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堆肥を運ぶ    (1992年4月21日)

 完熟した堆肥をりんご園に運ぶ作業が4月15日に始まった。ショベルカーと4トンダンプが2台来て運び始める。私が1年かけて一輪車で運びだした堆肥も相当な畳であることに、一人前改めて感心する位である。その日の内に4トンダンプで10台運んだそうだから、少なめに見積もっても20トンは下らないだろう。それでもまだ3~4台分残っている。翌日は熟成槽三つ分を完熟堆肥を運びだした所へ入れてもらう。
 こうしてみると一年間の堆肥生産量は40トンを超えるようである。ゴミの収集畳が70トン位だからそんものだろう。今回運び入れた熟成槽の堆肥は8月1日、9月20日、11月15日にそれぞれ積み終えたものである。
 この熟成槽に積んだ資料は、発酵機の取り出しロにあって熱が逃げて十分発酵が進まなかった物である。それでも熟成槽の中で発酵が進み、4カ月も経てば完熟するのである。ところがやたらに雨に洗われたり、ひどい寒さに曝されたりすると発酵が停止して、腐敗状態となり悪臭を出すようになる。こうした資料は鍬で表面を掻き混ぜたりしながら、もう一度発酵を促すのである。11月に終了した堆肥は条件が余り良くなかったものだから、中心部分がさらっとしていない。ショベルで屋根の下に積み上げると、発酵を始めて湯気が立ってきた。この状態で暫く発酵を続けさせる必要があると思われる。
 鶏舎に積んだ資料も、寒いときは雪を被って冷え冷えとしている。この部分は温度も上がらず、いつまでもぐしょぐしょしている。春になってそこを掘り返してみると、黄色くて悪臭を発する。こんなところは丁寧に掘り起こして砕いてやると、改めて発酵を始めるのである。発酵菌が活躍しやすい状況を常に考えてやれば良いのだが、施設にお金がかかったり自然条件が悪かったりでうまくいかないのが常である。その分だけ後で手当てをしてやるというわけである。

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土と雑草    (1992年4月19日)

 大分記録を休んでしまった。YMさんから広い土地を任されることになると、上手くやってみなければならないという気持ちで余裕がなくなってしまっていた。
 沖揚平のKSさんに教えを請う。早速見にきてくれて、いろいろと指導してくれた。先日気負って蒔いた野菜は時期が早すぎたようだ。いつもは裏の畑でも桜の花の散る頃を目処にしていたのに、そんなことまでけろっと忘れていたのである。
 KSさんが読まれた「土と雑草」ジョセフ-A-コカヌア著を貸してくれた。1950年にアメリカで出版された本だというから、随分昔の話ではあるが全くの驚きである。
 『雑草のもつ自然力に依拠しつつ土作りに励むならば、最良の野菜生産が約束されるであろう。雑草の力をもってすれば、どのような土も肥沃にすることは可能であり、より早く改善したいと望むならば、堆肥を用いて雑草の生育を助けることである。もし雑草がほとんど発生しないほど貧弱な土地では、雑草の発芽を促すために、雑草の種子を集めて播種することである。最近ではイギリスをはじめヨーロッパの野菜生産農家が、この方法を取り入れている。そして多くは雑草の価値を知らなかったころに比べて、質的にも量的にも高い生産を上げている。』という。
 私たちの畑作の常識とは随分かけはなれたことである。作物の生育を邪魔されないように雑草を取り除くという習慣から、雑草は作物の成長を助けているのだから取ってはいけないという考え方は私にとってコペルニクス的転回である。いずれにしてもこうした考え方がどうして一般的にならなかったのだろう。
 ジャガイモ畑にアカザが生えてそれを取り除くのに苦労した話をよく聞くのであるが、ジャガイモとアカザはお互いに助け合う必然性があったのである。そういう自然の道理を知らずにアカザを取り除きジヤガイモの生育を妨げてきたのである。取っても取っても生えてくるスベリヒユ(ダンブリグサ)に腹を立てたのも、全く無駄なことをしてきたものだと苦笑する始末である。
 この本にはイネ科の雑草は作物に良い影響を与えないと書いてある。しばらく放っておいた所にはイネ科の雑草が大変多いので心配の種であるが、これもやはり試してみたい。それぞれの野菜と共生できる種類の雑草があるようなので、もう少し勉強してみないと良く分からない。
 KSさんから春蒔きの珍しい麦の種を頂いた。早速自然農園に蒔く、不耕起・無肥料である。小さなイネ科の雑草がびっしり生えた所とギシギシが沢山生えた所に蒔く。雑草に敗けて生えないか共生して良く育つか興味のあるところである。雑草の中に野菜が育つのを他の人が見たら何というであろうか、そんな風に育ってくれればいい。

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自然農法を試みる    (1992年4月8日)

 今朝強い霜が降りて寒かった。昨日からの寒波が去ったのであろう、よく晴れて春の陽気となる。YMさんが提供してくれる土地に何を植えるかいろいろ考えてみたのだが、見たこともないのだから全く見当がつかない。幸いなことに東奥日報から「木曜の窓」の原稿料1万円も頂いたので、種を買いに行く。
 不耕起無肥料で、馬鈴薯(男爵)2kgの袋を一つずつ根掘りで穴をあけて埋める。そのとなりに大分間隔をとってカボチャの種を埋める。これで10坪位にしかならない。
 今度はホウレンソウ・ダイコン・ゴボウ・カブ・ニラ・コマツナ・シュンギク・トキナシダイコン・タマネギの種をごっちゃに撒きつける。
 次に枝豆・玉葱・小豆をばらまきする。これでやっと200坪位である。
 土地はこの4-5倍もあって気が遠くなる程広い。種を蒔いたところも周りの草原と区別がつかなくて、仕事の成果が見えない。これで5000円の種代がかかったのだから、この広い場所に万遍無く種を蒔くとしたら20,000円にもなってしまいそうだ。なんとか工夫しないといけない。
 さてもこうした不耕起・無肥料・無農薬でどんなことになるのだろう、全く不安でたまらない。種代は捨てる覚悟でいるものの、無化学肥料・無農薬の運動が挫折することになると、みんなの笑い者になるだけである。

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自然農法を話し合う    (1992年4月5日)

 黒石のR社のTSさんがその友人のKYさん夫妻と野菜作りを楽しんでいる仲間のご婦人を伴って訪ねて来た。KYさんは堆肥が欲しいということであったが、ただ譲ってやるだけでは私の運動の趣旨に添わないので話し合いを希望したのである。
 KYさんはサラリーマンなので、先祖伝来の広い畑地のほんの一部で野菜作りを楽しんできたそうである。僅かばかり配合肥料を撒いて、あとは馬鈴薯・枝豆・大根・玉葱の輪作を考えて大変うまい畑作をしてきたようである。野菜作りについては私が教えてもらわなければならない方々のようだが、俄勉強の自然農法を強調したいばっかりに、ついつい一方的にまくし立てる結果になってしまった。
 「物言えば唇寒し秋の風」そんな感じの後味がうすっぺらな自分を苛むのである。
 けれども自然農法に興味を持ってくれる人に巡り合えたことは有り難いことだ。安全で旨い野菜を食べるために、自然農法・有機栽培をすすめる事は誰も異存のあろうはずはない。そして特に子供達の健康を守るために、化学肥料・農薬を排除することは急を要する課題である。少しずつでも確実にその輪を広めていきたいものである。

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給食で死亡した子の責任は市に?    (1992年3月31日)

 そばアレルギーの小学生が学校給食のそばを食べ、喘息の発作を起して死亡したのは学校側の指導や処置に落ち度があったためだとして、小学生の両親が札幌市を相手取り損害賠償を求めた訴訟の判決があった。
 原告側は、子供がアレルギーであることを担任教諭に伝えてあったのに、同教諭は食べさせないよう十分注意しなかった。市としては特異体質の児童を把握し、救急処置を検討しておく義務があったのに怠った。と主張していたのに対して、事故は教諭の過失と札幌市教育委員会の過失が競合して生じた、と認定し原告側の主張を認めた判決であった。
 私はこの頃、自然農法と生命力に関係したものを読んでいたので、この判決がすごく引っ掛かって考えあぐねていた。つまり子供を養育してきた両親の責任はどこへ消えたのであろうかということである。
 アレルギーの治療についてどんな努力をしてきたのだろうか、アレルギーに限ったことではないが体質改善の為の食餌療法が必要であることは情報が豊富である。つまり白米・肉・白砂糖を避けて、玄米菜食にしてみればいいのである。その努力もしないで病院通いばかりしていても、さっぱり快方に向かわないという報告が多い。尤も現在は化学肥料に農薬漬けという悪条件で、折角の玄米がかえって残留農薬に汚染されているという結果にもなりかねない。また菜食といっても大部分が化学肥料と農薬で栽培しているので、そんなものを食べても人体の生命力を強めるということにならないかも知れない。
 こんなことを考えていると、この子の死を無駄にしないためにももっともっと頑張らなければならないと思えてきた。この裁判の判決は皮相的で子供の命を守るという農も根本的な内容には全く触れていないのである。
 さて牛乳・卵・大豆・米・麦・そばと益々範囲を広げてきたアレルギーにどう対処していったらいいのか、医学関係者だけでなく多くの人達が盛大な関心をもって、少しづつでも具体的な行動を起していかなければならない時だと思う。
 自然農法といっても、今流行りの種子ではうまく育たないと言う報告もあって、なかなか思った通りにいかないようだが、なんとかやってみるという意気込みがないと解決の糸口は見えてこない。完全無農薬無化学肥料が安全で健康に良い野菜を作る前提であるとすれば、これは従来の農家ではなかなか決心が出来ないことかも知れない。とすれば私のような素人が試みるのが一番良いと思うのである。昨今、休耕田等が勿体なくほったらかしにされている、こんなところで好奇心の旺盛な人達が自然農法や有機栽培に取り組んでみるのも面白いことではないだろうか。
  私は私の作った堆肥でそんな農園を開いてみたいのだが賛同してくれる人はいないだろうか。 

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スパイクタイヤとお別れ    (1992年3月31日)

 昨日の雨で野山の雪が目立って消えた。今日は暫くぶりで顔を出した地肌に日が照って湯気が上がっている。いよいよ春の到来だ。
 今年の4月からスパイクタイヤが使えなくなるので、今日はスパイクタイヤを取り外して整備工場に置いてきた。今度の冬からはピンのつかないスタッドレスタイヤというものを着けなければいけないという決まりである。トラックも乗用車もまだ新しいスパイクタイヤなので、これを捨ててスタッドレスタイヤを買わなければならないのは極めて不経済であるが止むを得ないことだ。
 落合地区は坂道が多くてスパイクタイヤでも難儀をしてきたから、スタッドレスタイヤではなかなか大変だろうと今から悩みの種である。四輪駆動車に換えてもらうか、タイヤチェーンを準備してもらうかしなければならないだろう。等と自分で勝手に考えているのだが、地主の側から考えるといろいろと経費が嵩んできて煩わしく思っているかも知れないのだ。本当に有機栽培の必要性を認識して、金に糸目を着けない程の覚倍があれば良いのだが、農業は人任せなのだから余り金がかかるようだと一寸考え直さなければならないだろう。この辺の交流が今一つうまくいっていないように感じるのである。ある程度、人のふんどしで相撲をとるような形だと、思うようにやれない事が出てくるのは当然である。
 出来るだけ自前でやれればいいのだが、作業場や実験農場等はどうしても人の世話にならないと出来ない。それではそれ以外を自分で賄うとしても、この良い堆肥を適当な価格で買ってくれる人はいないだろう。あれやこれや考えると、結局控えめに相当に自腹を切ってやるしかないようである。

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畑作業始める    (1992年3月26日)

 裏の畑の雪が今日で全部消えた。去年の暮れに堆肥を撒いて耕しておいたので、そのままにエンドウの種を蒔いた。自然農法や有機栽培の実践記録を読むと、堆肥は土を作る為のもので化学肥料のような働きは考えていない。そんな考え方では反当3トンというのは、少し多いように思われる。どんなのが自然の状態なのか分からないが、3年も4年も1坪に10kg余りの堆肥を入れてくると、土よりも堆肥の方が多いような感じになってきた。
 こんなことで自然が歪められているとしたら、アプラムシが多発するなど病虫害が出るかも知れない。その時はその時で原因を考えねばならないが、殺虫剤を散布することだけはしてはならないことが分かってきた。いずれにしても堆肥が多すぎて、土が自然の状態で力を発揮することが出来ないということもあるのだろうか。それは今の状態で2~3年も続けてみないと分からないことだろう。

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季節の便り    (1992年3月19日)

 近頃ぐずついた天気が続いているが、それでもやはり春が確実に近づいている。作業場の通路の雪は日毎に薄くなっているし、池の鯉も容器を洗う物音を聞きつけて、右往左往して餌をねだる動作をするようになった。作業場へ着くのは朝の5時半前であるが、電灯を点さなくてもどうやら作業が出来る明るさである。
 気温も0℃を超えると、寒いときには具合の良かった長靴も防寒着もうっとうしくて着ていられなくなってくる。スキー用の帽子や手袋も暑苦しい感じになってきた。もうそろそろ衣替えの時節だ。丁度彼岸の中日が良かろう。
 3月12日東奥日報夕刊の「生ゴミを生かす」は反響が幾らかあって、問い合わせや見学申し込みがきている。暖かくなれば少し忙しくなりそうだ。今から資料を準備しておかなければならないだろう。
 11日にはラジオ短波の電話でのインタピューがあったが、これはどんな放送であったか分からないし反響も全くない。
 ラム・システム株式会社で出している、季刊「あずましの里通信」10号から「食を考える日記」と題して私の記録から拾って連載するという。その第一回目が出来たけれども、これもどんな人に読まれるのかはっきりしない。
 東北電力2月号に、AB君が取材して「食物を大地に返そう」と題して、私のことが載っていたがこれも読む範囲が狭そうである。

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完全無農薬・無化学肥料を日指さねばならぬ    (1992年3月16日)

 有機栽培であれば少しくらい農薬を使っても、業者が安全だと言う物であるから、そんなに気にすることもなく旨い野菜を食べていたのである。ところが梁瀬先生の「有機栽培」、農文協の「自然農法の野菜作り」、福岡正信の「わら一本の革命」を読んでみると、仮に人畜無害の農薬であっても使ってはいけないものであることが分かる。
 それは農薬を使うことによって、虫の生態系が崩れ自然の法則に因るべき農法に逆らうことになるからである。害虫が多発するのは、昆虫の生態系を狂わせる人為的な原図があると言うのである。その原因を正すことなく、農薬によって害虫を退治するようなことをすれば、天敵の益虫も滅んでしまい、やがて農薬に抵抗力を持った害虫が蔓延ることになるというのである。だから先ず完全無農薬ということが、農業改善の前提でなければならないと主張しているのである。
 自然農法では人体に対する影響もさることながら、毒性の強弱を問わずこれまで使われてきた殺菌剤・殺虫剤・除草剤等は使ってはいけないと言っているのである。

 自然農法の考え方は、土自体が植物を育てる力を持っているのだから、別に肥料を施さなくても自然の摂理に従えば立派に作物を収穫出来るというものである。堆肥を使う有機農法でも、腐葉土のように自然の状態に近い完熱した堆肥を使わなければいけないと言っている。これもふんだんに堆肥を入れてその堆肥の力で作物を育てるという考え方ではなくて、先ず土を作りその土が植物を育てるというので、基本的な考え方は共通している。
 従って土の働きを無視して、直接植物に栄養となるような化学肥料を施すことはもってのほかで、例え有機配合でも化学肥料は一切使ってはいけないと主張しているのである。
 長い間化学肥料を使ってきたために、土の中の微生物や細菌等も姿を消し、植物を育てる力は衰えてしまった。また団粒構造も壊れて土の保水力・保温力も弱くなり、冷害干害を受けやすい状態になっているのである。水を浄化する働きも失われて、土本来の働きは息も絶え絶えで人間生活にもその影響を及ぼして来ているのである。
 植物が土の中から必要な養分を取り入れて育つのと、精製した養分(化学肥料)をそのまま吸収して大きくなるのとでは、その植物の生命力といったようなものが全く違うように思えるのである。生命力等といえば観念的で説得力に乏しいのであるが、後者は見かけは立派でも病虫害に襲われれば全滅しかねない脆弱な性質を持っているのである。
 人間の体で言えば、周りにうようよしているウィールス・病原菌・花粉等の異物が体内に侵入しても、病気や異常を起さないで健康でいられるような力。仮に病気に罷っても、治療によって素早く回復していくような力。そのような体の中に備わった健康を保つ力を生命力と言っている本があったのでそれを引用するのであるが、その生命力が最近弱くなっているために、いろんな食物によるアレルギー性疾患が発生したり、年中行事のように流感が猛威をふるったりするというのである。
 このような生命力というものは、食物の中に含まれているビタミンや鉱物質の他にも原動力になる何物かがあるようである。
 化学肥料で過保護に育った野菜は、ひ弱で生命力の乏しいものであるというのは、検出出来ない微量の要素が欠けているのに違いない。そんな生命力の乏しい野菜はいくら食べても、人間の生命力を強めることにはならないと思うのである。
 見かけは立派でも生命力に乏しい野菜は、虫が好んで食べるし病原菌にも冒され易い。害虫は一度使った殺虫剤では死なないような抵抗力を持ったものが現われるし、病気も次々に新手が流行るために、殺菌剤・殺虫剤も常に新しいものを開発しなければならない。こんな鼬ごっこが性懲りもなく繰り返されているのである。
 肥料や農薬の商店には申し訳ないけど、こんな苦しみから抜け出すために、今こそ自然農法の原理に立ち返って無化学肥料・無農薬の実施に踏み切らねばならない時であろう。

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自然農法    (1992年3月4日)

 昨日沖揚平のKSさんの奥さんが、総括編「わら一本の革命」福岡正信著を持ってきてくれた。全ページの下半分にカラー写真を入れた、表題を疑うような豪華な本である。
 文字が少ないから読書力の乏しい私でも、一通り読み終えるのにそんなに長い時間が掛からなかった。しかし神だの哲学だのと私には理解できない表現が多くて、早速に、やってみたいという気持ちは起こらなかった。
 でもこの人は40年も50年もかけてこの境地に達したものであるから、実際よりも意識の問題を解かねばならないのであろう。
 最初は遠方から羊歯・雑木など刈ってきて埋没すれば、早く土地が良くなるかと試みてもみたが全く失敗で、有機農法は部分的土地改良にはなるが、労多くして効少なく、大局的にみると損失になる農法で地球破壊につらなりかねない科学農法の一派だと気づいた。
 と、これまで人類が永年営んできた有機農法を、科学農法といっしょくたに片付けている。そして無為の農法の手始めは、手当たりしだい山林の樹木の中に果樹も野菜も穀類も混植して、何が残るか見ることにしたと言う。勿論開墾せず耕さず、肥料・農薬は一切使わない・・・
 それから約45年でこの頃は急に果樹のジャングルのようになってきた。 と書いている。
 20年~30年も経たないと、果樹は一人前にならないだろうから、簡単には成果が現われるはずがない。けれどもこのような遠大な実験をするのには、土地を見付けることが第一に困難である。穀類の自然農法は休耕田などを利用すれば良さそうであるが、いずれにしてもこの本では具体的な進め方が分からない。
 地球的規模での砂漠化の最大要因となっている近代文明並びに近代科学農法を根本的に変革する手段として、自然農法の手法による農業革命が推進されねばならない。と説いている。
 生ゴミを完熟堆肥にして有機農法を進めることも大事だと思うし、自然農法で大地を肥沃化させて健全な食糧の宝庫にしていくことも考えていかねばならないような気がする。
 いずれも完全無化学肥料・無農薬農法で人類の健康と地球環境の改善の為に急がなければならない事だからである。
 著者は今砂漠に種を撒いて、地球緑化を進めるという事業を展開しておられる。機械化による近代農業が砂漠を作ってきた。日本もそういう道を歩んで来たのである。余り惨めな状態にならない内に何とかしなければならないと思えてきた。
 有機農法といえ自然農法といえ、此れ程の実践がどうして農民の間に浸透していかないのであろうか。少しは変わり者が居て、自然農法のパラダイスを手懸けても良さそうなものだが。どうせ減反で米も作れないとなったら、いっそ自然農園にして放ったちかしておいたら面白いと思うのだが。
 りんご園だってやらないのなら自然農法の果樹園にして、20年先を楽しみにしたらどうだろう。 

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春三月    (1992年3月2日)

 2月28日、それにおまけの29日は、それまでとうって変わって暖かな日よりになり雪も目立って消えた。
 3月1日には作業場の坂道の氷が剥げて、コンクリートが顔を出した。6時には明るくなって、日も急に長くなったように感じられる。

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有機農業の5(梁瀬氏著書について)    (1992年3月1日)

 最近、消費者のこ一ズに応えて、低農薬・有機多用作物等とややこしい名前の農産物も出回っているようである。本当の有機農法とか自然農法では、どれも完全に無農薬・無化学肥料でなければならないことを強調している。有機農法も自然の法則に従った方法であるから、広い意味で自然農法と言っているが、「自然農法」という殆ど堆肥も使わない農法もあるのである。
 私のように猫の額のような狭い畑でいろんな物を作る場合は、梁瀬氏が実践してこられた有機農法が大変参考になる。
 以前に牛糞や鶏糞を買い求めて使っていた時に、小さなウジ虫が発生して作物の苗が全滅したこと、油虫等の害虫が多発して殺虫剤を使わないでいられなかったこと等思い出して、なるほどと合点がいって楽しくなった。
 発酵機を使わないで、生ゴミを自然発酵させていた時分にも、やはりこんなことがあったのは、未熟な部分が多かったせいであろう。
 さて発酵機を使って完熟した堆肥を使うようになっても、作物によって堆肥の施し方が違うということになると、この狭い畑でいろんな種類の物を作ることは困難なことになってくる。
 成る程、キュウリはまずまずの出来だが、ナスはダニやテントウムシダマシがまつわりついてよく出来なかった。ナスを植え付けた所に堆肥があまり入らなかったのかも知れないが、これからは追肥をやってみようと思っている。その追肥も油粕でなければ駄目だろうか、我が完熟堆肥を振り掛けたらどうだろう等と、今年の畑作に思いを巡らせている。
 トマトは堆肥が十分だとつるぽけがして実がならないと言っているが、私の場合よく実が成ったので、これは堆肥が足りなかったのか、そうだとすればナスが良く出来なかったことが納得できる。ともあれ同じような堆肥の入れ方で、こんなに性質の違った作物を育てるのは無理なのだろうか。この点も良く注意して栽培する必要がありそうだ。
 我が畑には作物の殆ど取り入れが終わった10月未に、完熟堆肥をたっぷりと撒いて鋤返しているいるので、春からは堆肥も良く土に馴染んで栽培には良い条件が整っていることになっているようだ。これもKSさんからお伺いした農業の尊い知恵である。

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有機農業の4(梁瀬氏著)    (1992年3月1日)

  最後に梁瀬氏が医師としてとらえた健康と食生緒の問題について拾ってみたい。
 * 現在の日本人の食生活‥
  ・カロリーの量は摂りすぎる程とっている。脂肪も蛋白質も多すぎる程とり、含水炭素も十分にとっている。しかしながら、白米と肉や魚とわずかな野菜と果物、これだけの内容では鉱物質がきわめて少ないしビタミン類も非常に足りない。
  未知のⅩファクターも少ない。この上、白砂糖を多量にとっていますと、体格は大きくなるけれども、体力が弱く病気になりやすい。ミネラルやビタミンやⅩファクターが少ないということは、ちょうど複雑な機械の中で油が切れたり、あるいは部品材料に脆弱性があったりするような結果になりますので、さまざまな新陳代謝障害が起こってきます。
  ですから日本人の殆どが、いつでも条件さえ与えられれば簡単に病気になる状態が整っている。例えばバクテリヤが居ればバクテリヤに冒され、流感ビールスが来ればすぐ流感になる。なんでもすぐ病気になる「病気の罹患準備状態」にあると言って良い。
  鉱物質やビタミンが欠乏しているためにいろいろな障害が起こっています。カルシュウムで申しますと、日本人のカルシュウム摂取量は必要量の四分の一しかない。そのために骨折が極めて多い、青年になって腰痛や脊椎骨の変形が大変多いのです。それから歯が脆い、「今の子供達は20才代になると総入歯をする者が相当出てくるだろう」と言われています。カルシュウム欠乏は体全体の抵抗力を弱め、精神的な内容に影響を及ぼします。
  子供でありながら大人の成りそこないのようなマセた子になり、大変自我意識が強くヒステリックである。衝動的で所謂ツッパリタイプになるわけです。
  今一つ、公害を受けやすい体質でもあります。これは重大な問題ですが、食物によってかなり公害から身を守ることが出来るのです。水銀・カドミュウム・放射能・・・などの公害にはミネラル・ビタミン・Ⅹファクター欠乏の人が特にひどく冒され易いのです。
 * 食生括改善の着眼点
  ・野菜と海藻類を沢山とる必要がある。
  ・米はどうしても半搗米にする必要がある。できるだけ麦ご飯を食べるといい。
  ・白砂糖は禁止したいくらいだ。黒砂糖とか黒い生ザラメを使うことによって、民族は強くなる。
  ・蛋白質は大豆蛋白を中心にしなければならない。これに第二の段階として乳製品あるいは卵・魚といった動物蛋白を摂るべきである。肉類は日本人に合わない。
  ・脂肪は植物性脂肪を主にすべきである。白米を沢山食べる民族は動物性脂肪や白砂糖の害が顕著である。野菜を沢山とるといっても、完熟した堆肥で作ったものでないと駄目。

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有機農業の3(梁瀬氏著)    (1992年2月29日)

 * 害虫とは
  害虫といわれている虫は人間と同じ農作物を食べる草食性の昆虫であり、この虫を食べる肉食性の昆虫を益虫と言っている。正しい有機農法が行なわれた時は害虫と益虫の生態学的バランスが保たれて、どちらもやたらに多く発生することはないのです。
 害虫は人間と同じ野菜を食べると言いましたが、良く見てみますと人間の好む野菜と害虫の好む野菜とは少し違いがあります。好気性完熟堆肥で作られて、味が良く香りが高く、日持ちも良く、且つ栄養豊富な人間にとって好ましい農作物を害虫は好んで食べないし、このような農作物には大発生しないのです。
 ところが、好気性完熟堆肥で出来ているものに、たとえば実験的に硫安を与えたり、根元に鶏糞を入れる等異常な肥料を与えますと、その作物は急にぶくぶくと大きくなる。こういう野菜は人間にとっては味も香りも悪く、日持ちもしないし又亜硝酸のような発癌性物質を生む成分すら含んでいるのですが、このような野菜を害虫は好んで食べるのです。
 だから害虫とは私達の栽培の欠点を指摘してくれるものであり、自然の忠告の声であります。私達は病虫害がでたときは、害虫や病原微生物を悪いやつだと思わずに、どこに栽培方法の欠点があったのかを検討しなければならないのです。
 * 農薬散布が害虫の多発を招いている。
  現在の農法では害虫が発生すると、農薬を散布します。そうすると害虫も益虫もその他の昆虫も死んでしまって、人間がその作物を100%取ることが出来ます。ところが昆虫学上でも言われているように、害虫のような草食性昆虫は最も生命力や抵抗性が強く三年から五年経ちますと、必ずその農薬に抵抗性を持つようになり、今までの農薬では死にません。
 一方益虫はそういう抵抗性がないために全滅してしまいます。結局は農薬に抵抗性のある害虫ばかりが繁殖し、益虫がいなくなってしまうという人間には不利な昆虫生態系が出来てしまうのです。
 つまり農薬を使えば使うほど益虫がいなくなり、害虫が増えてくるわけです。農薬を使うこと自体が自然の法則から外れているのです。自然の法則に外れたことをやると、人間も滅んでいくことになるのです。
 現在、人間社会においてガンが多発していますが、これは農薬や食品添加物といった合成化学薬品よるものであるということは、先ず間違いないのです。また気違いじみた犯罪が増えたり、鬱病の患者が増えているのは、農薬に使われている有機リン剤と密接な関係にあります。
 農薬を使わなければ農業が出来ないということ自体、根本的に間違っているのです。完全無農薬有機農法が可能であるのみならず、費用・労力・農作物の質と量等すべての点でこの農法は極めて有利です。
 また健康、生命力という観点から唯一無二の現実的農法であることを私達は実証したのです。

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有機農業の2    (1992年2月29日)

 * 堆肥も施す時期が大事
  堆肥は好気性完熟という質の問題と共に施す時期が大事です。その時期は11月頃から12月にかけて施すのが良いようです。つまり落葉の季節に堆肥を施すというわけです。
 虫の発生期は6月と9月です。種蒔きは3月後半と8月未~9月始めですが、その前に堆肥を入れて耕すのが常識です。
 春播きの場合は、6月の虫が発生する時期までには苗も相当大きくなっていますし、入れた堆肥も既に可成土に馴染んできていますので、害虫発生の要因にならず害虫が出ても致命的にやられずに済みます。
 ところが8月に堆肥を施しますと、いくら完熟堆肥であっても部分的には未熟な所もあれば、嫌気性腐敗を起している所もあるわけです。それらが害虫発生の要因にもなるわけです。俗に”堆肥が土になじむ”という言葉がありますが、まだ土になじまない内は害虫も発生しやすく、発芽して間もない植物は抵抗性がないので、すぐ全滅してしまうこともあるのです。
 要するに秋作には堆肥を使わないということが、9月の害虫発生時期を無農薬でのりこえられる秘訣であります。秋作で肥が切れたら追肥として油粕などを薄く満遍なく撒くようにします。
 * 作物によって異なる元肥・追肥
  作物によって元肥や追肥の量が違うということも心得ておかなければなりません。
 ナスやキュウリは肥料をうんとやらないといけない。ナスは肥料が切れるとダニやテントウムシダマシ等が発生しますので、追肥もしっかりやらないといけません。キュウリは病気になりやすいから、元肥は好気性完熟ということに特に注意していただきたい。
 同じ果菜でもスイカ・トマト等は余り元肥をやると、所謂「つるぼけ」して実が成りませんから、元肥なしでやるか元肥を少なくしておいて、第一果がピンポン玉よりやや小さい頃に初めて追肥をやり、それからどんどん追肥をしていくというやりかたをします。
 9月の害虫発生時期には、地上に害虫の発生要図になるような有機物を置かないようにすることが大事です。9月は土の表面をからからにしておいた方が良いのです。又日焼けの時には草を抜かないようにすることも大事なことです。といっても繁り過ぎると害虫の発生要因になりますので、その時は刈っていただいて引き抜かない方が良いのです。
 畑の横に草の生えっぱなしの所がありますと、そこに害虫がつきますから、出来るだけ雑草はきれいにしておいて下さい。
 大体このようなことを実行して生命力旺盛な農産物を作りますと、5%位害虫に食べられるだけですみます。トマトは雨を嫌いますので、上へビニールを張って育てると良く育ちます。梅雨期に結実させようとするのは原則に反します。

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有機農業とは    (1992年2月28日)

 大分道草を食ってしまったが、本論の勉強へ戻ることにしよう。沖揚平のKSさんから借りてきた「有機農業の確立へ」というパンフレットに、梁瀬義亮という奈良県の医師の講演が纏められている。
 お医者さんのことだから、食物と健康の問題を詳しく述べられて、多く食べてほしい野菜も有機栽培の物でないといけないという結論である。
 日本国中で病人が増え続けている一因は、食生括にあるという件も是非紹介したいのだが、今回はそこを飛ばして私のやっていることに直接関係がある所だけ拾っていくことにする。

 *有機農法の定義は「自然の法則に従った農法」ということで、「自然が私達に教えてくれる農法」です。これは人類が何千年もの間行なってきた農法で、その結果大地はいつまでも人類に食物を提供する力を失わなかった農法と言える。
  この農法は一言で言えば、土から出たものは土に返す農法であります。
  だからといって、鶏糞でも油かすでも何でもみな土のなかへ入れると、病虫害が発生して惨憺たるものになります。
  雑木林の中で落葉が積もり、その一番下は空気の沢山通る条件で好気性歯に分解され、土の中に入り木々を育てる餌となっているのです。
  土から出たものをそのまま土の中へ入れると、空気が十分通らずに嫌気性菌という酸素の嫌いな微生物が発生します。この酸素の嫌いな微生物によって分解された有機分は非常に臭いし、有毒ガスを発生します。そして有毒な中間産物が出てきて、これを植物が吸収すると病気になり、根を痛めて枯れていく結果になるのです。
  ですから、雑木林の自然が教えてくれているように、「土から出たものは地上で土に返してから、土へ返してやる」のが有機農法の原理です。
  自然は、タンパク質やらビタミンやら酵素やら実に大変な合成をしてくれて、我々に食を与えてくれます。そして私達はそれに対してある程度のお助けをしなければなりません。
  どの程度のお助けをするか、これが又、大事な有機農業の研究題目なのです。今までの有機農業が、得てして余りにも構いすぎてかえって作物が出来にくくなっていたことも事実です。しかしすべて放っておいたら良いというのでは決してないのです。
  正しい有機農法というのは、自然の法則に従っていく農法ですから、非常に手の掛からない農法であることに間違いないのです。

 こういった正しい農法によって得られたビタミン・ミネラル・酵素等の豊富で、おいしい、腐らない、そして何の添加物も味付けもいらない農作物をいただいて、よく運動をしておったら、私達は非常に健康で居ることが出来るのです。私のやっている事は、土に返してやる好気性完熟堆肥を作っているのです。

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スリップ    (1992年2月25日)

 今冬初めて車がスリップして動けなくなった。落合に出掛ける前である。焦れば焦るほど深みにはまっていく、MB社に電話して助けを求めた。間もなくトラックが来て助けてくれた。感謝感激である。

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事情聴取    (1992年2月24日)

 今日は警察から呼び出しがあって、10時に出向く約束をしていたので、9時頃仕事を終えて帰り、9時40分頃お婆さんを迎えに行った。お婆さんは支度が遅くて警察に着いたのは10時15分頃になっていた。
 交通課に行って来意を告げると、係の者は10時まで待っていたんだが来ないので今出掛けたところだ、しばらく待って下さいということで、暫く持たされることになった。
 30分も経ったろうか、係の若いバリバリしたおまわりさんがやってきて、私と婆さんに事故の様子をいろいろと尋ねた。別に食い違う話もなく、状況は見取り図に纏められたようである。
 それから現場へ行ってさっきの話しを検証することになったのである。私は巻き尺の端を持って、計るのを手伝いながら、こういう時にはどうすれば良いのか聞いてみた。おまわりさんが言うには、「奥さんが『危ない』と言ったときに車を止めて奥さんをその人に付き添わせて駐車しに行けばいいのだ。」と言うのだが誠に冷静で、これならば事故なんて起こる訳はないと思った。
 今考えてみるとお婆さんは足元が大分不確かで、よたよたと車の方へ寄ってきたようである。しかしそんなことを言ったって、注意義務を怠った責めは免れない。私の一番気になるのは、当て逃げになるかどうかである。
 そのことをこっそりとおまわりさんに聞いてみたら、「そうなれば大変なことになるから、そうさねでばな」と言ってくれた。
 午後お婆さんの診断書をもらって、再び警察署へ係のおまわりさんを訪ねた。その時、処分の概要について大変好意的に話してくれた。
 訴えた本人が取り下げを申し出ているが、何にも無いことにしてしまうと、病気の老人のことだから後々どんなことになるか分からない。はっきり事故として扱えば処分はあるけれども、後は保険に任せておけば良いことになるからその方が安心できる、ということを言ってくれているようである。
 後日もう一度調書を作るために二人に来てもらうということであるが、私はそれまで心を塞いでいたもやもやが晴れて潔く処分を受ける覚悟が出来た。今日からはぐっすり眠れそうである。陰ながら励ましてくれた方々に深く感謝しなければならない。

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ひき逃げ事件?    (1992年2月23日)

 2月21日(金)昼近く妻の注文で、駅前の生協スーパーへおかずを買いに出掛けた。駐車場入り口は車が混んでいて、ゆっくり運転していたのであるが、ひとりのお婆さんが草の左側に寄ってきた。お婆さんは車と同じ方向に進んでいたので、私の車には気が付いていなかったようである。
 妻は「危ない」と叫んだが、私は坂道にさしかかる所に居てそちらに注意を払えなかった。妻に「その人を見ていろ」と言って、駐車場入り口の坂道を登って行った。妻が見たところお婆さんは立ったまま車の方を見ていたと言う。
 別に人がぶつかった感じもなかったが、とにかく行って事情を聞いてみようと思って、駐車してから歩いて下へ行ってみた。ところがお婆さんはどの方向にも見当らない、何ともなくて行ってしまったのであろうと思っていた。
 夕方警察から電話があって、「5105はあなたの車のナンバーですね。今その車に当て逃げされたという訴えがあって、お伺いするのですが気分を惑くしないで下さい。昼頃生協の駐車場入り口付近だそうですが、何か心当たりはありませんか。」ということで、びっくりしてしまった。
 「それなら私です」と言って、事情を話したら「とにかく、その時に本人と話し合うか、すぐに警察へ連絡してもらわないといけないのです。被害者から一方的に申告されると、当て逃げ事件として扱わなければなりません。月曜日に事情を聞きますから、そのお婆さんを連れて警察へ来てください。」と言って被害者の住所、名前、電話番号を教えてくれた。
 早速、被害者のお婆さんの所へ電話して、その晩にお見舞いに出掛けた。話を聞いてみると、体具合が悪くて毎日病院へ治療に通っているのだそうである。今日も電車に間に合うように急いでいたし、足元がしっかりしていないので、どうして車にぶつかったか分からない。車が駐車場の坂を登っていたのでナンバーが良く見えた、それを覚えて家へ帰ったが、ぶつかった腕が痛くなるし、吐き気がして体具合が悪くなってきた。
 病院へ行って腕を診てもらったら、骨に異常はなく打ち身だという話であった。その病院では体具合の悪いのは診てくれなかったので、いつも通っている病院へ引っ返して診てもらった。そしたら先生は車にぶつかったショックで血圧が上がったようだと言っていたという。
 その時、看護婦達がすぐ警察へ届けた方が良いと言っていたので、警察へ行ったら余り詳しく調べられて、かえって体具合が悪くなった。等と話しをして思ったより元気で安心した。
 それはそうと、当て逃げとして扱われたら大変だと思い、どうしたらいいか考えあぐねて、その夜はおちおち眠れなかった。昨日、今日と二、三人相談に回って落ち着かない日を過ごしてしまった。昨日はお婆さんの腕も「余り痛くなくなった」と言っていた。

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凧風    (1992年2月21日)

 今年の冬は雪が少ない等と言っても、明日に大雪が降らないという保証はない。一昨日から大雪注意報が出て身構えていたのであるが、幸いなことに大したことなく過ぎた。
  家の周りを見ても、南側の雪はいつもなら二度三度と片付けないといけないのだが、今年は一度も片付けないで済みそうである。今朝は気温が-7℃でこれまでに一番の寒さであった。
 けれども雪が降らないので随分楽である。昼も0℃以下の気温で真冬日という予報であるが、時々日が照って道路の雪が解けている。冷たい風は、小さいときに凧を上げた風を思い出させてくれる懐かしさが感じられる。

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新潟鉄工の実験はうまくいかなかった    (1992年2月19日)

 OGさんとNMさんが2月8日に行なった実験の結果を報告に来てくれた。飼料は固くしまって冷え切っているので、発酵は止まっているようである。結果として生ゴミを発酵させる際に、フライドミールを水分調節剤に使うことは適当でないということになる。
 寒さの厳しい沖揚平まで出掛けていって、こうした結果になるとは誠に気の毒な話しではあるが、仕方がない。
 フライドミールは水分が少ないから、水分調節の役目を果たすかも知れないが、おが屑のように空気を通りやすくする働きは出来ないようである。だから固まった飼料を砕いておが屑を混ぜてやれば、発酵を続けるかも知れない。これは沖揚平のKSさんも同じ意見である。そのことをOGさんに話したのであるが、考えてみれば彼等にとってそこまで試みる必要はないのである。
 今朝OGさんとNMさんが作業衣を着て、これからおが屑を混ぜる実験をするために沖揚平へ出掛けるというのである。吹雪いて険悪な天候だが、話をした責任もあるようで私も十時過ぎに出掛けていった。
 固まった資料を砕いておが屑を混ぜ、もう一回発酵機に入れて熟を加えてZ菌が活躍する温度まで上げるのである。約一時間半で72℃に達したので、発酵機の運転を停止して飼料を取り出して積み上げる。こんな仕事はしたこともないお二人であろうに、実に忠実に働いて二時頃作業を終える。まごまごしていたら吹雪で帰れなくなるかもしれない所だから、すぐ帰ることにする。
 道の両側の高い雪の壁の上から吹きつける吹雪は、時々全く視界を遮ってしまう。気を遣ってNMさんが先導してくれたのであるが、その車さえはっきりと確認出来ない状態である。でも無事下まで辿り着くことができた。
 彼等は思うようにいかなかった実験結果を持って、重い足取りで帰って行った。

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