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今日は1996年の元旦   (1996年1月1日)

 年の暮れは大層な予報にもかかわらず雪も多くなく、寒さもそんなに厳しくない天気が続いた。
 明けて1996年の元旦は、朝から猛烈な吹雪に見舞われた。
 津川さんは今日も病院のゴミ集めに行ってるはずである。さぞ難儀をしていることであろう。津川さんの方は旧事務所の下を網で囲って、廃鶏を200羽入れておからを発酵させた餌30転位でまかなうというのだから驚きである。今のところ私がやった時と大分様子が違って、死ぬ鶏も一割以下で元気になってきているようである。
 津川さんがおいでになってから、FM豆腐屋のおからと黒石病院の残飯を集めるようになって生ゴミの量が増えたから、二日で発酵機を運転出来ることもある。ただ病院の生ゴミは水分が多過ぎて具合が余り良くない。又おからは時に量が多すぎて困ることもある。それでおからと米糠を混ぜて、水分調節剤におがくずを入れ発酵菌を振り掛け自然発酵の試験をしてみた。
 一週間ほどして60℃位になって、発酵が進んできたようだ。この分ではおからも余さずにうまくいかせそうである。
 おからの自然発酵や津川さん手作りの餌で鶏を飼うことも巧くいけば、皆に広めたいものである。7年目の元旦は作業場の整備に伴って、内容も更に充実するように工夫をしてまいりたいものである。

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いよいよ迫った年の暮れ   (1995年12月28日)

 暴風雪・雪崩・大雪などなど沢山の注意報・警報が出て、身構えていたのであるが、関西地方や北海道に大雪が降って、こちらは20cm位の軽い雪で済んだ。
 今年は私の生ゴミリサイクル運動も7年目を迎え、作業場の様相が一変した。そして内容を充実しなければならないと考えていたところへ、津川さんがおいでになって年内には今までの約2倍の処理量になる見通しがたった。
 津川さん自身の当初計画であった養鶏はもう始まっている。廃鶏200羽を入れてやや大胆なスタートである。これからいろいろと面白い展開がありそうである。
 今までは余り金をかけないでやってきたのであるが、それも限界にきて一挙に施設設備を整えた。そのためにまだ未払いの物もあるが、大層な金がかかった。これもなりゆきで仕方の無いことである。
 私の運動の中で、TTさんの生ゴミ堆肥の稲作の実践は最も大きい出来事である。ここから堆肥を買っていって使うのも第1段階として仕方の無いことだが、やはり自分で堆肥を作って使うようになってほしいと考えるのである。
 そして良いものを安く提供するという農業を実践してほしいと願うものである。

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作業は楽になったがこれからどうする?   (1995年12月18日)

 連日吹雪で12月中にこんなに沢山雪が積もるのは珍しいことだ。それでも新しい除雪機を備え付けたので、雪の心配は無い。その上、津川さんが作業場に住み込んで、私の着く前に除雪をしてくれるので、今までのように大雪のために作業が遅れるようなことはない。
 塩を含んだ産業廃棄物で鶏舎の床の発酵が止まってしまったのに、MUさんも津川さんも倅も一生懸命に掘り起こしてくれたお陰で、大分具合が良くなった。私一人だと大変苦労もしただろうし、もっともっと時間もかかったはずである。
 先日OSさんから貰ってきた廃材も、津川さんが薪に使えるように短く切って積みおわった。驚く程仕事が早くきれいに片付いていくのである。
 こんなに楽になっただけで良いのだろうか。お金にならない仕事に人手を増やして楽をすることは理屈に合わない。今までより早くできたとは言っても、これまでの一人分の仕事の量しかないのである。
 津川さんと二人になったら、堆肥も二倍出来るようでないと駄目なのだ。こう考えると新しい展開が必要になってくる。
 そこで津川さんが生ゴミを集めて歩けるように、トラックを準備しなければならない。先日N建設さんにお願いしたら、すぐまわしてよこすという話であったが、これ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。
 三菱自動車に軽トラックをお願いしたら、中古は見つからないということだったので、新車を注文した。100万円程かかると言っていた。これで津川さんも思うように活躍できて、新しい発酵機も持てる力をより発揮できれば十分である。

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お願いしていた除雪機入る   (1995年12月13日)

  雪は8・9日の大雪から小康状態が続いてきたが、そろそろどかっとやってくる頃である。その前に薪や修理に使う廃材を運んでおかなければならないと思っていたところ、昨日TTさんの奥さんがトラックを運転して小山内製材所から運んでくれた。この度は薪用だけの廃材であるが、冬の準備が整ってほっとしている。
 今朝はひどい吹雪の中を、N商会の主人が除雪機を運んできてくれた。NHさんが手を尽くして頼んでくれたものである。偶然にも盗まれた除雪機と同じ型の新式である。弁償には丁度よい機械である。これで冬の備えは万全である。

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ちょっと早い大雪となる   (1995年12月9日)

 毎年同じようにやってくる冬だけど、雪や寒さにはそれぞれ特徴がある。昨日は濡れ雪が30cm近く積もっていて、車が坂の上がりかけで止まってしまった。
 すごく重い雪で雪掻きが大変である。津川さんが大奮闘してくれたおかげで、きれいに片付いた。
 今朝は軽い雪だけれども30cm以上の降雪である。入り口にはブルトーザーでの排雪が高く積まれてある。これでは車が入ることは到底無理である。
 入り口に車を止めて雪掻きに取り掛かる。津川さんはもう雪掻きに取り掛かっている。除雪機があればこんなに苦労しなくて済むものを、昨日NHさんが尋ねて来たときに決めてもらえば良かったと後悔しきりである。

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どうなるこれからの米作り   (1995年12月1日)

 田舎館のFTさんがやってきて、「今年売った米が美味しくないといって、返された」というのである。米作りには死活問題で、これからどうしたら良いものかと皆頭を抱えているそうである。化学肥料で作っても、自家用は自然乾燥するので美味しいのだが、コンバインで取り入れる米は本当にまずいと本人が言うくらいだから間違いないだろう。
 この人達は売り渡した人から「米がまずい」といって返されることを予想出来なかったのであろうか。今になって大騒ぎしても、他力本願では何の解決にもならない。有機栽培に切り替えて、美味しい米を作る以外に方法がないからである。
 今年から堆肥で米作りをして、美味しい米が出来たと喜んでいるTTさんとは、対照的な話である。こんなことが起ると、米作りも自分で努力しなければ生き残ることが出来ない。りんご作りも同じことであるが、堆肥を作って土作りをすることに力を注がなければなるまい。
 農協や行政の指導者達はこうした現実をどう考えどう対応しようとしているのか。単に美味い品種に変えるといった対策では、根本的な解決にはならない。化学肥料や農薬の多用は土の自然を破壊している事も重大だし、その作物は美味しくないばかりでなく、人間の健康を侵してきている事実を改めて認識すべきである。

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水溜まりを取り除く工事が終わる   (1995年11月30日)

 第二鶏舎と第一堆肥貯蔵室の前の部分に水がたまって使う事が出来ない。水が入らないようにコンクリートを盛ってくれる工事をお願いしていたのであるが、今日ようやくやってくれた。ミキサー車の生コンをあけて、銀で丁寧になでてくれた。小一時間かけて仕上がった。
  近頃は天候が悪くて、しょっちゅう雫が落ちてくるから穴が出来るかもしれない。これで作業場の整備を進めることが出来る。

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鶏舎の天井にシートを掛ける   (1995年11月25日)

 新しい鶏舎の天井は鉄骨とたる木を組み合わせてその上に網を張ってある。これまでの経験では、冬になると吹雪が網の上にたまって、網を支えている針金が切れるのである。
 今度はそういうことはないだろうけど、網の上にたまった雪が融けて雫がたれてくるに違いない。網の上にシートを張りたいと思っていたのであるが、シートを鉄骨やたる木に結付けるのは一人では出来ない。今日は三浦さんが手伝いに来てくれたので、津川さんと三人である。ゴミの作業が終わってから、お願いしてシート張りの作業に取り掛かる。
 シートの穴に針金を通して、鉄骨やたる木に結び付けていくのである。足場が丈夫になったとはいえ、高い所での作業は足がすくんで捗らない。上から通した針金を、見当つけて上に返してよこす作業も大変なようだ。
 第二鶏舎の天井をどうにか張り終えて、第一鶏舎の最終の作業である後の部分を止める時に、強い風が吹いてきてシートが丸く吹き上げられた。そうすると止めていたシートの穴が切れてシートの端が舞い上がった。これは凄い力である。慌てて長い板やたる木を使って、シートの上から釘をうって止めた。
 こんなことまで考えていなかったので、シートの上から止める木の準備はしていなかった。後で適当な木を探してきて、しっかり止めておかないと風で破れてしまうことも起るかもしれない。
 これでひと先ず吹雪になっても、そんなに心配しなくてもよくなった。

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鶏舎の床は機嫌が悪い   (1995年11月24日)

 二つのゴミ業者から「おから」や山菜のゴミがどんどん入るし、人手も多かったものだから2000リットルの発酵機が二日に一回の運転となった。そのために鶏舎の床が大分高くなってきた。
 ところが特に山菜のゴミは水分が余りにも多くて、床がべとべとになっている。空気を送るために鍬で掘り起こしても、大分下の方まで水分の多い層が続いていて、発酵は止まった状態である。
 更にウドやワラビやフキの長い茎がそのままになっていて、状況を一層悪くしているようである。発酵が止まっている所は塩分が多いことにも原因があるのであろう。
 こうした床の状態を改善するためには、隣の鶏舎から乾いた部分を運んできて、水分の多いところに混ぜながら切り返しをしていこうと思っている。余りの忙しさに発酵菌の機嫌を損ねてしまったようである。

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大量の生ゴミを処理するのはさすがに大変   (1995年11月20日)

 発酵機の容量が2000リットルだから、何としても生ゴミの量を増やさねばならない。
 けれども自分で集めに回るには時間も体力にも余裕がない。それでゴミ収集業のKDさんと別の会社のWB社長にお願いをしていたのである。
 KDさんは実際に集める人だから、こちらの注文通り袋詰めのおからを週一回10袋位届けてくれている。これを3回くらいに分けてもらえないかと注文しているが、なかなか面倒らしい。
 一方WB社長の方は或る食品会社の生ゴミだそうで、一回に60袋位と大量に届けられる。
 最初は一人で悪戦苦闘、2日がかりでやっと発酵機に収める事が出来た。中身はワラビ・キノコ・ウド・ゼンマイ・タケノコ・フキ等の山菜が殆どで、中にはビニールの紐や輪ゴム等がやたらに多く入っているのもある。これらを取り除く作業は袋から床に資料をあけてゴミを拾い、それをバケツに詰めて発酵機に運び入れるようにしている。
 3回目(11月17日)は50袋位で、津川さんの応援で邪魔なゴミを取り除いて半分だけ発酵機に入れることが出来た。
 ところが翌日又60袋程積んであった。この日はMUさんも手伝いにきてくれて、3人でビニール・ナイロンを取り除く作業を展開した。それでも10袋位余って、たった一日で発酵機を運転できたのである。
 今日は発酵機から約1トンの資料を運びだしたのであるが、具合の悪いことがいろいろ出てきた。
 先ず発酵の具合が何時もと違って、良い匂いがしないのである。考えてみたが良く分からない。そうしている内に発酵資料を広げた鶏舎の床に、寒冷紗の袋に入った岩塩が幾つも見つかった。この山菜は塩漬けであったのではないか。
 早速床のウドの茎をかじってみた。すごく塩辛いのだ。発酵の巧くいかない訳は塩漬けのせいであったようである。このままではこの生ゴミを断るか、ここで塩抜きをして使うか考えなければならない。
 次に困ったことは、ウドやフキの長い繊維がドラムの回転につれて、太く長い縄のような状態になるのである。これが中のセンサー等に引っ掛かってなかなか出てこない。引っ張っても取れないで散々苦労するのである。
 これは発酵機に入れる前に包丁で刻んで入れるようにすればよいのであるが、こんなに沢山あるのでは大変である。
 ともかく2000リットルの発酵機を1日1回運転するのでは、二人がかりでしかも生ゴミの状態と分別が良くないと出来ないようである。
 2日に1回運転するにしても、提供される生ゴミがリサイクルに適してなければならない、となるとそう簡単なことではない。
 今回のように塩漬けでは困るし、やたらにビニールやナイロンが混じっているようでは手間が掛かりすぎる。
 リサイクル事業は作業する側とゴミを提供してくれる側とが一体とならなければ巧くいかないものである。
 こんな分かり切った話をしても始まらないのであるが。さてももう少し良い具合に進展しないものであろうか。

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堆肥の熟成を促すための作業   (1995年11月18日)

 旧第1鶏舎の跡に積み残してある堆肥は乾燥して、熟成が止まっている。鍬で掘り起こして、じょうろで水をかけてやれば再発酵が始まるのであるが作業が多くなって中々進まない。津川さんがおいでになるので、その作業をお願いする事にした。
 鍬で掘り起こして水を掛けるのは、発酵菌が活躍するために必要な酸素(空気)と水分を補給するためである。乾いて干物のようになった固い床をほぐして、水を掛けてやると翌日は確実に発酵を始めて熱が出てくる。発酵菌が芽を出して活躍を始めた様子が実感できる瞬間である。
 これはやってみた人間でないと分からない醍醐味である。こうして再発酵を始めてから2~3カ月おいて、大分熟成した堆肥になるのである。堆肥が熟成しているかどうかは、その判断が中々難しいもののようだ。

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倅は知り合いのリンゴ園で修業を始めた   (1995年11月17日)

 農業をやるといって帰ってきた倅は、話を聞いてみると無農薬でりんごを作ってみたいという。いきなりそんなことは出来る訳もないし、そんなことをやるとしても先ずりんごの作り方を学ばねばならない。
  転居の手続きも一段落したようだから、広葉園のODさんにお願いをして技術を修得するように勧めた。16日はお天気が良かったので、ODさんのリンゴ園に出掛けて教えを乞う。
 その日から「ふじ」の収穫が始まったといって、手伝いの人もたくさんいて大忙しである。リンゴの収穫から勉強すれば、楽しく希望をもって栽培技術を修得出来るかもしれない。一人前にりんご栽培に取り組めるのは何年後のことであろうか。

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津川さんが活動を始めた   (1995年11月17日)

 津川さんは11月4日に見えてからいろんな所へ精力的に走り回り、14日に事務所跡に居を構えて15日から私と一緒に活動を始めている。
 今朝は処理業者が持ってきた生ゴミの袋が50程置いてあって、私一人ではこれに掛かりっきりでも持て余すほどの量である。
 何せゴミ袋の中にはビニール等の取り除かなければならないゴミがやたらに多く入っているのがあって、それを摘み出すのにすこぶる手間と時間が掛かるのである。
 ところが津川さんは大変手際が良くて、落合へ出掛ける前に片付いてしまった。
 今日は発酵機から飼料を取り出して、更に大量の生ゴミを処理したのだから、たっぷり二人分の作業をしたわけである。こうなると二人の共同作業の意義があり、大きな発酵機の有り難さも分かるのである。
 これからはこれだけのゴミが毎日運ばれてきても良いのであるが、処理業者はそんなに都合よく運んできてはくれない。
 ある時どっさりと多量のゴミが置かれているという感じである。津川さんもいよいよ本気にやりだすようだが、これから雪と寒さの季節は大変である。体をこわさないように祈るばかりである。

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新米の試食会に出席した   (1995年11月13日)

 弘前の「天かつ」さんで、新米の試食会をしたいから知り合いの農家を何人か連れてきて欲しいということであった。私は堆肥の実践をしているIBさんとTTさんを誘って出掛けた。
 20人程の人達は「天かつ」さんが懇意にしている農家で、それぞれ堆肥を使ったりEMを使ったり、斬新な農法を実践している人達である。
 米の試食はTTさんの生ゴミ堆肥で栽培した「つがるおとめ」と三人の「秋田こまち」であった。食味の結果は「秋田こまち」に比べて、「つがるおとめ」は一段と劣るという結果であった。
 私はそう思わなかったのであるが、ご飯の食味を決定するのは何なのか分からないので文句のつけようがない。TTさんには気の毒なことをした。
 持っていったシャモロックの水炊きは皆美味しいと言っていた。脂の色や脂ののり具合が素晴らしいものだと、調理人が驚いていたようだ。この様子だと常田さんの所で来年はシャモロックを育ててみたほうがよさそうである。
 有機栽培を実践している人達が交流することは大変意義のあることである。

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名古屋から倅がUターン   (1995年11月12日)

 生ゴミのリサイクル運動7年目は、早々から画期的なことが起こっている。
 ・生コン工場跡の大部分を堆肥工場として使うことになる。向かって左から、生ゴミ発酵場・資材置場・第1鶏舎・第2鶏舎・堆肥貯蔵室2で、これまであずかっていた農家の機械を撤収してもらったので、すっきりして雄大な感じになった。
 ・新しい発酵機が入る。容量が2000リットルと黒石市に相応しい発酵機である。これも酒井先生はじめ学生さん方新明和工業株式会社のご好意によって実現したのである。
 ・鶏舎が装いを新たにした。工藤建設の専務さんにお願いをして、専門職に頑丈な天井を作ってもらった。もうこれで鶏が猫に捕られる心配もなくなった。
 照明の位置を変えたり、鶏舎の中の造作をしたり、余った金網や鶏舎の天井に張っていたがらくたをKDさんに捨ててもらったりして、新しい生ゴミ堆肥工場の姿が見えてきた。
 こうして新鮮な気持ちで活動を開始したところへ、津川さんが現われて私の事業の一翼を担いたいという申し出でがある。私が考えている有機栽培の勧めが大幅に発展することになるかも知れない。

 さてもう一つ画期的なことが起こりそうである。それは三男が名古屋の鉄工所を止めて帰ってきた。心機一転農業をやりたいと言うのである。米を始めとする農産物の自由化等もあって、農業をやめたいと言う農家が多いときに、敢えて農業をやるというからにはいろいろと考えた結果のことであろう。
 さしずめどうやって食っていくのであろうかという不安はあるけれども、こうした心意気に陰ながら声援を送りたい気持である。

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東京から津川さんが来訪   (1995年11月11日)

 名刺には「シーラックグループの銀河企画」とあるが、いろいろ説明を聞いてもなかなかのみこめない。分かることは酒井先生がZ菌を広めるきっかけとなった内城農場の発酵菌と、発酵機を作った人達が協力して生ゴミリサイクルを推進させる会社のようである。
 私が使っているZ菌の元祖である内城菌とシーラックという会社で改良を加えてきた発酵機で、私のよりも短期間に堆肥が出来ると言うのである。その方法を広めるためこ単身乗り込んできたそうである。
 堆肥が短期間で熟成すると言っても私の体験では俄に信じがたいけれども、言っている内容は確かである。
 さて彼が言うには、私と一緒に何年間かここでやっていろんな夢を実現したいと張り切っているのである。N建設さんも津川さんの情熱にほだされて、下の事務所跡を提供することにしたようである。
 ここへ来て11日目で、作業場に腰を据えて活動を始める準備を進めている。誠に驚くべき人が現われたものである。

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派手に降ってきた初雪   (1995年11月9日)

 初雪が派手に訪れた。何時もなら田圃や草原が真っ白になっても、道路の雪は消えているのだが、今日は道路も真っ白である。もたつく雪の上を夏タイヤでは誠に心許ない。
 作業場で吹雪の中で、冬タイヤに取り替える。これで安心して走れる。
 でも帰る頃には道路の雪も消えていた。冬タイヤが消耗するのも心配である。何せこの調子だと4月頃まで半年も冬タイヤで走ることになるからである。

 旧第1鶏舎の解体も殆ど片付いた。新しい第2鶏舎に混ぜた鶏達は暫らくもめていたが、やっと落ち着いたようである。やはり若い鶏が5羽いじめられて死んだ。
 貯蔵室は水がたまって使われないので、修理をお願いしていたのだが雪が積もる前に出来るだろうか。

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新しくなった鶏舎へ鶏を移動   (1995年11月1日)

 9月15日に入れた鶏、約100羽は馴れる迄、古い鶏と一緒にされないので、新しくなった第2鶏舎に放しておいた。
 1カ月半たって大分たくましくなったので、予定通り旧第1鶏舎の鶏達と一緒にすることにする。
 旧第1鶏舎の鶏を暗いうちから2羽づつ捕まえて新しい第2鶏舎に移す作業をする。だんだん明るくなるにつれて、鶏が活発になってなかなか捕まらない。
 ここの鶏も約100羽いるから、第2鶏舎は200羽の所帯となる。産卵期に入った大きな鶏だから、壮観である。
 新しく第2鶏舎へ移した鶏は、6月3日に入れたシェーバー69羽と去年入れたノーリンクロス30羽、それに雄鶏2羽である。
 古い第1鶏舎は役目を終えて、解体を始めることになる。

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生ゴミ堆肥で作った新米を頂く   (1995年10月29日)

 浪岡のTTさんが、去年水田に生ゴミ堆肥を使いたいといって、10万円払って100袋持っていった。私は果樹も野菜も水稲もみんな堆肥を使うべきだと考えていたので、何とか成功して欲しいと思っていた。
 先ず1反歩の田圃では3トンの堆肥が必要だと覚えていたので、もう100袋(1.5トン位)提供したのである。ところが1枚の田圃は3反歩だそうで、これでは元肥として全く足りなかったわけである。
 TTさんは自分で作った生ゴミ堆肥を加えながら、1枚の田圃で何とか堆肥だけの稲作を成し遂げたのである。
 この運動を始めてから7年目にして、ようやく堆肥による稲作を見ることが出来たのである。収量は反当8俵位で4俵程の減収だそうだが、常田さんは今後に期待をかけているようである。
 米の自由化に向けて農家の工夫や努力が必要なことは勿論であるが。野菜や果樹と同様に米も又、化学肥料で育てたものと堆肥で土作りをして育てたものでは、収量は少ないかも知れないが、人間の健康に及ぼす影響が自ずから違うのではないかと思うのである。
 新米のせいもあろうが、芳ばしいご飯の香りが部屋いっぱいに漂って嬉しくなる。こんな美味しいご飯は暫らくお目にかかったことがない。

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やむを得ず貰った鋸が役立った   (1995年10月28日)

 退職して間もなく、せがまれて暫らく町内会の役員をしていたことがある。その時東地区の運動会で60才以上の種目に出る人がなくて、何度も走らされた。
 私は足がのろくて小さいときから運動会は余り好きではなかった。けれども60才以上の高齢者の種目では、60才になったばかりの私は他の人より馬力があったのである。
 そんなわけで、出るたびに賞を頂くことが出来たのである。地区の運動会では、各商店から寄付された売れ残りの商品がどっさり準備されていた。重宝な家庭用品は欲しい人に上げてしまって、鋸だけは貰い手がなくて家へ持ち帰ったのである。
 ところが生ゴミの仕事をするようになってから、鶏舎の中の止まり木や巣箱を作ったりする木の工作が沢山出てきた。そこで運動会で頂いた賞品の鋸が大変役に立ったのである。しかもこの鋸はすごく切れ味が良くて、作業がとても楽にやってこれたのである。
 その愛用の鋸も随分酷使したから、さすがに最近は切れなくなって新しい鶏舎の工作は大儀になっていたのである。
 昨日金物屋さんへ釘を買いに行ったついでに鋸の事を聞いてみたら、専門の大工さんが使う鋸だといって使い易そうな鋸を見せてくれた。最近は大工さんも鋸が切れなくなっても目立て屋さんにやらないで、替え刃があって取り替える方が、かえって良く切れて安上がりだと言っているそうである。
 俄然欲しくなって買い求める、値段は3500円、それほど高いものではない。今朝は新しい鋸を持って作業場へ出掛ける。早くこの鋸を使ってみたい、なんか子供のように心が弾んでさわやかである。まだ若いんだ。

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