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シャモロックを試食してもらう  (1991年8月25日)

 5月24日に入れたシャモロック29羽は4月20日生まれだから、4カ月経ってちょうど食い頃なはずである。
 5カ月になって固くならない内に、試食してもらいたいと思って22日に4羽出したら、沖揚平のKSさんからは「今までの鶏とは全く違う美味しい肉だ。」という電話を頂いた。
 今日はNW旅館の主人が仲間を集めて試食会をするというので、4羽しめて届けておいた。生き物の殺生は決して気持ちの良いものではないけど、これはどうしても私がやらねばならない。この先どうしようかと億劫である。

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りんご園草刈り  (1991年8月24日)

 お盆も過ぎて大分涼しくなったので、また草刈りを始めることにする。先日給油所へ行って草刈り機用の混合油を10リットル貰ってきたから、何時までも怠けている訳にいかないのだ。
 昼少し日差しが強かったから、2時過ぎに出掛ける。私の担当しているりんご園は周りのりんご園に比べるとやたらに草の伸びが良い。生えている草の種類も他と違うようである。
 タンポポやギシギシは刈り込んだ茎に柔らかな若い葉が茂っている。ハコベが増えて草刈り機の刃に絡み着き機械を止める回数が増えた。新手の草はミゾソバで、これがまた大変刈りにくいのである。
 茎がたくさん枝分かれしていて、茎の所々から根が出ているからきれいに刈り取る事が難しい。こんな訳でもたもたしている内に5時半になってしまった。おそらくこれが今年最後の草刈りになるだろうけど、思ったよりも手間取るようである。

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最近のゴミ事情  (1991年8月17日)

 ねぶたからお盆にかけて、旅館街は泊まり客が多くてゴミの量が多い。こうなるとゴミを出す方も水切りが不十分になったり、ビニール等の異物を仕分けするのがいくらか粗末になるのは止むをえない。
  時節柄、西瓜やメロンが多くて、発酵機からだらだらと水が漏ってくる。トウモロコシの芯等は堆肥に馴染まないで何時までもごろごろと残るから、時々片付けて熟成槽に積んでやらねばならない。
  二日に一回の運転が少し続いて、堆肥宿も鶏舎の床も目立って高くなった感じである。
 先日KM先生が学校で使わなくなった整理棚を運んできてくれたのであるが、私一人ではとても動かせなくて、ついでの折りに応援してくれるようお願いしていた。
 今朝、国語部会の帰りとかで、同僚の方を伴って作業場に寄らてくれて、整理棚を据え付けてくれた。

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冷害が心配  (1991年8月7日)

 近くの農民がやってきて、今年は雨ばかり降って日照が少ないから、メロンも稲も具合が悪いと言う,西瓜やメロンは雨でふくらんではいるが、よく熟していないらしい。美味しくないために、生ゴミに入ってくるものは皮ばかりでなく実も一緒である。
  稲は今、穂が出てきたところだが、こんなに雨が続いたら実りが悪かろうし、病気も心配しなければいけない。やはり夏はうだるように暑いほうが良いようである。

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鶏好きの新手が訪ねてくる  (1991年8月6日)

 先日温湯のYMさんが厚目内のKMさんを連れてきた。KMさんも大変な鶏好きで、たくさんの鶏を飼っているそうであるが、近いうちに入院するので鶏を山田さんのところへ預かってもらうために運んで来たのだという。
 この人はオーバンが好きで長い間飼ったという話をしていた。私のロードを見て、目を輝かして「こんなロードの雄が欲しかったのだ」という。私のロードは羽毛の色艶はいいし、赤いとさかも見事で素晴らしい鶏だとこの前来た老人も言っていた。
 「体が良くなって退院したら、このロードの雄をあげるから早く病気を治すようにしてください。」と言ったら、喜んで帰っていった。
 今朝は青荷沢のSWさんという方が訪ねて見えた。前に二、三度来たけれども会えなかったそうである。この人は雛をかえす有性卵が欲しいのだそうである。
 雄を手に入れたけれども逃げていなくなってしまったらしい。ロードの卵が三つしかなかったので、白レグの白い卵を7個入れて全部で10個持って喜んで帰って行った。誰から聞いて来たのだろうか、こうした鶏の好きな仲間は別に呼び掛けなくても次々に集まってくる。
 味鶏の名所は、この人たちに活躍してもらえば案外簡単に出来るかも知れない。
 ねぶたの期間中は、ここの旅館街も大分混んでいて生ゴミがトラックに積みきれない位多く出る。おかげで何回かは二日に一回発酵機を運転出来た。鶏餌も市販のものをいくらか食い延ばす事が出来て助かっている。

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りんご園の草刈り三回戦  (1991年8月6日)

 二回日の草刈りの最初が6月24日だから、もう40日余りも経って雑草が大分のびている。お盆前に少しきれいにしておかないと、持ち主も気持ちが悪かろうと思って、午後入り口の一反歩ほどを片付けた。草の丈は二回日程高くなかったから、後の部分はお盆過ぎてからでもよいようだ。
 午前中人夫がいてりんごの実すぐりをしていたようだ。無袋りんごの陽光は少し色着いてきた。この有機栽培の陽光は東京の市場へ行くことが決まっているのだから、よく世話をするようにとOKさんが話しているらしい。

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今年の雛達も大きくなった  (1991年7月28日)

 5月24日に入ったノーリンクロス(95羽)は2カ月過ぎて、95日目である。後一月過ごせば早いものは卵を産み始める。体も白レグに劣らない位大きくなった。
 シャモロックは100日を越して堂々たる体になった。これは後一カ月で鍋に入る運命である。
 6月28日に入ったシャモロックは65日雛で、一カ月前の鶏に比べると半分くらいしかない。それでも食欲は旺盛である。オーバンやノーリンクロスの雄はまだひよこで、特にオーバンは一カ月経っても少しも変わらないくらい小さい。入った時もこれが本当に30日雛かと疑ったくらいである。
 総勢270羽を超える鶏たちの餌は一日約30kg2000円近い。卵も余り産まないようでは早いとこ煙に巻くか、鍋に入れるかしなければなるまい。しかしこうして育てているとだんだん情が移って、殺せなくなりそうである。

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鶏の好きな老人達  (1991年7月28日)

 今朝一人の老人が作業場に尋ねて来た。
  「下の村の者だが、温湯の山田さんから聞いてお願いに来た。ロードの雛をかえしたいから卵を譲ってもらえないだろうか」というのである。近ごろ鶏たちが卵を産まなくなって、欲しい人たちにやれないで困っているところだ。この老人も鶏が好きでずっと前から鶏を飼っているという。しかも山田さんはじめ二、三人の人は秋田の比内鶏を飼って得意になっているが、自分はこのロードが最高の鶏だと思っている。
  比内鶏は食ってうまいと言うけど、ロードの肉もうまいし特に毛並みの奇麗さは比内鶏はとても及ばない・・・。こんなにロードに惚れ込んでいる人なら、他のロを断ってでもやらねばなるまい。
  とにかく産卵箱を探してみると八つだけあった。12個欲しいと言っていたがこれで我慢してもらうことにして、ティシュでくるんで持ってきた箱に詰めてやった。値段は皆30円で買ってくれていると言ったら、雛をかえす卵はそれでは安すぎると言うのである。大事そうに卵を抱えて喜んで帰って行った。
  ロードの効率の悪さには愛想が尽きて、来年はどの品種を入れようかと考えあぐねていたところであるが、こんな人が居るとなるとまたロードを入れねばなるまい。
 しばらくして、温湯の山田さんがやってくる。自分が教えてやった人が卵を買いに来たかどうか確かめに来たという。さっきの老人はロードがお気に入りで、永年ロードの雛をかえしてきたが、次第に雑種になって本来のロードが生まれなくなった。それでここのロードの卵ならいいと教えてやったということであった。
  さしずめ老人クラブの養鶏部といったところであろうか。

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老婆の話し  (1991年7月26日)

 いつも私の家の前を通る婆さんがいる。今朝、わが愛妻を見かけて立ち止まり、話し掛けてきた。
  「アンダノトウサン朝早グガラ、ドゴサナニシニエツテルノシ」と訪ねてきた。
  「生ゴミ集めて、堆肥作っているのぉ」
  「ウッテジェンコアッテモ、ソシタゴトサネバマネモダピョンネシ」
 妻は返事に困り、会話はここで終わって老婆は去っていく。
  「沢山お金があっても、まだそんな(汚い~卑しい)仕事をして、お金儲けをしなければならないのでしょうね。」と
 いみじくもこのお婆さんの言ったことは、世間一般の私を見ている目なのであろう。苦労して働いてきた人には、お金を使ってやりたいことをやっている事など、どう説明しても分かってもらえるはずがない。
 さらにはやりたいことをやって、何か得する事があるかと訪ねられたら、またまた分かりにくい事を言わねばなるまい。

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念願の75℃を記録  (1991年7月24日)

 生ゴミも夏は水が多くて、発酵機に入れる段階で水切りに大分時間を費やさなければならない。ゴミの内容も野菜屑や西瓜・メロンの皮等が多くなって、運転している内に水が出てきて全体の量が著しく減ってしまうので困る。
  先日も80%程の生ゴミで運転していたら、温度が高くなるにつれて60%位まで減ってしまった。それでは効率が悪いので二時間で運転を止めて、次の日改めて運転することにした。
  その日はゴミの量が多くて90%程になった。前日ある程度運転していたから、Z菌は大分繁殖しているものと思われる。7時半から9時半まで運転して、とうとう75.1℃を記録した。
  この発酵機でおそらく初めての出来事である。内容物は80%程になっていた。75℃を達成するためには生ゴミの量が90%位にならなければいけないようである。生ゴミとおが屑を混ぜて1500リットルだから、生ゴミはざっと1000リットル位になれば条件が整うということになりそうである。
 今日も三日めで内容物の量は90%程になった。この分では先日のように75℃達成出来そうである。昨日までの分と今朝の町の分は、5時半から6時半まで運転加熱しておいた。落合の分を入れて7時半に運転を開始する。内容物がこんなに沢山はいると、バーナーの近くでは炎がゴミの中に食い込んでいって、ゴミに火がつきそうである。
  9時半に温度を計ったら、予想通り75℃に達していた。この発酵機も二年も一緒に暮らしたら、やっと私が考えるように動くようになってきた。私が発酵機の気持ちが分かるようになってきたと言ったほうがいいかも知れない。

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新潟鉄工の二人の部長さんがおいでになる  (1991年7月24日)

 発酵機の操作について伺いたいと2~3度電話で連絡があったが、今朝黒石に着いて駅まで妻が迎えに行って、ハイヤーで作業場まで来ていただいた。
 発酵機のことを色々訪ねるのであるが、目的がはっきりしない。家へ引き上げてゆっくりお話を聞くと、生ゴミと廃油を処理して出来た資料が粗脂肪を多く含んでいるので、一旦この発酵機で使って(水分調整剤として)みてもらえないかという趣旨のようである。

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薫製の手ほどきその(3)  (1991年7月23日)

 今日は早朝からMMさんがおいでになって、先日仕込んでおいた鶏の燻製を作る最後の段階を教えてくれることになった。沖揚平のKSさんが車で弘前まで迎えに行って、細かい材料を私の所へ寄って持っていくことになていたのだが、予定の時刻になっても現われない。事故にでも会ったのではないかと心配していたら、8時頃やっと着いた。車がエンストして迎えを頼んだのだと言う。.
 私が仕事を終えて駆け付けたのはお昼一寸前だった。MMさんお手製のスモーカーに材料が吊されて乾燥が終わるところだった。いよいよチップをくべて煙をかけるのである。
 炉の中央に炭火をまとめて、左右から直径7cm長さ40cmくらいの木を差し込むようにして立てる。その炭火の上に一握り半位チップをのせるのである。スモーカーの扉を閉めるとあふれた煙が隙間からもれてくる。いい調子だとMMさんはおっしゃる。
 30分毎にチップをくべれば良いのだそうだ。温度は40℃~50℃になるように火加減を調整する。
 チップが燃えだした時にかぶせる濡れ雑巾を準備しておく。大した難しい操作もなく、順調に進む。5時間経過する頃から大分燻製らしい色合いになってきた。
 6時間で炭火の真上の肉を二つ取ってきて、オーブンで焼く(170℃で30分)。焼いている間に鶏から汁が出るので、それを時々刷毛で肉に塗ってやればいいのだそうで、待ち構えていたが、汁はとうとう出てこなかった。普通の鶏のように脂がのっていないようである。
 いよいよ試食、講師はとても良く出来たと大変な喜びようであるが、私には燻製の善し悪しは全く分からない。
 とにかくこれなら私にもなんとか出来そうである。廃鶏にするロードもそんなに処理のしかたを心配しなくても良いことになった。シャモロックも一段と美味しいものにして、皆さんに食べて頂くことが出来そうである。
 それにしても燻製の良く分かる方達に善し悪しを確かめて頂かねばならない。
 煙をかけて肉の保存と味を良くするなんて、良く考えたものだ。いぶす木も梅が一番良いということだから、私は梅の木を専門に使うことにしよう。

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間抜け  (1991年7月22日)

 先日病院のゴミ容器の上に白いゴミ袋が置いてあった。野菜くずだと思って持って来たのであるが、それが調理するために刻んでおいたもやしであった。
 おばさんたちは慌てて私の家まで追い掛けてきたのであるが、連絡がとれないと聞いて引き返した。随分困ったことであろう。翌日私はなんと言ってお詫びしようか、さんざん文句を言われたらどう弁解しようか、いや黙って叱られていよう等と車のなかで考えながら行った。
 「お早ようございます。昨日は大変ご迷惑しました。すみませんでした。」と言ったら「こちらこそ」と意外に軽い反応でほっとした。そして何時ものようにゴミの容器を車に積んで意気揚々と引き上げた。
 ところが大工町の十字路を曲がるとき、今積んだ容器の一つがドタッと落ちたのである。ゴミが十字路一杯に散らばった。無残な光景である。
 私は素手でゴミを掻き集めたが、少しはゴミが残って道路を汚してしまった。病院でほっとしたとたんに、トラックの扉を閉め忘れたのであろう。一つのことを考えていると、他のことが間が抜ける、脳細胞が大分減ってきたようだ。

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りんご園の支柱を立てる  (1991年7月21日)

 りんごが成りすぎて枝が垂れ下っているところが二、三カ所あって気になっていたのであるが、夕方鶏に水を与えに行くついでに縄と鋏を持ってりんご園に寄る。
  根元が腐って倒れた支柱を運んできて、三つに組んで枝を支えようとしたのであるが、二つに組んだ柱を立てかける時にりんごの枝を擦って、折角大きくなったりんごが五つも六つもポタボタと大きな音をたてて落ちてしまった。骨折り損のくたびれ儲けである。
  全部落ちてしまったわけでないから勘弁してもらおう。二か所だけ支柱を建てたが後は何とか我慢できそうである。
 6月24日に草を刈った所だけは、下草が青々と延びてまた草刈りをしなければならない程である。この調子では一カ月に一回草刈りをしなければならないような感じである。

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薫製の手ほどきを受ける(1)  (1991年7月18日)

 二、三日中にMMさんが薫製の作り方を教えに来てくれるというので、今日は夕方沖揚平へ行って、KRさんから下掃えを教わる。KRさんは農学校時代の実習で基本を学んだそうで、手捌きが鮮やかである。
  鶏の咽の部分と尻の部分から手を突っ込んで、内臓を取り出すのは、私はまだやったことがないからどうしてもうまく出来ない。どこにどんなものがあるのか詳しく知っていると、取り出し方の要領が早く呑み込めると思うのだが、それが駄目だから取り残しなどがあらてなかなか巧くいかない。
  最後に背中から鋸引きして左右半分に割るのであるが、これなんかはもう少しましなやりかたがありそうなものだ。
 私の育てた鶏は裸にすると、骨だらけで食うところが殆ど見当らない。餌が足りないことを見せ付けられているようなものである。5羽処理して水で洗って冷蔵庫で保管してもらう。

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夏ばて  (1991年7月17日)

 近ごろめっきり産卵数が減ってきた。夏ばてだろうか。30羽の白レグは年も年だし卵を産めなくなって当然だが、50羽余りのロードは体に故障があるのがまだ大分いる。
  それにしてもこの数で一日30個そこそこの卵では餌代に成り上がる。ロードを淘汰するために、薫製の本を読んでいるが道具や時間の問題でおいそれと取り組めないでいる。
  肉鶏のシャモロックもいることだし、味の良い蒸鶏をなんとかして我が農場の名物にしたいものだと思っている。

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