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吹雪    (1992年2月11日)

 今朝は珍しく吹雪である。昨日の夕方みぞれが降ったので、さしずめ雨返しといったところだろう。
 新潟鉄工のNMさんが実験のデーターを取るために、吹雪の中沖揚平へ上がって行った。
 そういえば、私のところの堆肥も最近は温度を計っていない。昨日発酵飼料を出したばかりだが、鶏たちはその上に身を寄せ合って屯し、吹きつける雪を眺めている。多分其処がいくらか暖かいのだろう。温度を計ってみたら30℃~40℃である。
 吹雪にさらされている熟成槽の上にのせた飼料は、なんと温度の高いところで23℃しかない。それでも長い間には自然に発酵して熟成していくものであろうか。こんな寒い時期には発酵させた飼料を、鶏舎に広げたり熟成槽へ少しばかり乗せたりすると、温度が下がってしまう。
 後でそれを取り出して積み上げた時、ところどころで発酵を始めるのは発酵が進んでない証しなのかも知れない。私の所では鶏舎から取り出したものを、一旦積んでおいて使っているのは状況に合った方法になっているようである。

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新潟鉄工所のメンバー来訪    (1992年2月7日)

 去年の七月にOK企画研究所のONさんが案内して、新潟鉄工のKSさんとSMさんが生ゴミ発酵の実際を視察していかれた。新潟鉄工所では廃棄物リサイクルの内で、食用油の処理を手懸けていると言うことであった。
 そして廃棄された食用油から取り出したざらめ状のフライドミールというものが、家畜の餌としては認められているが、生ゴミを堆肥化する際の水分調節剤に使えないか調べたいと言っていたのである。
 補助金を頂くためには相当詳しいデーターが必要なのだそうで、いろいろと注文があったので私はお断わりをしたのである。ところが沖揚のKSさんが引き受けてくれたそうで、この間から沢山の荷物が私の所に送り届けられてきていた。
 昨日は珍しく良く晴れたので、その荷物を沖揚平へ置いてきたところである。
 今日はONさんと新潟鉄工のKWさんと二人の技術者が訪れて、これからの手順について打ち合せをした。そして昼頃それぞれ出掛けていった。
 東京からわざわざみちのくまで、しかも沖揚平の山の上まで来なければ実験のデーターを取れないなんて、日本のリサイクル事業も程遠い感じである。
 それにしてもこのフライドミールなるものは、生ゴミの水分調節剤としては余り結構な物ではないような気がする。第一油臭くてあんな物を食べたら、鶏も卵も油臭くなって駄目になる感じである。でもこの人達は真剣である。仮設が立証されれば補助金がもらえるという、自分たちのそして会社の名誉がかかっているのである。

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電話    (1992年2月6日)

 「新聞で見たけど詳しいこと教えてほしい」という電話が多い。勝浦の鈴木さん、大阪の西村さんと言った具合で、長い電話である。新聞は農業新開とか日経新聞とか言っているけど、どんな記事であったのか分からない。
  河北は取材に来て、新聞も送ってもらったが毎日・日経は簡単な電話取材くらいで、河北の記事が元になっているようである。農業新聞というのは全く見当がつかない。
  生ゴミを発酵させた餌で鶏を飼っている、という記事でも興味を示す人がいるものだ。これは鶏を飼ったことがある人、とかく農業の経験がある人らしい感触がある。過去にうまくいかなかったり、これから先何か始めようと思いめぐらしているのではないだろうか。
  生ゴミを活かす問題、公害のない畜産の問題、有機栽培の問題等新聞はもっと真剣に取り組むべきだ。

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大雪    (1992年2月2日)

 引きも切らずに降りしきる雪は何に例えたらいいものだろうか、とにかく物凄い雪に閉ざされて悪戦苦闘した記憶は未だ新しい。去年の二月二日・三日と続いたどか雪である。
  今年も昨日から大雪注意報が出ていたので、夕方に一度作業場の雪片付けをしておいたのである。それでも車が作業場へ入ったきり動けなくなづてしまった。
  早速助っ人の除雪機の出動となる。今日は発酵飼料を取り出す日でもあり、忙しい朝だけれども大して遅れることもなく落合のゴミ集めに出発することが出来た。
 ひどい目にあった去年の事を思い起してみると、車が深い雪に突っ込んで動けなくなった時、どうしたら良いかとっさに判断出来ないのである。気持ちばかり焦って、やたらエンジンをふかしてみるが車は益々深みにはまるばかりであった。
  立ち向かう道具はスコップしかないのである。丁寧に周りの雪を片付けて、車が抵抗なく動けるようにしてやらないとどんなことをしても駄目なことを思い知らされたのである。
  その長い苦しい作業の間に先ず手袋が濡れて手が凍えてくる。スキー用の革手袋でも濡れてきたらもう使っておれなくなってしまう。シャツは汗でピショピショなのに、上着が雪に濡れてそれが沁み込んで全体が水を浴びたようになってしまったのである。
 こんな経験をふまえて、今年は良い長靴を買った。随分高いけれども、脚絆を着ける手間が省けて具合が良い。防水防寒具も準備したけど、普段は暑くて仕事にならない。
  それに何よりも威力を発揮してくれるのは除雪機である。これ一台で大抵の雪は焦らずに処理出来る。その上時間も余りかからないから、体が濡れる心配もないのである。
 これからは余程の事が無いかぎり、この除雪機でどうやら冬が越せそうである。

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商調協の廃止    (1992年1月29日)

 大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律の一部改正によって、商業活動調整協議会(商調協)が廃止になった。
  今日はその説明会があって、今年の11月まで二年の任期を待たずに協議会は解散することになった。
 ここのところ大型店舗の進出もなく、一度も協議会を開かずに終わってしまった。申し訳けないような気持ちがして、言葉がないのだが、町の小売業者達はまともに大型店舗の攻勢に立ち向かわなければならなくなるのである。
 益々悲壮な気持ちにさせられることであろう。これも時代の流れでどうしようもないことだから、この中で生きる術をみんなで工夫するより仕方がない。
 とにかく私はこれで公的な役目は一切なくなったわけである。すっきりした感じで堆肥作りに専念出来そうである。

 毎年冬が近づくと、手足の指に霜焼けができて苦しいのだが、近頃はそれが鳴りを潜めてしまったのである。冬の始めは朝出掛ける前に指先をマッサージして、霜焼けがひどくならないように気を配っていたのであるが、いつのまにかそれも止めていた。
 体が寒さに慣れてきたためだろうか、それにしても有り難いことである。

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楽な冬    (1992年1月28日)

 冬至から一カ月余経過して、夜明けも僅かばかり早くなったような気がする。雪や寒さはまだまだ安心できないが、大寒に入って約十日これまでは有り難いことにそれほど難儀したことがない。除雪機を運転した日は五日位あったが、あまりひどい雪ではなかった。
  気温も-6℃が三回、これくらい気温が下がると容器の中の水が氷って、生ゴミが容器にくっついて出てこない。それを手で引っ張り出すので多少時間が多くかかる。そのためかどうか分からないが、水分が多すぎて発酵機から水がたくさん滲みだしてくる。

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話も文章も駄目    (1992年1月27日)

 話しや原稿の依頼があると、寝てもさめてもそれぽっかり考えて他のことは留守になってしまう。けれども考えをまとめてみると、何とも面白みが無いことに気が付いてうんざりする。
  これは自分の内容が乏しい為ばかりでなく、筋書きだけで肉着けが足りないからかも知れない。話や文章の面白さはその肉着けの部分が大事だと思うのだが、私にはなかなか出来ない領域である。
  浪岡での話しも東奥日報の原稿も終わってみると、さっぱりしない気分でやりきれない。どだい私はこんなことを引き受ける柄ではなかったのだ。
 そんなわけで堆肥作りの記録も滞ってしまった。

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一月も半ば    (1992年1月15日)

  ずっと暖かい日が続いて大助かりである。昨日はひどい吹雪だったので、今日は雪で難儀するのではないかと心配していたのであるが、たいしたこともなく作業場へ着くことが出来た。けれどもさすがに山は雪が多く、作業場の中で車輪が雪に埋まって動けなくなってしまった。
  30cmを一寸超える軽い雪だったので、除雪機で片付けてトラックは間もなく動けるようになった。まだ一月の半ばだからこのままで済むとは思っていないが、今までの分が得をしたことになる。
 近ごろ生ゴミの量が不足で、この前発酵飼料を出してから今日で三日目、70%程で発酵機を運転してみたが2時間で65℃、中身は50%位になってしまった。明日またゴミを入れてかち改めて運転することにする。

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講演    (1992年1月14日)

 仲間のKMさんが浪岡町の「町おこし委員」とかに選ばれて、いろいろと意見を述べている中に「生ゴミリサイクル」の問題があるらしい。彼は大変な熱弁家だから、たくさんの人達に感銘を与え実践の意欲をかきたてたようである。
 とりわけご婦人方に人気があるようで度々講演に出掛けていると言っていた。その影響が大きくて、去年の暮れに農協婦人部の面々が二度も見学に訪れたし、私の飼っている鶏の味を確かめる料理研究会を開いたり、卵や鶏肉の注文があったり生ゴミを活かす運動に共鳴する人が増えてきた。
 今日はKMさんのすすめで、浪岡町の商工会が新年会に先立って私に「生ゴミリサイクルの実践」について話をしてくれるようにとの依頼があった。
 旅館の大広間に、町長はじめ町の主だった人たちから、先般私の作業場を視察に来たご婦人方まで、会場一杯の盛況である。
 ゴミ問題
 生ゴミ収集の話し
 生ゴミの発酵
 発酵飼料について
 完熟堆肥と有機栽培
 生ゴミリサイクル運動は町起しになる話し
と約40分、皆、身を乗り出すようにして聞いてくれた。
 宴会の席ではたくさんの人から熱心な質問があって、わずかばかりの実践では答えられないものが多かった。私のやっている内容については、たくさんの人達が関心を持っていて、なんとかしなければいけないと考えている事が良く伝わってくる。
 追子野木小学校での教え子であるYY君が、れっきとした町の指導者として活躍している姿を見て本当に嬉しかった。

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学校給食    (1992年1月10日)

 市連合PTAの幹部の方四人が学校給食について意見を開きたい、ということで訪ねて来られた。昭和53年、私が六郷小学校にいたときに学校給食を請願したことがあったので、関心がある人物だと思ったらしい。
 当時六郷小学校の父兄に元気のいい人がいて、子供達に熱いものを食べさせたいという話が発端となったような気がする。余り乗り気でない私は、学校給食の駄目さかげんを調べて説得に当たったのであるが、食べ物を押さえる事は難しかった。
 そこで議会に請願ということになったのだが、余り実現しそうにない自校式の給食をお願いしたのである。それがなかなか実施されないままに、やがて人々から忘れ去られてしまったようである。
 なにせ周りの町村が100%実施しているのに、黒石市だけ僅かな実施率しかないのだから、この話しが時々頭をもたげてくることは、無理のないことである。
 私はあれ以来給食のことについて殆ど気を配っていなかったので、参考になるようなお話も出来ないが、去年或る学校給食センターの生ゴミを集めて感じた事や、有機栽培で気が付いた事などを話してみた。
 農薬による作物の汚染、工業化された家畜魚介の汚染、といったこれまでのチェックに加えて、学校給食の大部分を賄っている業者の加工にも気を配らなければならなくなったこと。
 子供のアレルギー体質が増え続けている実状をふまえて、「特に有機無農薬野菜や安全食を食べさせるという給食であるなら、是非実現してほしいと思うのだが、そういう吟味なしにただ給食を希望するのは、子供のために取り返しのつかないことになりかねない」と、だんだん本性を表してくるようでこの辺でやめにする。
 学校給食推進にちっとも参考にならず、誠に申し訳ないことをしたと後悔しきりである。

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河北新報に載った記事の反響    (1992年1月10日)

 私がまだ作業場から戻らない内に、仙台方面から電話あって妻が頼りない応対をしたらしい。生ゴミの処理のしかたをもっと詳しく知りたいということや、鶏肉を宅配便で送ってもらえるかといった問い合わせであったという。
  さてもどんな記事が載ったものであろうかと、青森総局に電話をしたら新聞はこちらへ送ったということであった。
  今日その記事を見たら『生ごみで地鶏を飼育、安全で良質と評判』という見出しで、卵と鶏肉の宣伝みたいな記事である。なるほどこれでは鶏の注文が来ても可笑しくないなと思った。
  記者の話しによると、たくさん書いたけど随分削られてしまったと言っていたが、何を中心に訴えるべきかどちら様ももっと真剣に考えてほしいところだ。
  それにしてもこんな記事を読んで、直ぐに電話をくれる方が居られるということは、ゴミの問題も安全食の問題も切実な問題として考えあぐねている人が如何に多いかを示すものではなかろうか。
  この貴重な資源を最大限に活かして、健康を守ることに関心を集めるよう努力してほしいものである。

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大晦日    (1991年12月31日)

 今日は12月31日、明日は新しい年を迎える。昨日はどか雪で難儀した。吹き溜まりは60cmを超える大雪である。威力を発揮するはずの除雪機も、湿った雪では糞結まリを起こして止まってしまう。しばらく吹き出し口にたまった雪を掻きだして、また運転を開始する。
 水のたまっている所は、スコップで濡れた重い雪を掻きださねばならない。そんなことで雪掻きをしている内に9時になってしまった。昨日はHMさんの葬式に出なければならなかったので、落合のゴミ集めは行けなかった。
 そんなわけで今日は二日分の生ゴミが発酵機に入りきれないで、大部分容器に入れたまま年を越すことになった。
 今日は雪もあまり降らずに割りと穏やかな天候なので、車の通り道の雪を片付けることにする。明日、元日は私の兄弟達の新年会があって、鶏鍋を食いたいとの希望があり、特製の鶏を提供することにしていたのであるが、元日から殺生は気が引けるので今日のうちに絞めておくことにする。
 先日鶏を5羽も高く買っていただいた家には、お雑煮用の鶏一羽。お歳暮をいただいた家には卵を差し上げる。どちらもとても喜んでくれた。
 ある旅館では昨日行かなかったものだから、ゴミが溢れて臨時のバケツが三つも追加されている。女将さんが出てきて「あんたがゴミ集めを止めれば、どうすべって心配していだのさ。」と感謝の気持ちを込めて言ってくれる。
 こんな人達はこれまで生ゴミをどんなふうに処理していたものであろう。とにかく今では生ゴミの出し方は私流に定着してしまったようだ。
 一日200kgのゴミを集めるとして、年間73,000kg(73ton)、仙台ではゴミ1ton当たりの処理原価が約23,500円だそうだから、黒石市の場合はどの位になっているか分からないが、単純計算で170万円位ゴミ処理に貢献した勘定である。
 私自身人の為とか、世の為なんて考えたくないのだから、そんなことはどうでもいいのであるが、せめて除雪位はしてくれても罰が当たらないのではないか。行政は見ても知らんふリをして、立派なことを言っている。
 29日には猛吹雪の中、早朝から河北新報の記者が取材に来て、気の毒なくらい頑張って行った。それに比べて地元の新聞は、地元の最も深刻な問題に日を瞑って一向に動かないのはどういう訳があるのだろう。ゴミの問題も有機栽培の問題も、マスコミの果たすべき役割は誠に大きいと思うのだが、私には理解できない事ばかりである。
 来たるべき新しい年には、これらの困難な問題も少しずつ解決の糸口を見いだす方向に向かうよう祈りたい。

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水溜まりの解消に挑む    (1991年12月23日)

 第一鶏舎の前の大きな水溜まりは除雪の最大の障害である。現場を見てくれた建設会社の人も低い所を埋めるか溝を掘るかしなければいけないな、とは育ってくれたものの一向にやってくれる気配がない。
  私に削岩機を貸してくれれば、暇をみて少しずつ溝を掘って水溜まりを解消するから、そうしてくれるようにお願いしたら、作業場に傷をつけるのは困ると言って断られた。
  溝さえ掘れば、誰も水浸しになった雪を片付けるつらさを体験しなくてもよいのにと思うのだが、言っても仕方がない。
  KMさんもここの作業場の持ち主に、水溜まりをなんとかしてくれるように話をしてくれていたのであるが、一向に埒が明かない。溜まりかねて、日頃親しくしている土建業者から削岩機を借りて来てくれた。
 コンクリートの床に溝を掘ることは思った程簡単ではなかった。私も一寸やってみたけれども、固い石に突き当たるとなかなか砕けないし、セメントの部分は軟らかくて突き刺さっていくだけだ。その上、機械が重くて幾らもたたない内に息が切れてしまう。流石、屈強のKMさんも、時々息を入れての苦闘である。
 孤軍奮闘一時間半、水溜まりの水が堰を切って流れそうな溝が出来上がった。今日は水溜まりが氷っているので、その光景を見ることが出来なくて残念だが、これで懸案の水溜まりが解消されるに違いない。有り難い事である。

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環境に馴染んできた    (1991年12月21日)

 作業上の障害は大部分冬期間に起こった。水道を氷らせて溶かすのにてこずったり、車が雪に突っ込んで動かすのに苦労したり、予想しなかった事が起こって対策に苦慮したものである。
  作業の内容も場所も全く初めての事だから当然だが、こんなことに気が付かなかったのかと、後でしきりに後悔したものだ。たった2年間の経験ではあるが、大抵の事には余り慌てずに対応できるようになった。今年の台風19号のような特別のものに襲われれば別だが、雪でも寒さでもそのために仕事を休むようなことはなくて済みそうである。
 手に霜焼けができたり、鶏を捌くのに包丁で手を切ったりすることも、殆どなくなったのは作業や環境に馴染んできた証かも知れない。その日その日の作業はゴミの量によって大体決まってくる、堆肥の手入れとか鶏の世話とか取り混ぜて家を出てから6時間程の作業が、別に考えもせずに手に付くようになってきた。

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季節の便り    (1991年12月19日)

 8日から立て続けに降った雪は13日には50cmを超して、このまま雪に閉じ込められてしまうのではないかと思われた。14日に雪が止んでから日が照ったり雨が降ったり、割りと暖かい天候が続いて昨日であの大雪も殆ど消えてしまった。
 今日は暫くぶりで寒い北風に雪が舞って、出直しの冬の感じである。明日からまた雪との付き合いが始まるかも知れないが、除雪もしなくてもよい日が何日か続いただけ得をしたという気持ちである。

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シャモにいびられる    (1991年12月18日)

 今までは4羽いたロードアイランドの雄が、集団を取り仕切っていたのである。彼等は羽の色艶もよく雌より一回り体も大きい上に、胸を張って辺りを見回しているので、その立派さが一際目立つのである。
 近ごろシャモが大きくなって、ロードの雄は余り目立たなくなってきた。そして一つの集団の中に勢力の強いものが多くなると争いが起こるのは畜生の浅ましさか、ロードの雄がシャモに痛め付けられて食物にもありつけない状態になってきた。その内の一羽は空腹に堪えかねて、私にしがみついてくるのである。もう大分体重も減ってしまっていて、元気な時の面影はもうない。
 もう一羽は囲いの中に追い詰められて、片目をつぶされ瀕死の重症である。シャモを何時までも一緒に飼っておくと、他の鶏が痛め付けられてしまうからやってはいけないことであったのだ。撒いてやった餌を食い終わる頃は、シャモの胃袋が一杯なのにシェーバーやロードはまだ腹一杯にならず、うるさく私に付きまとってきて気の毒である。早いとこシャモを処分してしまわないといけないと考える。

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愛おしい廃鶏    (1991年12月12日)

  1989年10月5日に小国養鶏所から買ってきた10羽の廃鶏から養鶏の仕事が始まった。堆肥作りを始めたのが9月1日だから、その一カ月後に鶏を入れたことになる。
 よたよたした廃鶏が発酵飼料を餌にして再び産卵を始めるという、それが当農場のキャッチフレーズでもあったのである。その鶏達も5才にもなって、次の世代にバトンタッチしなければならなくなった。でもやはり発酵飼料のおかげだろうか、若々しくて1才のノーリンクロスと区別がつかないくらいである。
 辛うじて小さいときにチョン切られたくちばしを手がかリに探し当てて、淘汰していって今日で全部土に返してやることが出来た。
 思えば歌人の福井さんが詠んだように「むきだしに尻肉赤き廃鶏に のこる命の 息づき荒らし」の悲惨な状態から、見事によみがえって健康な鶏になるまで、私のような素人の手で良くも育ったものである。
 そんなことを考えるととても絞められたものでないが、養鶏をいくらかでも採算が取れるようにするには、淘汰することがどうしても必要になってくる。元気でいる鶏を絞めて土に返してやることも、生物愛護の一つの道であると割り切ってやっている。明日からは懐かしの廃鶏はもう見られなくなったのである。

 今日も30cm程の積雪で、車は坂の途中で動けなくなってしまった。一昨日に続いて除雪機の出動である。今までは雪で車が動けなくなったときは、大変惨めな気持ちになったものだが、この除雪機のおかげで割に平気で対応出来るようになった。

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来るべきものがついに来た    (1991年12月10日)

 私の仕事の中で雪との戦いが一番の悩みだが、その雪が俄にどかっとやってきた。家の前は昨夜8時頃に一回片付けておいたから、今朝の出発はそんなに苦労しなかった。
 作業場はさすがに雪が深く(約40cm)、坂の途中で前にも後へも車が動けなくなってしまった。去年はこんなとき3時間もスコップで雪を片付けたのだが、今年は除雪機がある。車を乗り捨てて除雪機の運転にかかる。
 凡そ30分、車が入れる範囲の除雪が出来た。機械の威力は凄いものだ。強力な助け船が来てくれて感謝感激である。
 仕事が一段落してから少しきれいに除雪をしようと思って、再び除雪機を運転する。ところが最初から心配していた通り、水のたまっている所はうまく雪が飛ばないのである。その上、水に濡れた雪が吹き出しロに詰まって、機械が止まってしまった。こういう所はやはりスコップで片付けないといけないようである。
 分かり切ったことだが、機械はその性能を十分発揮出来るような状況で使わなければならないものだ。無理して機械を壊してしまったら元のもくあみである。

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堆肥の効能    (1991年12月6日)

 堆肥の効能について聞かれても、説得力のある説明は殆ど出来ないでいる。永年化学肥料や農薬を使用した結果、堆肥を使わなければいけないと訴える農夫も、その詳しい理由については余り分かっていないようである。
 無機栄養説については学校でも習った記憶があって、大抵の人が容易に理解できる明快なものである。植物が直接吸収できる窒素・燐酸・加里を与えて思いのままに作物を育てることが出来たのである。そこでは土は無いほうが良かったくらいで、徹底的に消毒され除草剤を吸い込まされて、土自体が植物を育てる本来の力を失ってしまったのである。
  私達の栄養素について考えてみても、炭水化物・脂肪・蛋白質はいろんな食物で取り入れるものであって、精製された要素だけ取っていたら、どんなことになるか知れたものではない。農業の近代化によって、私達は見事に規格化された野菜にお目にかかることは出来たが、その野菜が持つ風味はもうとっくに失われてしまった。
 有機栄養説はなかなか難解なもののようである。酒井先生がお書きになったものを読んでみても、無機栄養説の感覚では納得しがたいものである。十分熟成させた堆肥を施すことによって、土の中の生物がどんどん増えて土を団粒化していく。団粒化した土壌は水捌けが良く、同時に水持ちも良い。また太陽熱を蓄えて地温の低下を緩和する等、干害や冷害に強い性質を持つようになる。
  このように完熱した堆肥は土の中の生物を括性化し物理性・化学性が複雑に絡み合って、作物を成育させる能力を増していくのである。と余り良く分からない話に終わっている。
  化学性というのは、所謂、窒素・燐酸・加里といった無機物を作り出す性質も入るはずであるが、そう簡単に説明出来るものではないのであろう。
 私自身は酒井先生のご説明で十分納得出来るが、世の物知り達に説明するにはもっと勉強しておかないと駄目なようである。

 11月の未から割に暖かくて穏やかな天気が続いて助かった。予報では明日から寒くなって雪が降るということだが、こんな天気に慣れてしまうと雪の予報に不平の一つも言いたくなるのが人情だ。
 もう何度か雪に見舞われたり、厳しい寒さに襲われたりしてもおかしくない時節なのだ。今になって小春日和が続いても、農家にとってはもうそんなに有り難いことではなさそうである。やはり晴れるべき時には晴れて、降るべき時には降るのが一番有り難いことである。
 何日かかっただろうか、第一鶏舎の後の堆肥を今日やっと運び終えた。明日からは第二鶏舎の後の堆肥を運びだす仕事に取りかかる。一輪車で床に積もった堆肥を運びだすのは気の遠くなるような仕事だけれども、悠々とした楽しさもある。

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Z菌の機嫌が悪い    (1991年12月5日)

 新しく飼料を入れ始めた4号熟成槽は毎日の雨で水浸しになり、さっぱり温度が上がらない。昨日表面を掻き回してみたら、中はぐしょぐしょで悪臭を発し、この季節には珍しくウジがわいていた。
 30cmくらい打ち返して、新しい発酵飼料を掛けておいたら、今朝は悪臭もなく温度も上がったと見えて湯気が立ちこめていた。
 鶏舎の床は固くしまって、冷え冷えとしている。ここも三本鍬で打ち直して砕いておいたら、今日はふわっとして暖かくなっていた。鶏舎の床がどうしてあんなに固くなったのか原因は分からないが、Z菌が活躍するには極めて都合の悪い状況であったのであろう。
 Z菌はやはり生き物であるから、表面が固まったり、水分が多すぎたりして酸素の供給ができないと、活動をやめてしまうのだ。水分が多すぎる場合は腐敗菌が働いて、悪臭を出すから乾いた飼料を混ぜるなどして、Z菌が住みよい環境に変えてやる必要がある。
 堆肥が熟成していく過程で、Z菌が高温発酵をできるだけ長く続けていけるように、時々ご機嫌うかがいをしてやらなければならないようである。

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