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西十和田地区の旅館街はこれでいいのか   (2001年2月15日)

 生ゴミが不足でリサイクルをこのまま続けるのが難しい状態である。お客さんが少なくなって、廃業する旅館が増え、だんだんさびれていくのを人々は時の流れと手を拭いて眺めている訳ではあるまい。
  山紫水明の出湯の里にこけし館を作ったり、最近は黒石市が倒産するような伝承工芸館を作ったりして、観光に力を入れているのであるが、こんなことは何処でもやって大抵うまくいっていないようである。
 人々が行ってみたい、そして訪れた人が又来たいと思うような観光地はどうしたら実現できるか考えてみなければいけないのではないか。
 ・環境をきれいに整えること、道端に花を植えたりプランターに花を植えて飾るのもいいし、生ゴミを鳥や猫や鼠が食い散らかさないように始末することも大事な事である。その他各家庭の庭木や菜園も散歩する観光客の心を和ませてくれるものであろう。欲を言えば山に生えているアケビが成っていたり、スグリとかグミとかイチジク
 ・ブルーベリー・木苺などが庭先に成っていて、「どうぞ食べてみてください。」なんて札が掛かっていたら、散歩するお客さんも楽しいに違いない。その他野菜や果樹の有機無農薬栽培をする畑があって、そこからとれる作物を地域の家庭も旅館も利用する事も面白い。りんご・なし・もも等の小規模な観光果樹園で散歩の途中で楽しめる事もお客さんの気持ちになって考えてみたらどうだろう。
 ・この地を訪れた人たちを、皆で迎える心がけを持たなければいけないのではないか。旅館のサービスは勿論の事だが、外を散歩している人たちに地域の人たちが自分のお客さんのように挨拶をすべきである。私はゴミを集めながら「お早ようございます」というのであるが、お客さんも様々である。これは大人も子供も、一大決心して始めるべきである。私が生ゴミ集めを始めたとき、小学校高学年の3人の娘達が私が来るのを待ち受けて「お早ようございます」と挨拶をしてくれた事を思い出す。とても爽やかな気分にしてくれたものである。観光客を迎える地域興しはこんなところから実行してみたらどうだろう。学校にも協力してもらって始めたらそんなに難しいことではあるまい。地域ぐるみの心からの暖かい歓迎が人々の心をとらえるのである。紅葉狩りの季節に、家ごとに駐車料金の大きな立て看板を飾ったり、皿に盛ったりんごを市価同様に売りに出したり、この節かけてお金を儲けようとするのは余り感じの良いものではない。又来てもらうためにはどうしたら良いか考える事が大事だと思うのである。観光地は立派な施設があればそれで良いというものではなさそうである。地域の人たちとのつながりがないと折角の施設も寂れてくるに決まっている。例えば施設で出た生ゴミを堆肥にする、その堆肥で野菜を作る、その野菜を使ったり漬物にして利用したりする。このように地域の人たちの生活が見えるような施設であれば、発展すること間違いなしである。

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子供は風の子で吹雪の中でも遊ぶ   (2001年2月10日)

 朝の気温はマイナス10℃近い厳しい寒さが続く。今年は1月にも寒い日が多かったから、立春も過ぎたら少しは楽になって欲しいと体が願っているようだ。
 でも2月は一番冬の厳しい時期である。マイナス5℃以下になるとゴミが容器に凍り付いて出てこない。それを手で押し込んで取り出すのであるが、ビニールの手袋の中で手がかじかんで指先が痛い。
 こんなにシバレル時期に出来る霜焼けのことを「シバレ」といったのは誠に適切な津軽弁である。
 子供の頃は大抵シバレが出来て、夜になれば痛くて泣いた記憶があったのではないだろうか。私はまだ寒いと言うほどでない晩秋からシバレに悩まされるのであるが、厳寒の今はけろっと治ってしまっている。不思議であるが誠に有り難いことである。
 昔の子供はしょっちゅう外に出て遊んだものである。スキーでもそりでもみんな夢中になって暗くなるまで遊んだ。今のような服でないから着物の裾に氷柱が下がったり、靴のなかに雪が入ってずぶぬれになったりする。こんな様だからいたるところシバレが出来て、少し暖まれば痛かったりかゆかったりで苦しいものだった。
 今日二人の孫が吹雪の中でそり遊びをしていた。先が見えないくらいのひどい吹雪に深い雪の中を走り回ってはしゃいでいる。子供はいいものだ、大人が考えているようなものではない。
 やはり子供の遊びにこうした自然の触れ方がとても大事なことだと思った。みんなそりゃスキーに夢中になって遊ぶ時間を沢山取るようにしたら、ストレスもたまらないし積極的な行動力も身についてくるのではないだろうか。

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シバレルネェ、フルネェ、スグダマッテマル   (2001年1月27日)

 今年の冬は、何日も吹雪が続き寒さも厳しくて、ついこんな津軽弁をつぶやいている。
 昔はこんな状態が多かったような気がする。今みたいに除雪もなかったから、雪が降り積もれば藁で出来た雪踏みで踏み固めて、後はじっとこたつに暖まって縮こまっている。
 こんな感じの雪国の風情がぴったりする言葉だと思うのである。-10℃近い寒さがずっと続いて、生ゴミが容器に固く凍り付いて取り出すのに難儀した。
 ロシアの寒気団がモンゴルを通って日本へやってくる、ロシアもモンゴルも大変な寒さで家畜が凍死しているそうである。
 モンゴルでは-60℃までも気温が下がるそうだから、一寸想像も出来ないが、これくらいの寒さは我慢しなければならないのであろう。
 25日の朝は道路が凍っていて随分気をつけて運転していたのであるが、急にハンドルを取られてトラックが踊りだした。
 ぐるっと後向きになって反対側の雪の壁に乗り上げた。ここから下へ落ちたら今日は一日駄目だと思ったら、幸い雪の中のガードレールに当たって止まった。
 車輪が三つとも浮き上がってしまっているので、エンジンでは動かない、後からやってきたグレーダーの乗組員が持ち上げて道路に降ろしてくれた。
 空のトラックは相当気をつけてもこんなことが起こるのである。一人だからいいけれども対向車でもいたらそれこそ大変なことになるのである。
 このトラックで車が踊りだすスリップは3回目であるが、恐い経験をしてもなかなか状況を的確に判断出来ないものである。早く春になってくれれば良いと思いがつのるばかりである。
 9月11日に入れた雛がやっと卵を産み始めた。60日雛だから生まれてから6カ月経ったことになる。卵が不足になり始めてから3カ月になるので、断っていた人たちはもうあきらめて注文しなくなってしまった。
 今頃になって卵が沢山出てくると、今度はやり場がなくて困るのである。又養老院のお年寄り達に食べてもらはなくてはなるまい。
 最近またまたゴミが少なくなって、発酵機を3日に一回運転することが珍しくなくなった。生ゴミが少ないと鶏の餌も不足する訳で、その補いをしなければならない。
 米ぬか1袋半に水15リッター混ぜて発酵しやすい状態にし、それに鶏の配合飼料(10kg)とトウモロコシを混ぜ合わせる。
 夏だと次の日には旨い具合に発酵して温度が50℃位になり良い餌になるのである。ところが冬の間は寒くて発酵出来ないのである。
 それでもこんな餌を特別に作って与えるようにしている。そのお陰で鶏達のとさかが赤くなり、羽毛の光沢も良くなっている。
 卵を産める状態になってきたことがよく分かる。米糠だけでなく、米糠1袋におからを半袋分混ぜ合わせるともっと良い餌が出来るようだから、津川さんが集める分から少し貰ってきて試してみている。
 津川さんが集めてきていた頃には、おからと米糠だけで発酵させていたのだから、配合飼料を混ぜると上等になるわけである。

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学校の学級崩壊について考える   (2001年1月10日)

 ・小学校で子供たちが勝手に騒いで授業が出来ない学級崩壊の現象について、政府が教育を見直す作業をしているようだ。
 かって大学紛争に始まり荒れる中学校が出てきて、子供たちがこれまでの教育に対して不満を訴えてきた。
 そんなことに国が真剣に考えたことがあったのか。子供たちが反発するのは教師の力量がないからだと管理体制を強めるばかりであった。
 分からない事が分かってくる、出来ないことが出来るようになることは誰でも楽しいことである。教科書にあることを教え込むだけでは、物覚えの遅い子供はやがてやる気を失ってしまう。こんなことが積もり積もって学校教育が崩壊したのである。
 呑み込みの遅い子供でも分かるように、指導方法を十分に研究する必要があるのである。歩留まり30%と言われながら、現場では自由な研究が進まない管理体制の元にあったのである。
 物が有り余って何でも容易く手に入るような今の社会は、子供を育てるうえで極めて悪い環境である。
 親は躾についての認識が乏しい。比較的きちんとした躾を受けた人で、いくらか教養を積んだ親は「型にはめないでのびのびと育てたい。」といって、肝心な時期に躾をしないのが殆どのようである。
 そして4~5才になって我が強くなると、今度は親の言うなりにならないためにヒステリックに折檻することになるのである。
 そのうえ小さい時期の食事が問題である。トーストにミルクその他スナック菓子に甘い飲み物では精神的にも肉体的にもたまったものではない。
 プレ-キもハンドルもない暴走車のようなものが出来上がるのである。
 躾といってもそんなに難しい事ではない。呼ばれたら「ハイ」とはっきり返事をすること、朝、両親に「オハヨウゴザイマス」と挨拶をすること、靴を脱いだらきちんとそろえる事が出来ればそれで上等なのである。
 3才までにこの躾をしないと、素直に人の話を聞けるような人間に育てることは困難である。食事だって玄米に味噌汁等食べていたら、精神的にも安定するし肉体の健康も随分変わってくるはずである。
 子供の凶惑犯が増えて少年法を改正した、これから教育法をいじってみて何がかわるというのであろうか。成人式に演壇に上がってクラッカーを鳴らしたといって逮捕したというニュースも、みんな大人の責任なのである。
 こうした子供たちにしないために何をなすべきなのか。それは正しい食事と小さいときの躾であるが、これは家庭の問題であるだけに、心ある人達の自主的な運動に頼る以外に道がないような気がするのである。
 科学が進歩し生活に役立てて、便利になり豊かになっても、それが安全で人間の健康に良いものかどうかの検討を怠るとやがて取り返しのつかない結果が起こり得るのである。
 原子力利用も化学肥料も農薬も今の遺伝子組み替えも、十分検討してかからねばならないものであろう。
 私は21世紀の幕開けに当たって、極めて半端な物がたくさん横たわっているような気がして社会に対して済まない気持ちで一杯である。
 せめてゴミだけでも片付けてお詫びをしなければと思っているのである。

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今日からで二十一世紀が幕を開けた   (2001年1月1日)

 私達が21世紀に遺したものは、胸を張って誇れるものが余り無いように思う。その多くは再検討しなければならないものであろう。狭い範囲ではあるが、私の体験を通して二三考えてみたい。
 ○生ゴミの始末について・・
  こういうことは生活の一部として余ったものは土に返すといった風に処理すれば済む問題なのだが、そう簡単にいかないのが実情である。
  何でもかんでも燃やしてしまえば、悪臭等の公害が出ないし具合がいいのである。
  ところがペットボトルや発泡スチロウル等は燃やせば公害が発生するというので、分別収集するようになった。
  そして紙屑や生ゴミが焼却釜に入るようになると、今度は燃えにくくて燃費が大変嵩むようになってきた。
  そこで今度は大手の生ゴミは焼却釜に入れないような法律を作ったのである。
  そしてリサイクルするように義務付けたのである。
  しかしそうした準備がまだ出来ていないのに、決まりだけ先走るものだから混乱はさけられない。
  私の所で処理するには処理業という認可がなければいけないという。
  処理業を申請するには資格を取らなければならない。
  しかしその資格をとるための講習は何10年に一度回ってくるか分からないという。
  許認可制度の紛らわしさは呆れるばかりである。
  やる気のない行政にはいい口実なのである。
 ○農業問題・・
  科学の進歩に伴って、農業は化学肥料を使って大量生産を目指すようになった。
  こうして育つ作物はひ弱で病虫害に侵されるので、農薬を沢山使用しなければならない。
  大農法だから草取りなんかやっていられなくて除草剤を使うようになった。
  そのために健康を侵される農民がたくさん出てきた。
  人に害を与える農薬はだんだん薄められてきたものの、化学肥料と農薬に頼った農業は変わっていない。
  土を始めとする自然の崩壊は著しいものである。その上化学肥料で育てた作物は最も大事なビタミンやミネラルを殆ど含んでないというから、食生活上の大問題なのである。
  有機無農薬を目指して早々に改めなければならない課題である。
  世紀末になって特に米作り農家は食べていかれないという嘆きが多くなった。
  リンゴもそうらしい、今までの農業で食っていかれないとしたら皆が花やトマトを作るようになれば良いのだろうか。
  私達の健康を守る農業は一体どうすれば良いのだろう。
  米余りという困った現実もある。
  21世紀は豊かな自然の中で健康に良い作物を作る運動を皆で考えていかねばならない。
  世界中の野菜や果物が店頭に溢れているが、安全で美味しくて健康の足しになるものは余り無いのではないか。
  食物と健康についての研究は世界的になったようで、日本在来の食事については古くさいといった感じで手が付けられていないのである。
  カロリー栄養学で殆どが外の食生活にならった食事が話題になっている。
  味噌汁も漬物も子供達は食べないようである。
  そして減塩が特別強調されている。
  いま日本は世界一の長寿国だそうだが、ぼけと寝た切りも世界一だそうだから全然自慢になる話ではない。
  これは日本本来の食を見直す事が必要になった証である。

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ついに今日で二十世紀が終わる   (2000年12月31日)

 いつものような年の暮れではあるが、今回は20世紀の終わりという特別な時である。でもこの時期を意義付けるような特別な事も余り見当らない。
 年の暮れは交通事故だとか、強盗事件だとか押し迫った暮れの慌ただしさや、もがく様子が頻繁に起こっている。
 我が生涯の20世紀であるが、それは忌まわしい戦争に大きく影響されたようである。人間性を培う大変大事な時期に「大君のために生命を惜しまない」という徹底した訓練である。考えも行動も単純にならざるを得ないのである。
 さて今の若者の世代は人間性を豊かにするためのどんな学習や体験が準備されているというのだろう。21世紀は素晴らしい展望が持てるように考えてみたい。

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つくづく健康は食にあると思う   (2000年12月28日)

 冬至も過ぎて本格的な雪と寒さの季節となる。12月26日朝、氷点下7℃で猛吹雪、作業場は北向きに開いているので奥まで雪が舞い込んでくる。
 生ゴミは容器にくっついて出てこない。バーナーで暖めながら取り出すのだが、凍ったゴミだからゴム手袋の中でも、手が冷たくて指先が痛くなってくる。
 そういえばついこの間まで苦しんでいたシモヤケはどうなったのだろう。殆ど治りかけて、気に掛けることもなくなっている。一番寒い時にシモヤケに苦しむなら理解できるが、晩秋のそんなに寒くない時期にシモヤケが出て冬になってしまえばそんなに苦しまないのは不思議に思える。
 私はシモヤケの出やすい体質だから、この理由を考えてみる実験材料になると思うのである。
 夏分はどうしてもさっぱりしたものを食べるし、風呂上がりは冷たい飲み物やアイスを口にする。そうするとさわやかな気分になるのであるが、やがて少し涼しくなると手足の指がはれあがってシモヤケに苦しむことになるのである。
 これは健康に対する食の危険信号なのである。このままの食生活を続けると体が冷えて病気になる恐れがあると言っているようなものである。
 体が冷えきってどんな病気になるのかはまだ分からないが、危険信号が出たら用心するにこしたことはない。
 冬になってしまうと、それ程注意しなくても冷たい飲み物やアイス等は余り口にすることはない。食事も何となく暖かい物を頂くようになってきたし、衣服も暖房も寒さを感じないようにしている。
 こうした食生活のお陰で厳しい自然環境の中でもシモヤケは出ないのである。だから今度は夏でも冷たい飲み物を取りすぎないように注意すれば、秋にはシモヤケにおかされるようなことはないという仮設を立てて取り組みたいと思うのである。
 食と健康の問題は一般に余り真面目に考えられていないようである。私の手元にある「体験的健康学、正食と人体」。上野さんから頂いた、森下敬一著「薬を使わない慢性病の治し方」、「ガンは恐くない」、「健康と美容の食生活」。「間違いだらけの現代医療-よみがえる千島学説」等病気になって病院へ行く前に読んでおきたいものである。

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飼料不足のせいか鶏が卵を産まなくなった   (2000年11月27日)

 ゴミが不足になってから卵をだんだん産まなくなってきた。慌てて鶏餌を買ってきて米糠に混ぜて発酵させて与えているが、一向に卵が増えてこない。
  市販の配合飼料やトウモロコシなどは余り使いたくないのだが、ゴミが増えるまで仕方がない。今年の鶏が産卵するまでに元の調子に戻ってほしいものである。

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飼料不足のせいか鶏が卵を産まなくなった   (2000年11月27日)

 ゴミが不足になってから卵をだんだん産まなくなってきた。慌てて鶏餌を買ってきて米糠に混ぜて発酵させて与えているが、一向に卵が増えてこない。
  市販の配合飼料やトウモロコシなどは余り使いたくないのだが、ゴミが増えるまで仕方がない。今年の鶏が産卵するまでに元の調子に戻ってほしいものである。

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そろそろ雪に備えて準備怠りなく   (2000年11月24日)

 11日には朝真っ白に雪が積もっていて、いよいよ冬を迎える気持ちになる。
 平川市のIMさんから頂いた廃材を、TTさんから借りてきたチェンソーで切って薪を作る仕事に取り掛かる。これもなかなかはかどらない作業である。
 裏の柿や梅や李の枝を切って整理する仕事も、年々木が大きくなるし枝も多くなって年寄の手に負えなくなってきた。
 玄関の雪囲いは太い柱を5本立ててそれに板を打ち付けるのである。その柱はとても頑丈で重いので、何か良い工夫はないものかと考えているのであるが適当な材料は見つからない。
 倅に頼めばやってくれるのであるが、出来るだけ自分の事は自分で済ませたいと思うのである。
 例年10月ともなれば手や足にシモヤケが出来ていやな思いをする。今年も手の指に何箇所もシモヤケが出来て赤くはれあがり、物を握るのが苦痛である。
 19日に2回目の雪が降り、翌日は-3℃と寒い朝になった。すると又シモヤケが勢いを増して殆どの指が赤くはれあがった。こんな作業をしているのだから、なんとか養生をしているけれどもしかたがない。
 今年は秋にブドウや柿を少し多く食べたから、体が冷えてシモヤケがひどいのかも知れない。昨夜は足の指先が針で突いたようにチクチクと痛みなかなか寝付かれなかった。
 明日居眠り運転でもしたら大変だと思いながらじっと堪えていた。体が冷えるといえば、少し思い当る事がある。作業が作業だけに毎日風呂へ入らないといけない。
 ところが最近風呂上がりに喉が渇いて仕方がない、それで冷たい飲み物を飲んだりアイスを食べたりするくせがついてしまった。これが度重なって、体を冷やしシモヤケが沢山できる事につながったのかも知れない。
 年を取ると、若いときには大した支障にならない事でもそれが体調を崩す直接の原因になってしまうようである。これからは湯上がりの冷たいものを我慢すれば、来年の冬にはシモヤケの苦しみから幾らか解放されるのではないかと思うのである。

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今年も農家の秋仕舞いは順調にいった   (2000年11月10日)

 今年の秋は台風も来なかったし、農家の秋仕舞いは順調にいったのではないかと思う。
 中野山の紅葉も終わって、ホテルと板留の富士見館の真っ赤な紅葉が最後の美しさを競っている。
 秋に堆肥を使う所も2~3軒配達して、例年やってくる人もそろそろ現われる頃である。
 浪岡のMKさんではこの堆肥のお陰でリンゴがいつもよりよくできて、今年は高い値段で売れたといって喜んでいた。こんな話を聞くと作る方も嬉しくなってくる。

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津川さんが集めたゴミが来なくなって   (2000年11月5日)

 津川さんが集めたゴミが来なくなって発酵機はがら空きになった。鶏の餌にも影響があるけど仕方がない。生協・ベニマート・あけぼの病院・イトク・豆腐屋のおからは相当な量であったのである。
  これから新しいゴミを集めて歩くわけにもいかないから、しばらくこのまま我慢していよう。そのうちにゴミ収集業者に持ってきてもらって、集めに歩くのも止めにしたいと思っている。

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田圃と林檎園へ生ゴミ堆肥を撒く   (2000年10月24日)

 10月15日に脱穀が終わって21日から肥料を撒く作業に入る。昼から夕方まで3回は運べるから、お天気が良ければ田圃の方は3日で終わる予定である。
 秋には反当2トンで、3反歩だから6トンの堆肥を撒く計画である。
 3回運べば大体2トン位になるから、1日3回で1反歩撒けるわけである。春にまた1反歩当り1トン撒いて合わせ、3トンにしたいと思っている。
 これ程熟成した優れた生ゴミ堆肥を1枚の田圃(3反歩)に9トンも入れるのはちょっと贅沢な感じである。
 毎年此れ程の堆肥を入れてきたのに、収量がどんどん下がり続けてきたのは一体どういうことなのだろう、と不平の一つも言いたくなるのが人情であろう。
 このことが示すように堆肥は化学肥料と違って作物を育てるのではなくて、土を作る働きをするものであることが分かる。土の中に微生物や細菌が繁殖して、それらが作物を育てるために働くようになったら収量も自然に上がってくるに違いない。
 それまで土の自然を取り戻す作業を続けなければならないのである。稲作の作業をしてくれているTTさんは、化学肥料から堆肥に切り替えたらどんどん収量が少なくなって、それが5~6年も続いたそうである。だから堆肥を十分に入れたからといって、収量が上がったら「有機栽培って簡単なものだと思うから困る」と言うのである。
 古代米の栽培をしているIHさんは無肥料で反当収量が3俵だそうである。今の品種だと堆肥をやらなくても4俵はとれるのではないだろうか。とすれば堆肥をやったり雑草を取ったりした世話は何の報いもないではないか。と又むくれてみたくもなるのである。
 しかし大自然の中での営みは本の僅かばかりの事でしかない。堆肥を撤いたって薄紙を広げた位の事でしかない。そういえば土の自然を取り戻すなんて大層なことを言うのはひどい思い上りなのかも知れない。もっと謙虚になって大自然の恩恵を有り難く頂くことにしよう。
 今年は藁を刻む機械を買って、田圃に刻んだ藁を撒いたり米糠を撒いたり、新しい試みをしている。これは先達のTTさんの実践や本で発表されている人達の研究に学んでのことである。何れもやがて確実により良い成果をもたらしてくれるに違いないのである。
 リンゴ園のほうも24日に4回運んで、今年の堆肥運びは全部終了した。僅かばかりの田畑に人一倍世話をしている感じである。 

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棒掛けしてから7日でようやく脱穀作業   (2000年10月15日)

 棒掛けしてから7日である。天気を見計らって掛け替えをしなければならない。
 今日それを予定していたのであるが、朝TTさんがやってきて乾燥の具合を調べたら、余りに乾燥しすぎていて直ぐ脱殻しなければならないと言う。
 全部やってもらうのであるから、こちらの都合なんか言っていられない。昼から急遽脱穀作業が始まる。私は3時から休みなし13時間労働になってしまった。

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新しく花巻豊岡バイパスが開通した   (2000年10月14日)

 花巻・豊岡のバイパスが完成して今日から新しい道を通る。広くて快適な道路である。
 10年ひと昔と言うが私が生ゴミリサイクルを始めてからでも、道路は元の面影がなくなってしまった。作業場の前の道路も広くなってしまったし、家々の前の曲がりくねった道を通らないで真っすぐに作業場へ通ずる感じである。
 沖揚平のKSさんが生きていたら随分喜んだことであろう。

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稲の棒掛けしたいのに恨めしい雨   (2000年10月6日)

 昨日稲刈をして今日は棒掛けの作業をする予定であった。ところが朝から引っきりなしの雨である。
  稲は地べたに置いたまま一日いっぱい雨に濡れていた。こんなに雨が降る予報でなかったのに、これほど雨を恨んだことはない。
  明日も余り良い天気でなさそうだが、雨が上がったら棒掛けを急がねばならない。

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笹の絞り粕の処分に困ってしまう   (2000年9月18日)

 弘前市で笹を絞って汁を取り、化粧品や栄養剤を作っている会社だといって男が訪ねてきた。「笹の粕が余って困っているから使ってくれないか。」と言うのである。
 現物を見るとフワフワして水分調節剤につかえそうである。やってみないと分からないが少し試してみようと思って、「いいですよ」と言ったら大変喜んで、「お金は要らないから早速取りにきてくれ。」と言うのである。
 今時余っているゴミを片付けてもらうのに「ただでいい」と言うのは一寸常識が足りないし、取りに来てくれと言ったってとても相談にならない。
 その時はお断わりしたのであるが、数日して「こちらで笹の粕を運んで行ってもいいか。」という電話があったので、「隅の邪魔にならないところに置いてください。」と返事しておいた。
 翌日作業場へ行ってみると山のように積んであって、これは此処で処理できる量ではない、何とか少しずつでも処理の方法を考えなければいけない。
 困ったことを引き受けたもんだと思っているところへ翌日又どっさり積んであってびっくりする。黙っていれば笹の粕に埋まってしまうようで、慌てて断りの電話をする。
 さてこの笹の粕は、見かけによらず水を吸わないし火を点けても燃えない代物である。堆肥に混ぜて発酵分解していくより仕方がないようである。

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EMポカシ作りの勉強会   (2000年9月12日)

 平賀農業普及センターの梅村さんや工藤さんの勧めで、尾上町の婦人たちがEMポカシの作り方を実習していった。
 4日の午後と7日の朝2回にわたってポカシ作りをした。発酵は水分の手触りを覚えれば後は面倒なことはない。2日目は何も手を掛けなくても皆で楽しそうに作っていった。
 それにしても今頃なんでEMポカシを手懸けるのだろうかと不思議に思ったのであるが、地域によって余り機会に恵まれなかったらしい。生ゴミ用のポカシも作って、利用の方法を教えてやった。
 6日の朝には金屋の婦人たちが生ゴミ用のポカシを作りたいと言って訪ねてきた。これはEM菌さえあれば、米糠と籾殻と少々の糖蜜で出来るから金は余りかからない。
 米糠と籾殻の分量に見合った糖蜜とEM菌を計り取るのが多少厄介だが、後はどうということはない要は水分を手で感じ取ることだけである。
 家庭の生ゴミはEMポカシ和えをすれば、臭いもしないしウジもわかないから一番いいのですが、町の人たちは処理した生ゴミを埋める場所がないというのでなかなか広がっていかない。
 農家だとその気になれば有効に利用できるからうまくいくに違いない。
 普及センターで指導している婦人グループでは去年まで生活改善グループといっていたのであるが、今年から農村女性担い手グループと言うことになったらしい。
 皆さんの話しを聞いてみると、やはり青枯れや根瘤といった病気で野菜が作れなくなった悩みを持っている。それをなくするためには堆肥やEMポカシを使って有機栽培すればよいという話は聞いて知っている。
 しかし何処へ行ったら買えるのか、どうして作るのか見当も付かないから実行できないのである。
 こんなことぐらい普及センター等の世話にならなくても、一人で探せばなんばでも方法が見つかるものだろうに、なんとも歯痒いことである。新しい名前で新しい気持ちでもって、積極的に有機栽培に取り組んでほしいものである。

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