が良くなると言うので、毎日見ていたら梅の実が白っぽくなってきたので7月11日に残りの実を殆ど落とした。これは少し量も多くて16キログラムくらいあった。これも水に入れてあくぬきをして、焼塩20%振りかけて漬け込んだ。

 この日は小さくて香りが良い白加賀も落として、梅酒と梅酢としてビンに詰めた。11日に取り入れた梅の実をますげで叩いて種を取り、土用干しが出来るように準備をした。奥手の高田豊後も大分大きくなったので七月十五日に落としてしまった。

 これは面倒臭いから種を取らずに丸漬けにする心算であったので、本に書いてあったように松の葉っぱも入れて漬けてみた。

 土用干しは7月18日から始まる。作業場から帰ってからざるに広げて干すのだから、日にちを多くしなければならないだろう。天気の良くない日もあったので、25日にはどうやら乾いた感じになった。

 それから7日と11日に取り入れた分の紫蘇の葉包みを始める、生まれて始めてやる仕事である。何ともお粗末で葉っぱから実がはみ出して、妻が作った梅干しとは全く違う代物である。

 15日に取り入れた高田豊後は本で読んだとおり、これから3日間夜露に当てるのである。

 梅干しは究極の健康食品として詳しく一冊の本に紹介されている。血をきれいにするというから、ガンなどにも効くと思うのである。幸いに孫達が喜んで食べてくれるので、作るのに張り合いがある。

 15日の高田豊後を取り入れた頃には、ジャンボの梅の実は黄色く色付いていて、高田豊後と一緒に漬けたのであるが実がどろどろに溶けて種ばかりが残った。11日に取り入れた実も溶ける手前で、葉っぱに包むには餅のように丸めてやったので、梅干しと言えるものかどうか疑問である。悪戦苦闘して瓶に3つも出来たのであるが、出来上がりが拙くて全部生ゴミになってしまうかも知れない。一人で取り組んだ健康食品第一巻の終わりである。




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青森カシスについて

青森カシスについて

ここ数日矢継ぎ早にメジャーリーグの話題が世間を賑わしている。(2012/7/26)
シアトル・マリナーズのイチロー、ニューヨーク・ヤンキースへ電撃移籍。
ゴジラ松井こと、レイズの松井秀喜外野手はどうなるのだろう? 気になる「戦力外通告」後のこれから、、、。

それはともあれ、今回は青森カシスについて書いてみる。

青森カシスの栽培は青森市を中心に旧浪岡町、黒石市等で栽培が盛んで、現在は青森県が「りんご」の日本一であるのと同じように「カシス」も「日本一の生産量」を誇っています。

特に青森県の初夏(5月から6月)に冷涼な気候で朝方霧が発生しやすく、カシスの栽培に適していると言われています。

カシスは熟すと実が黒くなるため日本名が「黒房すぐり」とも言われています。

原産地はヨーロッパの中でも特に北欧等の冷涼な地方に古くから多く栽培されてきました。

青森県内の収穫時期は平年7月上旬ですが、今年は天候の影響で7月中旬に収穫されました。

収穫したカシスはそのままではすぐに腐敗してしまう性質があるので、とにかく収穫したら数日以内に加工してしまわないといけません。冷凍してしまえばokですが。

一般には「カシスジャム」、「カシスティー」、お菓子に混ぜて酸味と香が楽しめる工夫がなされています。
中でも青森市内の製菓会社「はとや製菓」はその開発に力を入れており、数多くの加工食品、お菓子を製造して全国へ販売しています。

県内のおみやげ品コーナーで人気があります。

カシスはビタミンC、ビタミンE、マグネシュウム、鉄分などのミネラルを多く含むほか、最も注目されている成分としてポリフェノールの中でも「アントシアニン」の含有量が多いため、疲れ目にいいとされているブルーベリーの3~4倍「アントシアニン」が多く含まれています。

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有機無農薬農業を目指すにはどうしたらいいか   (2001年7月5日)

 自然農法とは種を播くだけで、一切人手を掛けないで収穫をするという誠に結構な法のようである。土地を耕しもせず肥料もやらず勿論農薬も使わないで作物が育ついうのだから、素人なら誰でもやってみたいと思うのではなかろうか。
 私も真似事を少しやってみたことはあるが、言うほど簡単なことではない。
 栃木県のTさんは養鶏業の後継ぎだが、餌に含まれる薬剤が余りに多いことに疑問を持ち、薬物に頼らない健康な鶏を育てて皆に安心して美味しい卵を食べてもらおうと思ったのである。
 家畜として改良されて狭いところに多量に育てられるようになった鶏は、自然のままに放っておいたら次々に病気におかされて死んでしまうのである。
 私が青森県の畜産試験場から買ってくる鶏はコクシジュウム等の主な病気の予防注射をしてあるので、鶏舎や食物が健康に良いものであれば、病気でバタバタ死ぬようなことはないのである。
 ところがTさんは雛を孵化する段階から自然養鶏を始めたのだからたまらない。雛は殆ど死んでしまうし、健康な鶏なんてなかなか育たなかったのである。いろいろやってみた結果、竹の炭で養鶏場を浄化し発酵飼料で健康な鶏を育てるところまでこぎつけるのに20年もかかったのである。
 この人の卵にはとても及びそうにないが、私の場合は幸いに発酵飼料を使うもので、鶏舎も割りに広いし鶏達は健康でストレスがないから比較的安全で美味しい卵が出来ているというわけである。
 さてりんごの自然農法で岩木町に木村秋則さんという凄い人が居ることが分かった。
 30才代に、いきなり全農園を無農薬・無肥料・無除草に切り替えたと言うから驚きある。以来8年間も無収入を余儀なくされるわけである。虫との戦い、病気との戦いなど大変な苦労を重ねながら強引に自然農法にたどりついたわけである。
 りんごの木も土も周りの環境も自然そのものの営みの中にあるようなものである。害虫もいれば、それを食う虫も居る、病気にもなればそれを治す力もある。自然林で人が手を掛けなくても木が丈夫に育つのと同じ状態なのであろう。
 病気に薬を掛ければその病気に打ち勝つ力までやっつけてしまう。害虫に薬を掛けてもその害虫を食べる益虫まで殺してしまうのである。肥料をやらなくても日光や土の働きで作物は育つはずであるが、余計な肥料をやるために作物がひ弱になってしまうのであろう。
 理屈はその通りであるが、これまで余計なお世話をしてきたために土も環境も変になって、放っておいたら生きられない状態になってしまっているのである。
 栃木県の養鶏業のTさんにしても木村さんにしても、沢山の鶏やりんごの木を犠牲にして食うや食わずの辛酸をなめて辿り着いた自然農法の境地である。誰もが簡単に達成できることではないけれども、私も先達の歩みを辿りながらどうしたらその域まで近付けることが出来るか工夫と努力を重ねていきたいと思うのである。




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「八甲田ロープウェー」がボランティアに呼びかけて外来植物の撤去

ちょうど私たちが北八甲田をトレッキングに出かけた時(2012/7/22)、たくさんのボランティアの方たち(30人くらい)が「八甲田ロープウェー」の乗り場付近に集まっていました。 山頂付近の周囲を手分けしてセイヨウタンポポ等を抜き取りビニールのごみ袋に詰め込んでいました。 私たちが帰るころには袋一杯になっていて、あんなにたくさん生えたいてのかと驚いてしまいました。

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以前からの妻の腰痛がひどくなって手術する   (2001年6月6日)

 随分前から腰から足にかけて痛いといって、マッサージやバリや整体等に通っていたが、一向に良くならない。
  歩くのも容易でないらしくて、足を引きずって時々立ち止まるようになってきた。
 市内の整形外科へ行ったら、腰の骨がすり減っていて痛い所へ突き刺さるのだから、マサージなんかでは良くならない、外科手術するしか方法がないと言うのである。
 手術するのは大儀だし、後何年も生きられないのだから我慢していた方がよいと思ったようである。
 けれども倅達の意見を問うたら、80才になってから手術するより今手術した方がよいということである。
 それでこのまま痛みを堪え続けるよりは今やってもらおうと決心したらしい。
 その医師の紹介で弘前の記念病院に出掛けたのである。ここは整形外科の専門医で、随分評判もよいようである。
 とにかく入院して様子をみて手術の日取りを決めようということである。
 私の仕事も忙しいし、最近は林檎園の作業もあるので孫たちの面倒を見るのも妻に頼らなければならないのである。
 林檎が一段落してから、といった都合のいいことは言っていられないのである。
 5月28日に入院してしばらくしたら、6月6日に手術するから、5日に説明を聞きにきてくれというのである。5日に院長から模型とレントゲン写真を使った詳しい説明があった。
 大腿骨の頭(半球)の部分がすり減って、それが骨盤の軟骨に突き刺さるから痛いのだそうで、すり減った頭の部分を切り取ってセラミックで出来た頭を着ければ痛くなくなると言うのである。
 いとも簡単で納得の行く話である。骨盤の方も傷んでいるから、チタンで出来た皿をねじで止めてそこにセラミックの皿をはめ、大腿骨の頭がスムーズに動くようにするのだそうである。大腿骨の半球の頭を固定するために大腿骨の首の部分の金属には長いくさびをくっつけて大腿骨の中に突き刺して、動かないようにする。とまあこんな具合で、大工さんが壊れた棚でも直すような感じである。
 毎日のように沢山の人が手術をして楽になっているから、全然心配しなくても良いと言うのである。輸血に使う血液も入院してから度々採血して、他の血液を使わなくても良いように準備しているようである。もしも血液が足りなくなったときは他の貯えているものを使うことになるかもしれないと言っている。
 とにかく太い骨を切りとったり、長いくさびを打ち込んだりすると言うものだから、電動のこやハンマーで大々的に修理を敢行する様子を連想してしまうのである。どうしたって少しばかりの手術でないことは確かである。
 手術は私が考えたよりはずっと簡単に済んだようである。部屋を出てから手術を済ませて麻酔をさまして帰ってきたのは3時間後である。
 医師からレントゲン写真で手術の結果を聞いた。チタンの皿を骨盤に止めたネジや新しく着けた大腿骨の丸い半球の頭、それを固定している金属の首と長いくさびが大腿骨の中心いっぱいに埋め込まれている様は、何とも痛々しい。これで痛くなくなるというから有り難いことである。

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木造農業改良普及センターから婦人たちが見学に来る   (2001年6月6日)

 木造農業改良普及センターの土岐さんらご婦人たち20人を引率してやってくる。堆肥の作り方を教えてほしいと言うのである。
 実践している状況が分からないので、土着菌の培養をやってもらう積もりでいた。折り好く私の堆肥で前から野菜を育てている杉館のKDさんが堆肥を積みにやってきて、レタスを土産に持ってきてくれた。
 これがこの堆肥で土作りをして育てた野菜だから食べてみてください、といったら皆つまんで食べてびっくりした表情である。
 そして工藤さん夫妻を囲んでいろいろ問い掛けているのである。そこへサン保育園の園長さんが子供たちを連れて鶏の写生にやってきた。
 園長さんも堆肥を使った小松菜をお土産に持ってきてくれて、そこでも堆肥の効用を話してくれた。思わぬ援軍が現われて大助かりである。
 土作りの大切さを実感したようである。それから土着菌作りの実習をする。この人たちは田圃で焼いている藁を堆肥にする方法を考えているようである。
 少しずつやってみて結果によってどうするかを考えることが大事である。忙しい一日であった。

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4年に1度の熱い“夏”ロンドン五輪「ニッポン」が熱い!「青森」が熱い!!

ロンドン五輪に青森県から出場予定の各種目と選手10名のリストです。

男子400Mハードル日本代表むつ市出身の岸本鷹幸選手

アーチェリー男子団体代表に青森市出身の古川高晴選手

女子レスリングに出場する小原日登美選手(31)

女子レスリングに出場する伊調馨選手(28)

陸上女子長距離に出場する板柳町出身の福士加代子選手

卓球女子の福原愛=青森山田高校卒業

卓球男子の丹羽孝希選手(17)=青森山田高3年

卓球男子の水谷隼選手(23)=青森山田高卒

バドミントンの藤井瑞希選手(23)=青森山田高卒

バドミントンの垣岩令佳選手(23)=青森山田高卒

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自分の林檎園だから思い切り有機無農薬にしたいのだが   (2001年6月5日)

 広い林檎園が手に入って俄然忙しくなって来た。4月下旬に堆肥撒きをし、5月に入って花摘み、それに引き続いて実すぐりをしている。
 大して激しい労働ではないけれども、はしごに登ったり下りたりして立ち尽くしていると結構疲れがたまるのである。
 自分の畑だと思えば、それこそ晴耕雨読で自由にやれるのが楽しみである。ところが今年は雨が殆ど降らなくて雨読の機会がない。暫らくぶりの恵みの雨にはもっぱら眠ることになってしまうのである。
 仕事はそれぞれに忙しいと思うのであるが、りんごは又枝枝に無数に着いた実を摘み取らないと良い実がならないのであろう。
 これからどんな仕事があるのか分からないが、この実すぐりもなんと根気の要る仕事である。
 自分の林檎園だから思い切り有機無農薬にしたいと思っても、どっこいそうはいかないようである。ここは自然林ではなくりんごの木ばかり植えた人工の不自然林であるし、りんごの木自体も改良を重ねたひ弱なもののようである。
 だから虫や病気の予防をしたり、適当な場所に実を着けるように徹頭徹尾人が手を加えないといけないように躾けられてしまっているのである。
 今急に手を省いたり農薬を止めたりしたら、病気が蔓延したり良い実を着けなかったりで林檎園の体をなさないことになるのである。
 堆肥を撒いて有機栽培にすることはするのだが、低農薬にするにしてもこれからいろいろ経験を重ねて可能な線を知る必要があると思うのである。
 とにかく今年はこれまでやっていたであろう化学肥料を止めて、私が作った堆肥を反当20kgくらい撒いたから、その結果どうなるか楽しみである。
 最近は一年中で一番日が長い季節となり、りんご園の作業にはとても有り難い季節である。
 朝3時すぎの出掛ける時分にはもう東の空が白んでいる。筍取りの車が列をなして山へ急いでいく姿が勇ましい。

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小泊村の教育委員会からの依頼で小泊村へ   (2001年5月29日)

 小泊生活改善グループが見学に来たのは1994年だから7年前のことである。それ以来堆肥作りに使うZ菌の注文があって、時々送っていたのであるが、余り高価なので最近は私が作った土着歯を無料で差し上げることにしていたのである>
 随分長い間堆肥作りを続けているようで、一度様子を見たいと思っていたのである。
 小泊と言えばすごく遠いと思っていたが、小泊村の教育委員会の小山内さんが土着菌作りの指導に来てくれないかと簡単に言うもんで、つい行く気になったのである。
 2時間で行けると言うのであるが、途中ゆっくり休む時間をみて10時に出掛けたのである。十三湖畔の道の駅についたのは11時半、ここでゆっくり腹拵えをして行っても12時半には着くことが出来た。
 すごく良い天気で見晴らしも良かったからか、思ったより楽に行くことが出来た。
 堆肥作りの講習だから5~6人も来るものだろうかと思っていたら、なんと30人くらいの盛会である。
 これではもっとすごい講師でないといけなかったみたいである。とにかく今日の目的は土着菌作りの実習だから、話はそこそこにして庭に出て菌培養の実習に取り掛かる。
 最初だから腐葉土も米糠も私が準備していったのであるが、それを全部使って培養基作りをやってくれた。
 随分意欲的に取り組んでくれた。普段堆肥作り等に取り組んでいなければ、こんな作業に一生懸命取り組めるものではない。
 それにどんな実習でも何にもしないで傍で見ている人が居るもんだが、小泊の人たちは姿の上品な奥様風の方もみんな米糠かまし(かきまわし)に夢中なのである。
  実際この作業は手で覚えなければどうにもならないことなのでほんとに良かったと思っている。
 凡そ細菌で発酵させるこつは水分の度合いが一番大事だからこれさえ身につければ大抵事足りるようである。
 みなさん体で覚えてくれて培養基もうまくできたようであるから、2~3日もすれば発酵が始まって土着菌が繁殖していくに違いない。菌が出来て生ゴミを発酵させるのも、又同じ要領でやれば良いのである。
 講習が終わって、堆肥作りの実践を見せてもらうために「下前」に出掛ける。ここは海岸まで山が迫っていて、家も険しい崖に建てられている。
  通路は人一人がやっと通れる幅で、急な坂道になっている。一体何処に畑があるんだろうと思いながら皆の後をついていく。
  上り詰めた所に急な山裾から平らにした狭い段々畑がある。その角に魚の水を切るために使ったと思われるポリのざるを5~6本の柱に結びつけた堆肥の熟成槽が立っていた。
 この工夫と労作が何とも感激である。この上まで材料を一輪車で運んで来るのだそうである。大変な努力をして野菜作りをしていることが分かる。
 土地もなかなか手に入らないのだそうで、僅かばかりの土地を大事に使っている様子は涙ぐましい限りである。
 これだから堆肥を作って土を大事にしなければならないという気持ちになるのがよく分かる。
 人は余り恵まれない方が良いようである。こちらは土地が余っいる地方の人たちに「下前」の人たちの爪の垢でも煎じて飲ませたい感じである。
 小泊の土作りのご苦労を見せてもらって、感激した1日であった。

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4月に入って暑い日が続いたと思ったら   (2001年5月4日)

 この冬は寒さが厳しかった、その反動のように4月に入ったらやたらに暑い日が続いた。
 私も調子にのって4月18日に野菜の種を少しまいた。ところがその後は寒い日が続いて、さっぱり芽が出ない。寒さがずっと続く上に今度は雨が全く降らないのである。
 5月に入っても畑仕事が出来ない。農作業が思ったように進まない、正に異常気象と言うべきであろう。
 年々それ程順調な天候はないと思うが、冬やたらに寒かったり春先に寒さがやってきて雨が殆ど降らなかったり、農業にとっては誠に困った空模様である。
 明日も明後日も晴れという予報は有り難い事もあるが、この度はなんとか一雨欲しいものである。
 今年は広いりんご園が授かってにわかに忙しくなった。私も何とか手伝いをしたいと思っても、朝の作業が終わって午後からのこのこ出掛けるものだから、目立った仕事にはならない。
 何日も掛かって古い木のあるりんご園に堆肥をまいたが、まだ改植したばかりのりんご園がたくさん残っている。これに又何日もかかるのである。
 雨の降らない異常気象もこんな堆肥撒きの作業にはたいへん助かっているのである。でも雨が降らないかわり、風が強くて堆肥まきには骨が折れる。
 りんごの花も赤い蕾を覗かせたまま寒さのために何日もそのままである。

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何とかしてりんごを美味しくしなければ   (2001年4月26日)

 或る町の町長さんが「りんごが売れなくなった。売るためにはりんごをもっと美味しくしなければならない、りんご園に化学肥料ばかりでなく有機質を入れれば良いという話だが、対策を考えてみよ」と役場の係に指示があったようだ。
  そこで農政の係は農業改良普及センターに相談して、堆肥とポカシを入れて試験してみることになったのである。
 先日役場の係と普及センターの人が訪ねてきてその経過を話し、家の堆肥を3軒にそれぞれ25袋づつ分けてほしいというのである。
 堆肥とぼかしを別々に入れて効果を確かめるというけれども、何を堆肥といい何をポカシと言うのかはっきりしていないようである。
 4月24日に役場の係の案内で、りんご園に堆肥を降ろして歩いたら、彼らが堆肥と言っているのが置いてあった。素材が主に籾殻で鶏糞をかき混ぜたものらしく、まだべとべとして臭い匂いがする。
 私の生ゴミ堆肥が正真正銘の堆肥なんだけれども、こんな未熟なものに比べたら何か言い方を変えなければならないのであろう。
 それで私の堆肥を彼らはポカシと呼んでいるのである。一寸不本意で説明をしなければならないと思ったけれども、やめにした。
 何はともあれ行政が農家を動かすのはたいへんなことだ。これだけ世話をして果たして美味しいりんごを作らなければならないと思う気持ちになるものだろうか、甚だ疑問である。
 訪問した先の農家の屋敷は広々として、家は大きくて立派である。昔は米やりんごでうんと儲けたものであろう。

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倅が望んでいたりんご園が手に入りそう   (2001年4月25日)

 倅が農業をやりたいと言っても、土地がある訳けでもないし買う程のお金もない。
  農地を借りて農業をやっても米もりんごも野菜も安くて採算が取れそうにない。
  数年前、沢目の田圃を3反買ってりんごを植えたがあと4~5年もしないと実がならない。
 普通の田圃を3反買って米作りを始めたが、惨めな程少ない収穫である。
 よく昔から食っていけない農家の事を5反百姓と言っていたようであるが、これはそれ以前の状態である。
 農業をやる以上は、私は少なくともりんご園を1町歩はなければ話にならないと思っていたのである。
 最近のりんご園では長い間土を粗末にしてきたためか、フラン病が多発していてりんごの木をどんどん切り倒している。
 そのこともあって国から多額の補助金を出して改植をする政策が始まったのである。
 農業に携わっている人達はだんだん年を取ってくるし、改植事業の自己負担分も相当なものである。
 今まで手塩にかけてきた農園を無くしたくないという人もいて「子供は農業をやらないと言うし、何とかこのままりんご園を続けてやってもらえないか」という話があって、旨くいけば倅も念願の農業に専念できるようになりそうである。
 最近はりんごを取り巻く状況がとても厳しくなって来ていて、農業を専業として生きていかねばならないのだ。

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「養鶏秘訣大全」という古い本を頂いた   (2001年4月5日)

 カプリースから「養鶏秘訣大全」という辞典のような作りの古い本を頂いた。大阪の重枝養禽園という所で明治34年(1901年)に出した3円60銭の本である。
 丁度100年前の養鶏の手引き書である。それが単に家庭的なものではなくて、養鶏業の経営に関するものだから、鶏舎の建て方・餌のこと・器具のこと・鶏の種類・繁殖法・貯卵器・病気と治療に至るまで誠に詳しく1300ページにわたって書かれてある。
 何せ古い書物だから、分かりにくい所が多いけれども凡その内容は判読できる。今の工業化された養鶏と違って、野禽から家禽に変わっていく過程だから、私がやっている養鶏と合い通じるものがあって興味深い。
 鶏舎も私の場合はコンクリートの壁の枠を利用して、鶏が寒さを防ぐ為の囲いを作りビニールを張ったり天井に藁を敷いたりして素人の世話をやいたものであるが、この本に書かれている鶏舎は換気や暑さ寒さに対する配慮が行き届いて鶏にとって誠に住み心地の良いもののようである。
 傍らに運動場もあって鶏が運動をし、土をほじくって草や虫をついばむ自然の姿が想像できる。
 今は狭い籠の中で一羽だけ餌が出てくれば食べるだけ、卵を産む力が衰えれば用済みで殺されるといった産卵機の感じである。
 だから鶏達は精神的にも肉体的にも甚だ不健康である。それらの鶏が産み出す卵は有精卵でないばかりでなく、極めて頼りないものである。
 私の場合は餌も発酵飼料が前提であって、放し飼いでなければ出来ないものだからその昔の状態に加えて都合の良い養鶏であると言えるようである。
 ただ私のような方法だと大量生産は無理であるから、一人では多くの需要に応えられないことになる。

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春分も過ぎて生ゴミ堆肥の注文が来だした   (2001年3月25日)

 彼岸に入って流石に暖かい日が続いて、日に日に雪が消えてゆく。
 例年4月1日には積雪がゼロになると言うから、今年も又そうなるのであろう。
 道路の両側の雪の壁もだんだん後退りして、殆ど姿を消してしまった。
 作業場から出る際に左右の見通しが利かなくて不便を感じていたが、それも短い間に解消した。
 やはり時期が来ないと駄目なんだ。作業場は南側に高い屋根があるから、雪消えは何日か後になるのである。
 さて堆肥の注文は例年畑作業が始まる4月の初旬であるが、今年はもう始まった。使ってみて良ければ、今年も又使いたいという気持ちが出てくる、そうした感じがだんだん強くなってきたように思う。
 去年も使ってもらった浪岡のりんご農家から「雪が消えたら畑に運んで欲しい」という注文があって、少しづつ袋詰めをしているのであるが、それが次々と出ていってなかなか貯まらない。
 早々と注文してくれる方は、去年良かった結果について色々と話してくれる。化学肥料で土を駄目にしてしまえば、作物が出来なくなってしまうことがだんだん分かってきているようだ。
 それでも「よく効く」とか言っているのは、化学肥料の感覚で堆肥を使っている証であろう。堆肥が土に馴染んで土の中の細菌や微生物が増え、それらが作物を育ててくれているということになると、一寸回りくどくて分かりにくいことになる。
 農家が自分で堆肥を作って使うようになればそれにこしたことはないのであるが、そこまで行くにはまだまだ長い年月がかかってしまうようである。

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今日は私の七十七歳の誕生日です   (2001年3月12日)

 私は1925年(大正14年)3月12日生まれなので、今年76才になる。
 昔からの数え年で言うと今年の元日から77才で、喜寿のお目出度い年だというのでよくお祝いの言葉を頂いている。
 然しどうもアズマシクナィ。還暦は満年令で丁度定年退職と重なって具合がいい。それも元々は数え年でお祝いをしていたのかも知れないが、満年令の方が合理的である。
 そんな訳で喜寿は来年だと自分では決めているのである。この歳になって誕生日なんてどうでもよいのであるが、孫達が一緒に暮らすようになってからひっそりと過ごすようにいかなくなったのである。
 それぞれの誕生日にはお祝いをしてケーキを食べるのを楽しみにしているのである。
 妻と二人なら、黒豆のご飯が出てきて、「今日なんかあったか」「誕生日ですでば」といった言葉を交わす程度で何とも味気ないのが常であった。
 それにしても76歳とは、随分嵩張った数字である。「あれもとうとう行ったか」と言われるくらいに、いつ死んでもおかしくない年令である。
 けれども本人はそれ程の高齢になった意識はない。皆の健康のために有機栽培や無農薬をやらなければいけないとか、生ゴミリサイクルを進めなければいけないなどと、背負いきれない大きな荷物を背負ったような気持ちで息巻いている有様である。
 でもそれも程々にして、自然に親しんで自然の恩恵を頂いて生きていくようにしたいと思っているのである。

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テレビで見た奥只見のお婆さんについて   (2001年3月4日)

 雪深い奥只見で71才になる嫁さんと二人で暮らしている95才のお婆さんの取材テレビ番組に釘づけになった。
 雪のない時期だと、畑へ出て野菜作りに精を出しているのであろうが、冬場は二人の老婆が冬眠同然の生活を強いられるのである。
 お互いの思いやりと協力が特に必要である。厳しい環境の中で二人仲良く暮らしている事だけでも感心してしまうのに、このお婆さんは寝る前に布団の上で日記をしたためているのである。
 その日の出来事や思いを書き込んでいるのであるが、それがまた誠に素直で淡々として味わいのある文章なのである。
 平凡な繰り返しの生活のように思えるが、毎日毎日を生きている喜びが伝わってくるような日記である。
 私も何となく日記を書いている。生ゴミにしても初めはなかなか変化があって面白かったのであるが、12年も経つとそれこそ平凡な作業の繰り返しで、書き記す気持ちにならないのである。
 「今日はおがくず運び」と書きたくないような汚い字で、そう書かれたきり。これが今日の主な動きで、後は書くことがないのである。
 肉体労働を続けていて、ものを思う心が休んでしまっているようである。私より20才も年上のこのお婆さんにはとてもかなわない。
 世の中にはこんな素晴らしい心を持った人が居るんだ、お会いしたいものである。

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寒さの厳しい冬だったが峠を越えた様だ   (2001年2月28日)

 毎年訪れる季節も一様でない、暫らく暖冬異変が続いたが今年は異常寒気だと言っている。
 私は3月生まれのくせに寒さは苦手である。剣道の寒稽古なんかも寒さに耐えるための修業なんだが、裸同然の軽装では雑巾掛けで体を動かしても体が暖まらない。ガタガタ震えながら正座させられたものである。
 長年こんなことを繰り返してきたのに、やっぱり寒さは性に合わない。今だって寒いときには炬燵にでも入ってじっとして居れれば何の事はないのだけれども、鶏の水桶を洗ったり凍った生ゴミを扱ったりするには、厳しい寒さに腹が立つのである。
 昨日2月27日は-9℃、鶏の息が金網に着いて細かい氷が白く覆っている。これが今冬の寒さのしめくくりであろう。今朝は+の2℃である。これからは雨が降ったり強い風が吹いたりして、うずたかい雪を消してくれれば待望の春を迎えることが出来るのである。
 やっぱり2月が過ぎないと、冬が峠を越したという感じにはなれないのである。
 誰かが置いていった烏骨鶏のうち1羽だけ苛められて、右の目玉をえぐり取られたのがいる。鶏舎から逃げ出して私の近くをうろついている。
 その鶏はストーブの傍で暖まるくせがついて、ストープに火が入ると寄ってきて横になって暖を取っているのである。余り近付きすぎて羽毛が所々茶色に焼け爛れている。何とも頼りない格好である。みんな金網の中で元気に飛び回っているというのに、環境って恐ろしいものである。

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厳しい寒さの中にも春の兆しが   (2001年2月18日)

 こんなに寒さが続くと「なんとかならないものか」と愚痴を言ってしまう。毎日のように除雪機を運転しなければならないし、容器を暖めないとゴミを取り出すことが出来ない。
  -10℃近い寒さだと雪が軽いし、少しの風でも吹き飛ばされて体に降り掛かってくる。
 18日は-3℃、雪は積もっていないし、まるで仕事が楽で順調に進む。天気予報を聞いて毛糸のズボン下をはかないで来たけど、寒くないし軽くて作業が楽である。
 入り口にブルドーザーが雪を寄せていったので、スコップで片付ける。まだ6時なのに明るくて作業に支障がない、随分日が長くなったものである。もう春が近くなってきたような感じである。
 けれどもこの深い雪が消えて土が顔を出すのは、これから先一カ月程かかるのである。その間に何度か雪や寒さが舞い戻ってくるかも知れない。
 昔は3月になれば馬小屋から堆肥を出して、堅雪の上を馬橇で田圃へ運んだものであるが、今はそんな光景を全く見ることが出来ない。
 馬小屋の堆肥は湯気が出て、未熟なものであったようだが、田圃の土を肥やす大切な役目を果たしてきたのである。
 今も昔も雪国の農家が春を待つ気持ちに変わりはないと思うが、土に対する心がけは大違いである。

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