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市役所の除雪車はとても有り難い   (1999年1月22日)

 珍しく暖気な朝だ。これまでなら雪が積もった道路がぬかるんで、自動車の運転に大変難儀したものである。
 ところが今朝は、私の家の前の小路まできれいに除雪されていて、楽に走ることが出来た。市役所の除雪対策の方々が、天気予報を聞いて昨夜から手を打ってくれていたのであろう。
 市長が替わって新しい市政になった、緊張感と新鮮さがこんなところに感じられて快い朝の出発となった。私達は選挙に当たって、時にはこうした新鮮さを期待する気持ちにもなるのである。
 ところが、大方の市民の願いによって選ばれた新市長が、旧与党の議員によって議会運営に大変苦労している様子が報道されている。これはある程度止むを得ないことと思うが、度を超せば市民不在の多数議員のエゴになりかねない。
 前市長が後任として推した候補者が落選した際に、「新しい市長は間もなく行詰まるだろう。その時は又我々の出番だ。」と言ったという新聞記事を見て驚いた記憶がある。
 まさか今の野党議員がそんなことを目論んでいるとは思わないが、もっと市民に分かりやすい話し合いをして、早く正常な議会にしてほしいものである。

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何年ぶりだろう変人会の新年会   (1999年1月22日)

 何年ぶりだろう変人会の新年会を開いた。今年は津軽新報の元日号に私の記事が出たり、PHP2月号に記事が載るなど俄に周りの関心を引くことになったのである。
 もう10年目にもなれば、ごく当たり前のことのように事態が移っていくので改まって話すこともないのであるが、津川さんが目論んでいる生ゴミリサイクルのプラントは余りに大きい計画なので特に市議会の関心を持ってもらいたいという願いがあった。
 このことはいずれの機会にゆっくり話し合わなければならないことだと思うので、今日はこちらから話すだけで、あとは津川さんが丹精込めて育てた比内鶏も味わってみる集まりになれば良いと思っていたのである。
 17人も集まってくれて、変人会のつながりを深めることが出来たようである。此れ程の方々が私の生ゴミリサイクルを支えてくれているのである。誠に心強いし有り難いことである。
 N建設さんの話では私の作業場が臭いと苦情が出ているということで、大変ご迷惑をおかけしているようである。地元といってもそんなに匂う筈もないし、特に最近は伜が毎日切り返しをして作業場も殆ど匂わなくなっているのである。
 容器を洗った下水も、活性液を使ってきれいにしている。人が何かやりだすと、ねたんで足を引っ張るのは感心できないことである。

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今年は正月から連日の大雪   (1999年1月20日)

  1月7日に降り始めた雪は引きも切らずに14日まで降り続いた。15日にひと休みして、17日はまたまた猛吹雪になる。
 作業場は入り口にブルが寄せていった雪が山のように積んであるから、入るのに容易でない。先ず除雪機で雪を片付けてから、ゴミの作業に取り掛かるから忙しく働かないと、次の日程こ移る時間がない。
 そうそう家から出発するまでに周りの雪を片付けなければならないので、朝の3時10分頃には家を出なければならない。途中の病院や商店も雪が深くて中に入ってゴミを集めるのに苦労する。
 雪の特に多い日は帰りに又除雪をしておかないと、翌朝大変なことになる。14日には余りにひどく降り続くので、夕方出掛けていって除雪をした。
 こんなことは始まって以来の出来事である。作業場の除雪に気をとられているいる間に、家の屋根雪が落ちて煙突が外れてしまった。
 南側もガラス戸や窓が塞がれて、暗くなってしまった。これ以上降るとガラスが壊れてしまう。
 13日に除雪機を持ってきて、伜と二人で南側半分の除雪をする。除雪機が小さくてこれくらいの大雪になると、玩具みたいなもので威力がないものである。とにかく思ったようには除雪出来なかったけれども、ガラスに触れるところは取りのぞくことができた。
 作業場は16日に除雪機を動かさないだけで、毎日除雪をしなければならない有様である。17日には又猛烈な吹雪である。
 去年はやたらに雨が多い年であったが、今年は早々に大雪である。今までの暖冬小雪は嘘のようである。まだ1月中旬である、何時もなら2月には雪が多いのだから、これからどんなことになるか心配である。

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生ゴミ堆肥の熟成具合が良さそうだ   (1999年1月3日)

 伜が鶏舎の床を毎日切り返している。私が一人の時と違って、何時も床がふわふわして湯気がたっている。いい状態で発酵を続けているようである。
 今日から昨年の11月まで積み込んだ生ゴミ堆肥を運び出す作業を始める。
 9月から11月まで積んだ堆肥は臭い匂いもせず、さらさらして良く熟成した状態である。
 先日忠彦さんがりんごを持って訪ねてきてくれた。彼は私の所の堆肥を使ってから4年になる。今まで一度も堆肥の効き目について話してくれたことがない。
 今年は自分が納得できるような味のりんごが出来たようである。食べてみると流石に美味しいりんごである。生ゴミ堆肥だけ使ってこんなに美味しいりんごが出来るのである。
 いろんな作り方をしたりんごの味を比べる機会を作りたいものである。

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新年1999年を迎えて   (1999年1月1日)

 生ゴミに明け暮れていると、20世紀の終盤だというのに、何の感慨もわいてこない。
 11月から始まった週2回のおがくず運びで、特別忙しくなったように感じるのである。
 暮れには29日(火)・30日(水)と2日、全身おがくずにまみれて運搬してくる。
 車のおがくずを洗い落とし、風呂へ入って体のおがくずを洗い流すまでは仕事が終わった気がしないのである。
 年が明けて1月の5日・6日には又運搬を始めることになる1999年はひと仕事忙しい状態で迎えることになる。
 若い頃だと或る意気込みをもって迎える事であろうが、この歳ではだんだん大儀に思えてくるのである。
 とまあ、くたびれて迎えた新年であるが、新聞にこんな記事があった。

 新年は死んだ人をしのぶためにある。
  心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、
   おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ。

 そういえば私が親しくしていただいた方々が、随分早く亡くなった。
 同期の正さん・寛さん・良作さん・淑夫さんは退職して、これからどんなことをしようかなんて考える暇もない位早くこの世を去ってしまった。
 友則さんや多知夫さんはやりたいことが一杯あったようだが、何も出来ずに死んでしまった。清利さんは本人がやりたいこともあったであろうが、周りから頼りにされる才能も十分発揮しないで去ってしまった。
 武弥さんは相当の年配だが畑作について高い見識の持ち主であった。幸作さんや将久先生はよく私を励ましてくれたものだ。この人達はまだまだ生き長らえて、私の話をずっと聴いてほしかった。
 おのれだけが生き残っているのはなぜか、と言ったってそれは寿命だから仕方がないとしか言いようがない。親しくしていただいた方々との関係は大事にしたいけれども、もう途切れてしまった。私は生き残っているのではなくて、命の限り生きているのである。己れの考えに従って行動するしかないではないか。

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修理代が嵩む生ゴミ発酵機   (1998年12月26日)

 取り出し口の扉がすり減って穴があいてしまったので、新明和に来てもらって4mmの鉄板を取り付けてもらった。
 今度こそは大丈夫だろうと思うのであるが、もう2~3年もすればドラム本体もすっかり磨り減って穴が開くことになろう。
 毎年毎年修理費がかかって仕方のない機械である。今回の修理費は7万円で、ちょっと高すぎる。
 修理部品の材料は5~6千円であろうと思って見ているのだが、どうしてそんなにも高くなるのか理解できない。
 冬至も過ぎてこれからは少しずつ日が長くなるのであるが、朝は7時にならないと明るくならない。年末は旅館街もお客が多いようで、生ゴミが沢山出る。
 豆腐屋もかきいれどきの様でおからが毎日どっさり出て、旅館が忙しい土・日には発酵機に入りきらない。平日までとっておくことになる。

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煙のようなほこりを吸い込む   (1998年12月23日)

 水分調節用のおがくずはこれまで二週間に一辺、4トンダンプで運んで来てくれていたのであるが、南林業の休業で途絶えてしまったのである。
  OKさんに探してもらって、KTさんが勤めている平賀町のマルイ製材所から譲られることになった。
 ところがここはこちらから取りにいかなければならないのである。どんな方法にしろこれがなければ仕事にならないのだから、軽トラにコンパネで枠を作って取りに行くことにした。
 11月24日に運んでみたが余り少ないので、翌日また運びに行った。2回運んだらどうやら一週間持ちそうである。そこで一週間に2回(火曜日・水曜日)工場の昼休み時間に取りにいく事をお願いしてみた。
 工場でもこれまで商売人がおがくずを買いに来ていたそうで、そちらの方も止めるわけにいかないから度々運ばれては困るというのである。こちらも別の工場にも頼んで何箇所からも集めるというわけにいかないから、社長さんに事情をお話したら快く協力してくれることになった。
 毎週火水の2日、正午に出発しておがくずを積みに伜と二人で出掛ける仕事が増えたのである。もう4週間も続けてきたが、正直言って大変な作業である。
 先日商売人がおがくずを運んでいったそうで、今回はおがくずの位置が低いので、コンパネを超しておがくずを入れるのは誠に重労働である。
 スコップで放り投げるのも当然ほこりが煙のように舞い上がるのである。マスクをしていても時間が経ってくると呼吸が激しくなるせいか眼鏡が曇るので、ついマスクを外してしまう。
 あの煙のようなほこりを胸一杯吸い込むことになる。
 今日は又薫炭を作るための籾穀も運ばなければならない。境松のTGさんの薄暗い小屋の中から、籾殻を袋詰めにして運ぶのである。ここも又細かいほこりがもうもうと立ち籠めているのである。
 籾穀を詰めている間に、おがくずと籾穀のほこりが気管にへばりついている感じがして呼吸があずましくなくなってきた。吸う息も吐く息も気管の壁にくっついたほこりをかすめて通るよう感じである。
 咳をしてもうがいをしても取れそうにない。これからは油断をしないで、マスクをかけることにしよう。

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来年春に植え付けるりんご苗の世話   (1998年12月10日)

 りんごの苗は秋に植えれば良いという話だが、畑の整備も遅れているようだし、天候も悪くて出来なかった。
 YMさんの畑に寄せ植えしたままだが、ねずみに食われるのを防がなければならない。どんな風にすれば良いかはやってみなければ分からないという全くの一年生である。
 よそで捨てたシルバーシートで根元を囲って、その中にしその穀を入れる作業をした。明日から雪になるという。

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余りの悪天候に天を恨む   (1998年12月9日)

 ブドウの剪定は雨の晴れ間をみて11月14日から始めたのであるが、2日続けたら今度は雪になって全く出来なくなってしまった。
 毎日空を仰いでぐだぐだと恨み言を言って、イライラするのは健康にも良くないと思うのである。
 そうしているうちに深く積もった雪も次第に消えて、11月29日に暫らくぶりに晴れた。それっとばかりに妻とぶどう園に行って剪定を始める。
 12時前から3時半頃までしか作業が出来ないから、どんなに急いでも30メートル位の棚1列剪定するのが精一杯である。
 翌日は曇り、雨や雪が降らなければ作業は出来る。
 12月に入って1日・2日は雪が降って作業が出来ない。3日からまた晴れ間がでて、剪定の作業に精を出す。
 剪定に当たってブドウの枝を固定している紐を外さなければならない、これが又世話のやける仕事なのである。
 12月4日はよく晴れたので妻にも陽子にも手伝ってもらって、枝を押さえていた紐を外してもらう。
 総出の作業で剪定がはかどって、後2~3日で終われる見通しが出来るようになった。
 12月である、何時雪が降ってもおかしくない時期である。日も短くて農作業に適当な季節ではない、今頃田畑に出て仕事をしている人は見かけない。
 12月6日ついにブドウの剪定が終わった。気にかけていたことが一つ片付いたのである。
 剪定した枝も9日には運び終えることが出来てさっぱりした。遅くなったけれども今年の仕事としてやり遂げることが出来た。
 悪天候でさんざん天を恨んでみたが、自然の恩恵を受けて生きる農夫はそんな心がけではいけないものだろう。作業の出来る日があることを喜び、天に感謝しなければならなかったのだと今になって思うのである。
 今年のブドウはコクトウビョウという病気のために、全く収穫出来なかった。この病気の対策は休眠期に農薬を散布するのだするのだそうだが、こんなに寒くなってからでは薬剤散布は無理である。
 私の作業は毎日朝早くから昼までかかるから、別な仕事をするとすれば午後しか作業が出来ない。これだけ広いぶどう園の仕事は始めから無理であったのである。
 KYさんから預かってやってみたものの、不行き届きで満足に出来ない。その上今年は悪天候のために病気が蔓延してしまった。こんな結末で終わるのは気が引けるけれどもぶどう園はお返しするより仕方がない。

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どういう訳か天候異変の様子   (1998年11月23日)

 稲刈も脱穀も雨のためにのびのびになって気が気でなかったが、その後もぐずついた天気ばかりで仕事がさっぱりはかどらない。
 田圃への堆肥運びはどうやら終わったが、りんごの笛木を植えるのも、ブドウの勢定も、家の雪囲いも全く出来なくて、気持ちばかり焦っていたのである。
 ところが11月19日どかっと25cmも雪が積もった。こんなに沢山の雪では消えるのに長くかかると思っていたら、次の日もその次の日もと4日間続けて雪が降ってもう消えそうになくなってしまった。
 気温も-5℃近くになって、服装が完全に冬装備でなかったからガタガタ震えて作業を続ける始末である。雪が降って5日目、今朝は雪は降らなかったけれども、馬鹿に寒い-8℃に近い辺りまで気温が下がっている。
 こうなると今度は生ゴミがバケツに凍り付いて出てこない。バーナーに点火してバケツを暖めながら生ゴミを取り出すから、力も要るし時間も余計にかかってしまう。
 去年は今頃ブドウの剪定をやっていた頃だが、この陽気ではこれから先雪が消えて畑の作業が出来る状態にはなれないだろう。玄関の雪囲いだけは雪を片付けてもやらなければならないが、ブドウの剪定もりんごの植え付けも春先の作業にしなければならないようである。
 ラジオによれば何処ぞの椿が90日も早く咲いたとか、様々な異変が報道されている。今日この頃の気候も3カ月も先の様子である。このままの状態では春も又早く訪れるかも知れない、色々と心支度をしておかなければならないと思う。

 異常気象で秋の農作業が遅れてしまったのは私達ばかりではなさそうである。
 りんご園に入れる堆肥を積みに来る人も来ないので、12月末には空になる予定の第2貯蔵室の堆肥はそのまま残ってしまった。この後搬出しなければならない堆肥の作業も予定が狂いそうである。いろんな事を考えていると憂鬱になってくる。なるようになれで余り深刻に考えないようにしたいものである。
 そればかりではない、今まで2週間に一辺大きな4トンダンプでおがくずを運んできてくれていた南林業さんが、不況で仕事を止めるそうでおがくずが来なくなってしまった。これがないと全く作業がお手上げである。
 岡崎さんにお願いしておがくずの入手先を探してもらったが、ここはこちらから取りに行かなければならないので、又作業が増えることになる。軽トラックでどれくらい運べば間に合うか、これもやってみなければ分からない初めての作業である。
 都合の悪いことも重なるもののようで、発酵機のトラブルが年々起きて、その都度新明和に文句を言ってきた。けれどもバーナーのセンサーやチェーンの金具はそのままで取り替えてくれない。今度は取り出し口の蓋がすり減って穴が開いてきた。これはなんとかしてもらわないといけなくなる。

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忙しい10年目のスタート   (1998年11月4日)

 9月から10月にかけて何となく忙しくて、記録も全く出来なかった。
 9月4日には生ゴミ堆肥の実践をしている蔵館のFTさん夫妻が、美味しいトウモロコシや大きなスイカを持って訪ねてくれて、面白い話を聞かせてくれた。
 9月17日には沖揚平開拓の祖とも言うべきKSさんが神に召された。
 9月16日台風5号のあと雨が続いて、田圃の稲が転んで起こすのに苦労した。
 10月6日雨上りを待ってやっと稲刈りをする。その後も雨続きで乾燥が心配。
 10月9日生ゴミリサイクル全国ネットワークに頼まれて原稿送る。青森の環境を守る会で11月1日に講演してくれるよう頼まれる。
 10月12日「生ゴミは大地を生かす」の著者鈴木喜代春さんが寄ってくれる。
 10月16日我が家の米のお得意さんである京都のうめがきさんが訪ねてくる。
 10月22日・23日PHP出版社から生ゴミ堆肥の実践を取材にくる。
 10月30日午後晴れ間を見てようやく脱穀を終わる。
 その他全滅したぶどう園の施肥、新しくりんご園にする場所の石拾い等誠に忙しかった。
 11月1日の講演会、3日の兄の受賞祝賀会で、予定していたものが一段落して少し開放された気分になる。

 例年になく雨が多くて、白菜等野菜の出来が悪かったものがあったようだ。今年初めて堆肥を買ってくれた落合地区の人達はどうなっただろうか。
 結果によったら来年は堆肥を使う人がいなくなるかもしれない。我が家の家庭菜園は里芋が珍しく見事に成長した。雨が多かったためだろう。
 今年初めて使う水田は去年の水田に比べて土の状態は良いようだ。堆肥を少し多めに入れたので、倒伏するのではないかと心配していたのであるが、9月になってやっぱり転び始めた。雨が降り続いて倒伏がだんだん広がっていく。
 どうしたら良いものか分からないけれども、とにかく倒れた稲を起こすことにした。6株ばかり一緒にして藁で束ねると、うまい具合に立ってくれた。最初に転んだ稲は籾から芽が出ていたのには驚いた。これではまた減収になる。
 去年は反当5俵いかなかったから、今年は5俵以上6俵位が目標である。結果は7俵を超えて、もう少しで8俵に届くところだそうである。
 来年は10俵も夢ではなさそうである。ただ今年の米は砕けるものが多いようで、その訳はよく分からないが、天候のせいではないかと思っている。
 去年の水田はりんご園にする予定で、土地の天地返しと暗渠排水を減反補助でやってくれるということだが、石が多くて天地返しはうまく行かなかったようである。それでも支柱はズラーツと立った。苗木を植えるところを掘ってみると、なんと大きな石がびっしり並んでいる。それにすぐ水がわいてきて、りんごの木を植えるのに適当かどうか分からない。

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畑の野菜がとても美味しい   (1998年9月1日)

 お盆に帰ってくる孫達に食べさせたいと思って、裏の畑はトウモロコシ(ピーターコン)と枝豆(ダダチヤマメ)は毎年欠かさずに植えることにしている。
  有機無農薬で育った本物は小さい子が本能的に分かるらしく、食らい付いたらはなさない。
  春はほうれん草・二十日大根・えんどう、お盆の頃からトウモロコシ・枝豆・キュウリ・ササゲ等大した料理をしなくても実に美味しい。
  裏の畑は盛り土のためかジヤガ芋・なす・大根等はよくできない。専門家のYTさんが私の作った堆肥で育ててくれた芋・ナス・スイカ等を持ってきてくれる。
 ナスは煮てよし焼いてよし私はどんぶりで何人分も食べてしまう。南瓜はいつも種を買うのであるが、それを植えないうちに自然に芽を出すのがあって今頃沢山南瓜が実るのである。
 ホクホクした美味しい南瓜ではないが、アズキやササゲ豆と一緒に煮て食べると結構美味いものである。
 自然食愛好会等と有機無農薬の野菜を探している人達のグループも多いようだけれども、こんなに美味しい野菜を私達はどふんだんに食べている人はおそらくいないのではないだろうか。これだけでも生ゴミリサイクルを続けている甲斐があるし、実に幸せであると思っている。
 これが又私の健康の源ともなっているのである。世の中には野菜の嫌いな方もいるようだが、野菜がこんなに美味いものだとは思っていないのではないだろうか。

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悪天候が続いてブドウが全滅   (1998年7月19日)

 6月28日芽欠き終える。6月10日頃から枝結び・芯止めは雨の日が多くて、なかなか作業がはかどらず6月22日に終わった。緑豊液を散布して病気や害虫予防をする。
 その後ずっと曇りや雨のぐずついた天気が続き7月10日に、手入れに行ったらコクトウビョウが全体に広がって、手の施しようがない。
 秋の休眠期まで待って、それこそ農薬で徹底的に黴菌を殺さなければなるまい。ブドウは全滅したけれども、秋の剪定のために巻き髭を切ったり副梢を取りのぞいたりする作業は当たり前にやらなければならない。それは大変気が重い仕事である。

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今年もまた生ゴミ堆肥で米作り   (1998年7月18日)

 伜が農業を志して3年目、まだりんご園の準備も出来ないでいる。去年の米の評判が良くて、今年も又米作りを始めることになる。
 米作りといってもせいぜい僅かばかりの田園を買う位で、後は米作り農家に助けてもらわないと何も出来ないのである。
 TTさんは米作り専門の農家で、万事快くやってくれている。
 今年の苗作りについては、山形県のTHさんから学んだ方法で取り組んだ。つまりハウスもトンネルも使わないで、苗箱に薄い布みたいなものを被せるだけで、苗代に並べるのである。
 霜に注意しなければならないだけで、手間も経費もかからない有り難い方法である。苗の成長は遅いけれども、自然の状態で育つから丈夫になるというのである。
 TTさんは苗を育てる土にEMのポカシを混ぜているそうだが、TTさんは何の躊躇もなく私が作った堆肥を入れたのである。
 私の所は去年堆肥で育てた「つがるロマン」、TTさんも今年からロマンを植えることにしてよそからロマンの籾を買ってきて植えたそうである。ところが4~5cm伸びた頃から黄色く枯れだしたのである。
 私の所は本の少しだけれども、TTさんの所は半分くらい枯れてしまった。TTさんが買ってきた籾は化学肥料で育てたものであろうし、私の所は曲がりなりにも堆肥で育てたものである。籾の生命力の違いが、こうした病気に対する強さにも現われるのではないだろうか。
 TTさんは毎日のようにEM液を掛けて、病気の苗を立直らせたそうである。
 私達の苗は小さいけれども太くて根がすごく丈夫そうである。よそのハウスやトンネルでは苗の伸びが早くて田植えを急いだようであるが、私の所は5月25日にようやく植えることが出来た。
 6月後半から7月始めにかけて稗抜きをする。稗が多いのは前の年の管理が十分でなかった為ではないかと考えている。
 この頃になると早く植えた周りの稲に追い付いてとても丈夫になってきた。去年は堆肥を入れすぎた所が青くこんもりしていて、後で倒伏したのと似た感じで、今年は全体が倒伏するのではないかと心配である。ただ苗の育て方が違うから、結果がどうなるか待遠しい位である。

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生ゴミ堆肥の問題点を考える   (1998年6月30日)

 私の作った生ゴミ堆肥の効果に驚いて浪岡のIBさんが先ず実践し、それが隣近所に広がっていったけれども、生ゴミをより沢山集めて堆肥を増やす程の気持ちはIBさん以外にはなかったようである。
 同じ頃、生ゴミリサイクルを始めた本郷の母さん達も、今は殆どやっていなくて有機配合肥料を使っているという話である。
 IBさんやTTさんの生ゴミ堆肥作りは、農業を営む人達にとって一つの目標にしなければならない実践であろう。今回見せてもらった高野のグループや岩崎町のMYさんの堆肥作りはIBさんの実践を手本にして、普及センターの皆さんが大変ご苦労されて実を結んだものである。小泊方面にも実践者が増えているということだから、本当に喜ばしい話である。
 生ゴミは捨ててはいけないものであり、堆肥にして土に返すものであることを皆に分かってもらわなければならない。
 岩崎のMYさんでは、魚を加工した粗のやり場が無くて困っている業者が、その粗を持ってきてくれるのだそうで、私達のように集めに回っている者には羨ましい話である。それでも未だ深浦方面では魚の加工業者が粗のやり場がなくて、海へ捨てたりゴミ焼却場で焼いてもらったりしているそうである。
 先日訪ねてきた平内町のホタテ加工業者も粗のやり場がなくて困っている話をしていった。それでは生ゴミの処理に困っている業者がリサイクルを考えればよいのではないか、ということになりそうであるが、それもなかなか問題が多いようである。
 宮城県のイセファームでは大量の鶏糞のやり場に困り、発酵させて堆肥にすることになった。ところが折角作った堆肥が殆ど売れないので、堆肥製造を中止したという話である。
 材料が鶏糞だけの堆肥は、私のように雑多な材料を使った堆肥と、多少効果に違いがあるかも知れない。けれども土壌改良という緊急の課題を解決するために、全ての農家に使って頂きたいと思うのである。
 産業廃棄物を持て余している所で堆肥化しても、使ってくれる人がいないと問題解決にならないのである。そうすると堆肥を必要とする側が、生ゴミを引き受けて堆肥を作るようにするのが一番良い方法なのである。
 仮に生ゴミを無駄なく堆肥化出来たとしても、全ての農地に十分施すには少なすぎるのである。そこで藁を焼き捨てないで土に返すことや、減反部分にトウモロコシ等を育てて土に入れることなどなど、やらねばならないことが山ほどあるような気がする。
 一人一人が行動を起こさない限り、農業の将来は明るさを見いだすことは出来ない。
 私は9年間も堆肥作りを続けてきた。今ようやく堆肥の良さを実際に体験して分かった人が増えてきて、私の作っている量では需要に応じ切れなくなってきた。早々に新しい施設を作って、有り余る生ゴミ・畜産の糞尿等を堆肥化する手立てを講じなければならない。
 時期的に大量に出る生ゴミは私が使っているような発酵機では処理しきれないので、これは別な施設を使わなければならない。

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生ゴミ堆肥の実践状況を見る   (1998年6月23日)

 農業改良普及センターの方々のご努力で、生ゴミ堆肥の実践者が増えてきていることを聞いていたので、何時かは見たいものだと思っていたのである。
  今日は農業改良普及センターのUMさんとKDさんがお仕事を休んで私を案内してくれた。
 ・五所川原市高野、此処は木造センターに勤務しているSKさんが住んでおられる所で、SKさん一家で実践している様子を手本にして30人のグループが取り組んでいる実情を見せてもらった。
 熟成槽は幅1メートルの土木用ポリエチレンネットを直径約1メートルの円筒形に組み立てたものである。殆どが家庭から出る生ゴミだから、余り大きな熟成槽は必要ではない。
 熟成槽を置いている場所が家の近くだから、はえがわかないように工夫している。周りも上も生ゴミが露出しないように藁を丁寧におおい被せているのである。
 出来上がった堆肥は夫々の畑で使うことになるのであるが、野菜の出来栄えも良いし味も大変良いということである。昔の肥山の感じで全ての農家が真似してほしい形である。
 五所川原市役所ではゴミ減量の奨励として、発酵菌を配布してくれているということである。活動の様子は去年の11月iこ農業共済新聞に大きく紹介されている。
 此処から鯵が沢普及センターに行き、そこからNSさんの案内で岩崎村へ向かう。
 長い道中だがお天気はよし海がきれいで、絶好のドライブ日和りである。深浦で美味しい焼き魚の昼食までご馳走になり、いわれのないもてなしを受けて恐縮する。
 ・岩崎村のMYさんは田圃の中に、直径2メートルの熟成槽を5基も作って大々的なリサイクルである。
 春先からホッケの粗を持ってきてもらって、おがくずと交互に積み上げたという。
 ・今も臭いにおいが漂っているが、広い田圃の真ん中だからどうということもあるまい。余り匂わせない方法も考えられるが、これくらいで立派な堆肥が出来るんだったらこれ以上作業を加える必要がない。
 出来上がった堆肥は田圃に幾らか入れたけれども、家のおにぎりは特別美味しいと仲間の評判になっているという。
 畑では野菜の出来栄えが良くてよその畑とは比べ物にならないと自信を持っているようである。
 MYさんは普及センターの案内で浪岡のIBさんの実践を見て、やってみようと思ったようである。
 ところが家の裏に熟成槽を設置してやってみたら、臭いがひどくて隣近所にも迷惑になるので、今の田圃のなかに移したのだそうである。
 今年は天候の関係でホッケの処理が不足だったから、3000箱位しか出ないが、多い年だと4000箱以上にもなるから、もっと出来る準備をしておかないといけない等と言っている。
 MYさんは有り余る魚の粗を利用して是非堆肥を作りたいと思っているし、加工業者の方は捨てるのに困っているものを処理してもらえるのだからとても有り難いことなのだ。
 このように両方の願いがうまく噛み合えば、事は順調に運ぶのだがそういかないところに問題があるようだ。

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