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今年の堆肥は殆ど出尽くしてしまった    (1995年4月3日)

  今朝ボーリング会社のTHさん夫妻が堆肥を運びに来た。去年この堆肥を入れた野菜がこれまでになく良く出来たし、味も頗る良かったから今年も是非使いたいというのである。お婆さんが楽しみにしていた農園だが、余り良く由来るのでお婆さんをそっちのけにしてやっているのだという。
 20袋程積んで行ったら我が家で使う分しか残らない。来年の分は足りなくするのではないかと少し心配である。
 そういえば卵の方もその日の内に無くなってしまう状態である。今年は雛を200位入れなければ需要に応えられないようである。今の鶏達が卵を産めなくなったら、催促が多くて大変なことになりそうである。
 今朝は広葉園のODさんも見えて、魚の粗を発酵させることについて話し合ってみた。Z菌1kgを譲ってあげた。

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発酵機が2日に1回の運転となる    (1995年4月1日)

 3月23日にホッケの粗50箱程運んでから、1回に12箱(1箱20リットル・約20kg)入れて、北山青果の野菜屑をりんご箱16(2日分)入れるともう発酵機は一杯になってしまう。それに家庭のごみ200~300リットル入れば2日で運転しなければならなくなる。
 ホッケの粗は水分が多いし、野菜屑も発酵機を運転し次第量が減って水が出てくるから、おがくずを大量に入れなければならない。それに野菜屑の大方はキャベツの葉っぱだからやたらに嵩張んで、1日目に少し発酵機を運転して葉っぱの量を押さえておく必要がある。そんな訳でバーナーの灯油も多く要ることになる。
 こうして出来る発酵飼料は今までのように黒くなくて、多少おがくずに近い色になる。発酵機を1日おきに運転することになると、当然仕事もきつくなる。ホッケの粗が入った重い魚箱をあけるのは屈強な若者の仕事である。それに魚の液が跳ね返るので家中生臭い。ぼやきながらも10日近くかけて、50箱の魚の粗はきれいに処理できた。
 魚箱も全部焼いてしまった。周りに漂っていた生臭い匂いは消えてさっぱりした。高賀野のホッケ工場へ粗を処理した報せをし、状況を聞いたら粗が余って困っているということであった。それでは少し手伝いしようというので、今日又40箱積んで作業場へ運んだ。今回の粗は日にちが経っているようで、前回のものより生臭みが強烈である。これだから生ゴミは新しいうちに処理しないといけないのだ。早いとこ始来してしまいたいものである。

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土着菌と天恵緑汁について    (1995年3月29日)

  「強力パワーの土着菌・植物活性力を利用する」という新聞広告を見て、現代農業4月号を買ってきて読んだ。土着菌は林の中の腐葉土等を採ってきて、ご飯や米糠に黒砂糖を混ぜて培養し、これを直接畑に撒いたり堆肥を発酵させるために使って効果を上げているというのである。
 天恵緑汁は草でも木の芽でも選りもぎした果実でも黒砂糖漬けにした汁の事で、作物の株元に掛けたり葉面散布して効果が大きいというのである。更にニンニクやトウガラシを使った天恵緑汁はアプラムシの防除に特効があるという。病虫害防除に使うためには焼酎・米酢・果糖を使ったストチュウに混ぜるという事も書かれている。
 万田酵素のような作り方や使い方が天恵緑汁や良く実験されてきたようであるし、Z菌もEM菌もこうした土着菌の使い方と同じ事である。これらの土着菌と言われるものは好気性だから、取り扱いも随分簡単なようである。
 ストチュウというのはEMの専門用語と思っていたが、あにはからんや前から熱心な実践者が使ってきたもののようである。畑にやる堆肥代わりのポカシも、家畜の餌に混ぜる発酵飼料も、いわゆる土着菌を利用して以前から実践してきた人が方々にいたのである。また又何かやってみたい事が増えそうである。

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ビクトリーMⅡを皆で生かしたい    (1995年4月24日)

 OZさんが工藤建設の専務さんを連れて見えた。専務さんはマルサ佐藤製作所の社長と友達で、気の合った若い実業家5~6人と定期的に会っているのだという。昨日偶々その集まりで、佐藤さんが開発した生ゴミ処理機を何とかしなけばいけないという話になったのだそうである。それで私に相談に来たという。
 折角此処で開発したものだから、地元で有効に機能している姿を見せるようにすべきである。それで仲間が金を出しあって、ビクトリーMⅡを購入し、私の所で威力を発揮してもらえないかというのである。大層結構な話で、この若い人達の夢を実現させてやりたいものである。
 この生ゴミ粉砕乾燥機と発酵機があれば、この辺のゴミは残らず堆肥にすることが出来そうである。私が持て余した豆腐屋の雪花菜も豆腐の返品も、漬物屋の野菜屑も、すし屋の魚の粗も全部処理出来る見通しである。
 今日は作業場へ工藤さんと北山さんとりんごの有機栽培農家と3人訪れて、実現に向けて話し合う日取りを打ち合わせて行った。

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今日になって雪が消えてしまった    (1995年4月20日)

 山のように作業場を埋めていた雪が今日で消えてしまった。北向きの作業場にもやつと春が訪れた感じである。
 午後に弘前から環境問題に取り組んでいるというご夫人方4人が見学に来た。生ゴミの処理について感心されていたようであるが、別に何かやってみようという事ではなさそうである。
 丁度その時に、平賀町唐竹の若者が2人見学に来て、資料を貰っていった。

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堆肥の需要が増えて来ている    (1995年4月15日)

 春になると小口の堆肥注文が増えてくる。今年は春に出せる堆肥の残りは少ししかないけれども、それでも50や60はあろう。もう10人位には分けて上げた。十和田市からの注文もあって、宅配便で送った。(1995・4・15)

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ほっけの粗をドッサリ頂く    (1995年3月23日)

 GTさんの紹介で、高賀野でほっけのすしを作っているNMさんのところへ寄ってみる。ほっけの頭や中骨が入った浅い魚箱が20程重ねて積んである。これだけでも大変な量であるのに、更に今作業している粗がこれくらいあるという。今日は魚が少ないから作業は昼で終わりになるそうである。昼にもらいに行く約束をして帰る。
 トラックを空にして再度出掛ける。浅い魚箱といっても、魚の水分がたっぷり入っていてすごく重いうえに動かす度に生臭い汁が跳ね返ってくる。積むのはNMさんがやってくれたが、降ろすのが大変だろうと心配である。50箱程積んで一杯になる。
 ロープを掛けないと荷崩れする恐れがあると言うのであるが、車全体が魚の汁で汚れてしまったのに、縄を掛ける気にもなれなくてそのまま作業場へ向かう。荷崩れしないようにゆっくり運転しようと考えるまでもなく、余りの重さにスピードが出ないのである。
 やっと作業場に着いて、発酵機に入れる作業に取り掛かる。ゴム手袋にビニールの腕カバー・ビニールの前掛けという完全防水装備でも、生臭い水が所構わず跳ね返ってくる。12箱あけると発酵機の中はどろどろの感じになってきた。これ以上入れるのは無理である。後は外へ積んでおくことにした。車から一つ一つ降ろして積み上げるのも大変な作業である。とても70年寄の仕事ではない。
 ほっけの粗が一杯入った箱はまだ35もある。これを処理するには10日もかかりそうだ。明日の運搬は断らなければならない。本当はこんな良い材料を余さずに処理すれば良いのだが、現状ではとても無理である。勿体ない話である。家へ入ると体中が生臭い。

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ようやく冬から抜け出した    (1995年3月15日)

 ここ2、3日良い天気が続いて有り難い。朝出掛けに仰ぐ星空は実に美しい。頭上に白鳥座、南天にはさそり座と夏の星がけんを競っている。5時作業場に着く頃には東の空が白んでくる、随分日が長くなったものだ。
 まだ雪が多いが彼岸はもう直ぐ、ここまで来ればもう大丈夫、厳しい冬から解放された安心感で作業も楽しくなる。雪が消えれば畑作業が始まる。今年は万田酵素を使ってみる楽しみがある。EMを使う人達の活躍も期待したい。いろんな相談が持ち込まれるかも知れない。 

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ようやく冬から抜け出した    (1995年3月15日)

 ここ2、3日良い天気が続いて有り難い。朝出掛けに仰ぐ星空は実に美しい。頭上に白鳥座、南天にはさそり座と夏の星がけんを競っている。5時作業場に着く頃には東の空が白んでくる、随分日が長くなったものだ。
 まだ雪が多いが彼岸はもう直ぐ、ここまで来ればもう大丈夫、厳しい冬から解放された安心感で作業も楽しくなる。雪が消えれば畑作業が始まる。今年は万田酵素を使ってみる楽しみがある。EMを使う人達の活躍も期待したい。いろんな相談が持ち込まれるかも知れない。 

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変人会が「鶏を味わう会」を催す    (1995年3月13日)

 NKさんの受賞をお祝いしようと前から話し合っていたのであるが、夫々に忙しくてのびのびになっていた。ご子息が県会議員に立候補してその選挙も近か付いているので、余りいい機会ではないが「鶏を食う会」という名目で開くことにした。
 変人会というのは、私が荒れる黒石中学校に在職中、荒んだ子供達をもなんとかしようと一生懸命走り回ってくれた人達のつながりである。それが私の退職後ゴミ集めという変わった仕事を始めたものだから、これも援助協力しなければならない羽目になったのである。
 元校長が随分落ちぶれた事をする、変わった奴だという評判になり、その変人を支援する会だからやはり変人会ではないかということになったのである。去年は鈴木さんの「生ゴミは大地を生かす」の出版記念会でお骨折りを頂いた。退職してからは「囲む会」「出版記念会」と立て続けにお世話になってきた。
 だんだん肩の荷が重くなって、どう恩返ししたら良いものかと考えあぐねてしまうのである。しかし私のやっている事は多少公共性もあり、その重要性も分かりかけてきたので、会員の皆さんには現状や経過について報告する責任を感じているのである。その度にご散財をかけるので申し訳ないのであるが、皆さんの絶大なご支援を頂いているのである。
 NKさんが建設業の功績で勲五等瑞宝章を頂いたのは誠に光栄なことで、これは何年かやっていれば自然に受賞されるのと大分趣が違うと思うのである。こんな世界では相当な実力と努力がなければ、それなりの業績を上げることは出来ないものであろう。心からお祝いを申し上げ、今後の健康とご繁栄を皆でお祈りしたい。
 さて今回は新しく私の堆肥を使って成績を上げてきた、浪岡のIBさんとHGさん、六郷地区に広めてくれているODさん、社誌で私の事を紹介してくれている對馬さんにも出て頂いた。こうした方がこのすごい堆肥が出来る原動力を、多少理解してもらえるのではないかと思ったからである。
 鶏は比内の300日令、固ければ大変だと思っていたのであるが丁度良い歯応えだと喜んでもらえた。私のやっている事については、何とかして事業として成り立つように後継者が出てくるように、積極的に考えようという気持ちを皆が話してくれた。その基盤を作るために、これからは少し方法を考え直さなければならないだろう。

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とうとう古稀を迎える    (1995年3月12日)

 大正14年(1925年)の生まれだから、今日が70回目の誕生日である。「人生七十古来稀」70才まで生きる人は珍しいと書き記されている程に、長生きをさせてもらったことになる。
 人生わずか50年と言っていた時代では、60の還暦でも相当な年寄りだったに違いない。それが70ともなると稀にみる長寿ということである。なにせこれ以上の年代の呼称(八十皆無なんて)はない時代だったのだから大変である。
 けれども平均寿命80才の今の世では、70才は古来稀どころか極普通になってしまった。こうなると其々の年代での生きざまも昔と随分変わってこなければならないものではなかろうか。
 孔子流に言えば「30にして立つ。40にして惑わず。50にして天命を知る。60にして耳順う。70にして心の欲する所に従えて矩を踰えず。」これも70才で終わりだから、この先付け加えるとすれば人間の事でなくなってしまうようだ。それならば少し年代を下げてみたらどうだろう。さしずめ私などは定年過ぎてから自分でやってみたいことを始めたのだから、少し下げ過ぎかも知れないが「60にして立つ。70にして惑わず。80にして天命を知る。」というところだろうか。
 つまり70才にして、生ゴミ堆肥を作ることに自信を得て作物栽培の方向判断に迷わなくなった。80才にして(生きていれば)これが天から与えられた自己の使命であったと悟るようになるかも知れない。等と考えてみたがどんなものだろう。
 生ゴミを集めて堆肥を作る道楽を始めてからもう5年過ぎた。初めのうちは1カ月・2カ月・・‥1年とその折々に堆肥の仕上がりや作業の様子など、その展開が感動的で真面目に振り返ったものである。1000日目には千日回峰行等とんでもない偉い修業になぞらえてみたりした。
 それが2000日を過ぎた今は、何時2000日目だったか分からなかったし、そんなことは馬鹿馬鹿しいことのように思えるのである。何日だって自分が納得できるまでやってみるしかないではないか。とすれば千日回峰行をやり遂げれば阿閤梨だとか、二千日回峰行では大阿問梨だとか人々が讃えるのは何とも形式的なことではないか。900日でも自分で納得出来るものがあればそれで良いのではないかと勝手なことを考えてみているこの頃である。
 子供達は皆独立して古巣には妻と二人だけである。昔のような家族制度の良い点も困った点も含めてこのように変わってきたのである。年寄の生き方も当然変わってこなければならない。生き甲斐を感じるような事を敢えて考え行動しなければならないだろう。
 生ゴミの堆肥作りは少々きついけど、周りの人達の支えがあって続けてこれた。誠に有り難いことである。今では私が作った堆肥は勿論のこと、卵も鶏肉も評判が良くて止めるわけにいかない状態である。これまでの美味しくない農産物、そして又高価で健康を害する農薬から抜け出すために農民が真剣に方法を探り始めている。
 私の堆肥もEMも万田酵素も農民の啓蒙に役立つ機が熟している。農業を改めるといった大層な考えではないが、少しでも役に立てば幸いである。 

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万田酵素についての情報を調べる    (1995年3月8日)

 先般、IZさんが万田酵素の話をしていたので、もう少し詳しく知りたくて資料をお願いしていたら沢山持ってきてくれた。本社が広島県なので、こちらへは余り伝わっていなかったのかも知れない。資料は会社案内と特にお願いしておいた農法についての薄いパンフレットが10部程で極めてあっさりしたものである。
 説明によると万田酵素というのは、「光合成によりエネルギーを蓄積された実と種、さらに海草など50数種類を使い分け、人体の胃と腸と子宮を想定した樽の中で3年3カ月かけて発酵を繰り返し、このエネルギーの自然抽出に成功した。」といってその過程を分かりやすく簡単に絵で表している。
 これ程効果があり高価なものを、材料や作り方までも明らかにしている資料は他に見当らない。
 農業用のものは植物活性酵素「キクノーⅡ」という名称で、万田グループの千晃株式会社扱いになっている。万田酵素の始まりは健康を維持する錠剤であったからであろう。真っ先に農業用に開発していれば、今のEMのように普及したに違いない。
 万田酵素の植物成長への作用は、化学肥料と違ってなかなか分かりやすく説明するのは難しいと思う。私のような素人はもう少し詳しい説明を聞かないと分からない。
 実際に使うとすれば、説明にあるように「キクノーⅡは農薬でも肥料でもありませんが、それらの効き目を十分に引き出す能力は他に例をみません。」と言う事だから少し誤解を招くようである。私のように良い堆肥を使って「キクノーⅡ」を利用すれば農薬も使わなくてもよいかも知れない。
 EMの場合は、堆肥代わりのポカシも簡単に作れるし、病虫害防除のためのストチュウも作ってやれる。すべてEM1があれば間に合うということで誰でもやってみようという気持ちになる。その上1リットル2,500円という手ごろな値段である。
 葉面散布はEMの場合1000倍薄め液を使う、万田酵素の場合は100mlで10,000円を1万倍に薄めて使うのだから、これだけの値段を比べてみても4倍くらいになってしまう。
 万田酵素は健康に幅広い役割を果たすようで、元素分析・臨床実験・学術分析等して立証されてきているという。EMの効果は使ってみた人の話がどんどん広がって、健康に飲用する人が随分多いようである。EMXも一部の臨床例の話で次々に利用者が増えて、基礎的なデーターが乏しいためか厚生省から販売に待ったがかかったらしい。
 こんな例をみても、一方は大変誠実でまっ当だし、一方は効くから良いではないかといったずさんで乱暴なところがあるようである。
 万国酵素は工程を考えると、値段が高いなんて言えないし安心して使える感じである。現在の農業事情を考えて、より安全で健康に良い作物を作るためには、どうしても化学肥料や農薬を使わない方向を目指さなければならないと思うのである。その辺の提案も期待したいものである。
 

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EMボカシづくりの実践    (1995年3月7日)

 MNさんが生ゴミの処理方法を知りたいというので、EMポカシの混ぜ方を教えて上げたら早速実践したようである。ポカシ和えの液をトイレに流したらきれいになってきたと言って喜んでいた。
 春になったら100坪程の家庭菜園を有機栽培に切り替えたいと言うので、EMポカシを作ることにした。私も沈殿槽に入れたり、欲しい人にあげたりするのに雪が消えるまでに作っておかなければならないと思っていたところである。
 午後作業場で準備していたら、MNさん夫妻がお出でになって賑やかに楽しく作業が出来た。ポカシは材料を無駄なく使うために、米糠60kg(30kg詰め2袋)と油粕20kg(1袋)と魚粉20kg(1袋)を全部混ぜて100kgにする。
 そうすると量にして、米糠が150リットルと油粕と魚粉がそれぞれ40リットルだから、合計230リットルとなり、水は23リットル・糖蜜が230cc・EM1が230ccで具合が良いようである。
 MNさんはEM5も作って行った。春の活躍が楽しみである。

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二回目のEM研究会開催される    (1995年3月6日)

 去年発足したEM研究会の役員会と総会が浪岡町で開かれた。40人程の会員が参加して盛会であった。既に相当の実践を盛ねている人、これから実践しようとしている人、共に興味関心が極めて高い。
 米もりんごも味の良いものが出来たようだし、もちろん安全で健康に良いことと、経済的にも大変優れていることが報告されていた。
 EM農法は私がやってきた生ゴミ堆肥と違って更に急激に普及して行くことであろう。堆肥代わりに使うEMポカシも、病虫害防除に使うEM5も簡単に作れるし価格も極めて安いものである。これで化学肥料や農薬で破壊された自然が息を吹き返し、得体の知れない沢山の病気がなくなるなら、出来るだけ早く広めたいものである。
 農家の最大の不安は、米もりんごも今のままでは売れなくなってしまうのではないかということである。第一、味が不味いし残留農薬で健康にも良くないという事では消費者が敬遠するのは当然である。その上自由競争になれば価格が下落して経営が成り立たなくなってしまう。だからといって今急に有機栽培に切り替えようとしても、堆肥だけ使っていたのではとても間に合わない。
 いい具合にEMという助け船が現われて、直ぐにも効果が出るというのだから興味を示さない方がどうかしている。その上手間もかからず経費も比較にならない程安いと言うから、自由市場の競争にも打ち勝っていける事になろう。
 会員の中から折角EMで安全で美味い米やリンゴを作っても、売り先を確保しないと困るという話が出た。現在の農家の苦悩が伝わってくる話である。たった一年の実践で、自分でも美味い米が出来たと思ったし、また美味い米だと誉めてくれた人があったのであろう。だからといって今直ぐ大々的に宣伝するというせっかちさは感心できない。とにかくもっと実践を重ねて生産を安定させる事が必要ではないか。

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第二鶏舎の前半分の堆肥も運び終わる    (1995年2月28日)

 第一、第二両鶏舎の前半分は去年の6月から資料を入れた所だから、古い部分はもう9カ月も経っていることになる。新しいところは10月に積み終えているから、4カ月経過している。
 ところが乾燥しすぎて発酵が十分でないから、貯蔵室へ運んで水を掛けて再発酵をさせているのである。床の堆肥を運びながら、ジョーロで水を掛ける。
 その湿り具合がまた手探りなのである。幸いなことに再発酵も活発で、少し掘り起こすともうもうと湯気が立ち上って壮観である。この調子でいくと良い堆肥が出来上がりそうである。
 2月中には前半分の堆肥を運んでしまいたいと思っていたのであるがぎりぎりの28日に運び終えることが出来た。この堆肥も5月になったら使えるようになるのではないかと思っている。後半分は2月で頼み終えて、3月からは又前半分に積んでいく予定である。

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アメリカからの塩のお土産届く    (1995年2月26日)

 仕事でアメリカへ行っていたODさんが帰国したといって、HGさんと訪ねて来てくれた。お土産に天然塩を頂いた。アメリカを回っている間に、天然塩の良いのを探して歩いたというのである。この塩は氷砂糖を砕いたような7mm位のきれいな固まりである。
 体の調子が悪いときに、ひとかけら口に含んでいれば具合が良くなるというのである。ODさんが塩にこだわりを持つようになったいきさつは、一倉定さんの塩のパンフレットを読んで、長年苦しんできた高血圧を自分の力で治したということが始まりのようである。
 雑誌「致知」に連載された一倉定さんの「塩こそ生命の源」は私も大変興味があって、まとまったパンフレットを希望したのである。それがどういう経緯で大平さんに渡ったのか分からないが、こうした実践者が現われたことは驚きである。
 近頃は自然塩を手に入れるのが煩わしくて、余り熱心でなくならているが、こんな実践者が出てくると私も改めて勉強のしなおしをしなければならなくなった。
 ODさんは卵醤を使ったり、EMを勧めたりして健康の勝れない人達に大変喜ばれているという話である。
 ODさんは理容業を営んでいて、人が沢山集まるのを利用して、自分が感動した塩の健康法やEMの農法について熱心に語り掛けているのである。そのお陰で高館地区のEM農法への取り組みが急激に盛り上がってきた。自分の生業以外のことで地域に大きな貞献をしているのである。たいしたものである。
 私の机の上に「龍角散のど飴」が上がっていた。この間から喉を痛めて咳が止まらないので、これを買ってきて舐めていたのである。ODさんは目ざとくそれを見て、こんなものを舐めていたら血液の塩分濃度が下がってかえって病が重くなる。この(お土産の)塩を舐めたほうがはるかに効果があるというのである。
 もう一度「塩こそ生命の源」を読み返してみている。大いに教えられた日であった。

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堆肥を見れば優秀な堆肥かが分かる    (1995年2月26日)

 弘前の「天カツ」というトンカツやさんの主人と、日沼の農家HGさんが作業場へ訪ねてきてくれた。天カツの主人はまだ若い方だが、良いものにこだわりをもって堅実な商売をしているようである。
 それでHGさんに美味しい有機米や有機野菜を作ってもらっているということである。HGさんは相当な年配の方で、昔ながらの堆肥作りをして有機栽培をしているそうである。米も野菜も自分で作った堆肥をやっているので、味は抜群だと誇らしげに話していた。
 生ゴミの堆肥作りを一応説明して、完成した堆肥を見せると、手にとって臭いを嗅ぐやら撫で回すやら大変な喜び様である。「これはすごい堆肥だ」としきりに感心しているのである。堆肥作りに苦労している人は、一見して素晴らしい堆肥だと分かるのであろう。
 是非試してみたいから譲ってほしい、といって2袋買っていった。米作りに使ってみたいと思ったのであろう、盛んに計算していたがとても採算が取れそうになく、それは諦めたらしい。
 堆肥は反当3トンということになっているが、私の作った堆肥は肥料効果も高いから仮に1トン入れるとしても7万円位かかることになる。これではどんなに美味しい米でも、値段が高くついてしまう。どうしてもこの半分くらいで押さえないといけないだろう。とすればやはりEMを使う以外になさそうである。
 HGさんはKM先生の講演も聞いたそうだが、これだけのお年寄りだと切り替えは難しいだろう。食堂の経営者が味の良い有機栽培の物を求めるということは当然のことと思っていたのであるが、そんな人が以外にいないのにがっかりしていたのである。

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またまた鶏小屋が荒らされた    (1995年2月23日)

 作業場の入り口から道の両側の凹に鶏が一羽二羽うずくまっているのが見えて、これは大変な事が起こっているなと感じた。車を止めて懐中電灯で照らしてみると、雪の凹に鶏が突き刺さったような格好でじっとしている。うっすらと積もった昨夜の雪に足跡もないから、夕方の山来事であろう。
  第一鶏舎の鶏達であるが、戸は閉まったままで、入り口の近くの網が破られている。猫でも侵入して散々追い回したのであろう。たまに入り口の上の隙間から逃げ出す鶏もあったから、そこから飛び出したかも知れない。
  産卵室の角に一羽だけ頭を食われて死んでいた。外に逃げ出した鶏達は、まだ暗いから動こうとしない。あっちこっちから追い立てても、恐い目に会ったためか、なかなか鶏舎に入ろうとしない。
  およそ20羽位抱き抱えたり追い立てたりしながらようやく鶏舎の中へ入れる。下の池まで飛んでいったのもいたが、夜が明けてから無事戻ってきた。破られた網の穴を塞ぎ、上の隙間も逃げられないように狭くしておいた。近頃しばらく鶏の被害がなくてはっとしていたのであるが、今回は、派手に荒らしたものである。

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今日の雪はツルツル滑る    (1995年2月21日)

 降る雪はいつも同じではない。昨日の雪もトラックがスリップして、落合の坂道を登るのに苦労した。今朝は坂道の雪がきれいに片付けてある、おそらく地域の人達から苦情が出されたのであろう。
 今朝の雪も昨日の雪に似て、濡れていてずっしりと重い。たかが20cm程の積雪であるが、作業場の坂道を登り切ることが出来なかった。
 此れ程ひどくスリップするのは、雪の質によるようである。この作業を始めた頃に、落合や中野の坂道を登れないで散々な日にあった事を覚えている。その後あんなことが全くなかったので、自分では運転が巧くなったのであろうと思っていたのである。
 昨日、今日の雪の様子を見ると、運転が巧くなったのではなくて、このように特別スリップしやすい雪に巡り合わなかっただけの話しなのである。こんな雪は一冬に一度か二度位のものであろうが、後輪駆動の車では下手をすれば立往生することになる。
 四輪駆動というのは、こんな状態に合わせて開発されたものであろう。我が愛車も心して動かせば、まだまだ十分活躍してくれる。

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生ゴミ処分に困っている所はもっとあるのではないか    (1995年2月16日)

 2月に入ってから集めるゴミが不足で、発酵機も5日に1回運転するだけになった。これでは集めに歩く労力が勿体ないし、堆肥の量も不足してしまう。余り多いのも困るが、少な過ぎるのも良くない。
 對馬さんがおいでになったついでに、生ゴミを出してくれる所がないか話をしてみた。反応は直ぐに表れた。家の近くの共栄食品工場で野菜屑を持っていって欲しいということである。夕方工場へ出掛けていって打ち合せをして、朝打ち合せをした場所にゴミを収集こ寄る。ところが驚いたことに野菜屑が入ったりんご箱が20個も積んであるのである。とにかく積めるだけ積んでみようと思って、積み出したが14箱積んだらトラック一杯になってしまった。
 中には話しに聞いていたように塩漬けにした野菜もあり、これはすごく重くて年寄には無理である。
 作業場に着いて、発酵機に野菜屑を入れる。これが又、量が多くて大変なのである。忽ち発酵機を運転しても良いほどの量になってしまった。2時間ほど運転したら、一杯あったゴミの量が半分程になってしまっていた。特に野菜屑は減り方が著しい。
 此れ程大量の野菜屑はこの発酵機ではとても無理である。帰りに容器を返して、私の力では出来ないことを告げてくる。折角私のために心がけて出してくれたのに、悪いことをしたと後悔しきりである。
 その後共栄の社長さんと對馬さんと会う機会があって、野菜屑全部でなくても持っていってくれないか、という要望があったそうで、先日の様子から考えると6箱~8箱が限界だろうと答えておいた。
 こうして探してみると、生ゴミ処埋に囲っている所が他にもありそうである。ゴミ処理業者に委託すれば、ただ捨てるだけなのだから貴重な資源を無駄にしていることになっているのである。

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Z菌の会合を定期的に持ちたい    (1995年2月15日)

  昨日沖揚平のKSさん夫妻が、街へ来たついでに寄ってくれた。同じ事をやっている人達とは出来るだけ情報交換して、仕事の意義を確かめ合うことが必要である。
 堆肥作りなんて極めて単純な作業のようだけれども、細菌の働きに寄るものだけになかなか難しい面もある。鶏舎の中に置いている間に十分発酵してくれれば良いのであるが、発酵不十分のまま乾燥してしまうのである。
 こんな気付いた事柄を話し合っているうちに、改善の糸口をつかむ事も出来るのである。Z菌の会合を定期的に持ちたい気持ちもあるのである。

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私も人並みに風邪をひく    (1995年2月14日)

 年中無休で如何にもタフな感じであるが、1年に一度や二度は人並みに風邪もひいて苦しい思いをするのである。今回は扁桃腺が腫れて痛い。初日は喉の患部にEMをスプレーして、夜は六神丸を飲んで早く休む。
 2日目、相変わらず扁桃腺は腫れて痛い。EMのスプレーをして六神丸を飲んで7時ごろ床に就く。体に力が湧いてこないので堆肥運びの作業も余りしたくない。
 3日目は快方に向かってきた。患部が弛んだ感じで、鼻水や痰がやたらに出てくる。もう少しの辛抱だ、外に出ないでゴロゴロして過ごす。4日目も3日目と同じ状態である。鼻水や痰はぐっと少なくなっている。
 それにしても今年はこの時期暖かくて、除雪の作業もなくて助かった。病んでから4日もたったら、堆肥運びの作業も出来るようになった。有り難いことである。

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第一鶏舎前半分の堆肥運び終わる    (1995年2月8日)

 第一鶏舎前半分の床は10月31日に積み終えたものだから、約3カ月熱成させて2月から運びだす予定であった。ところがこれまでと違って貯蔵室は空っぽになっていたし、連日の雪で運搬作業が思うように出来ないのではないかと思われたので、1月20日から搬出を始めた。2月に入ってから陽気が春らしくなって、除雪作業が殆どなかったお陰で、予想していたより早く運び終えることが出来た。
 一輪車で何回運んだことだろう。毎日僅かづつ運んでいたら、いつの間にか終わっていたという感じである。
 此れ程の堆肥を一輪車で運ぶのは極めて能率の悪いことであるが、鶏舎の入り口の関係で大きな機械は使えずこうするより仕方がないのである。これほど大量の物を一輪車で少しづつ運ぶのに、作業の予定を立てたりしたら初めから滅入ってしまう。その日その日に出来るだけの事をやることで、決して無埋をしないことが良いようである。
 少し頑張れば翌日まで疲れが残って、堆肥運びがとても大儀になってしまうのである。今回は気楽にやれたし、少し残っても片づけてしまおうなんて思わなかったのが良かったようだ。明日から第二鶏舎の堆肥を運びだすことになろう。少しづつ楽しみながらやっていきたい。

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