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髪を落とす (1989.12.30)

 おが屑を扱っていると全身おが屑がくっついて、どうしても入浴して洗い流さなければならない。
  その後整髪しないと、髪がバサッとして人前に出ることが出来ない。
  毎日のことだから、リキッドやポマードを使って整髪するのが、だんだん大儀になってきた。
  いっそ、いがぐり頭にでもしてしまおうか、と考えていたがなかなか決めかねていた。
  そうこうしている内に髪がのびて床屋へ行かなければならなくなってきた。
  年の暮れでもあるしこの辺が潮時だろうと思って、五分刈りにしてもらった。
  四十年付き合ってきた髪型に決別するにそれ程抵抗はなかったが、鏡に映った自分の顔がただ丸いだけで、何とも格好がつかないのにがっかりした。
  ゴミ集めも帽子を離さないようにしているし、暫らくは人様にも合わないようにしよう。
 小国の養鶏場で必要でない雄鶏があるというので行ってみる。
  雌鶏に混じってきた雄鶏は捨てるわけにもいかず、餌を与えておくそうだが、買って行ってくれればそれにこしたことはないという。
  20羽くらいいた雄鶏のうち10羽譲り受けてくる。
  代金は1,000円。とさかの色も鮮やかですごく元気な鶏たちだが、こちらの広い鶏舎に放すと、勝手悪そうにこそこそと囲いの中で群がっているだけである。
  先輩の鶏たちが睨みを利かしているようだ。
  何日位で仲良くとけこめるものだろう。

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鶏のボスがいなくなった (1989.12.27)

 年の暮れも迫って、わが農場もこれまでお世話になった方々に、なんとかお礼をしなければならないと考えていた。
  鶏が期待していたように卵を産まないとなれば、身を以てその代償を払ってもらわねばなるまい。
  誰か鶏を締めてくれる人がいないか探していたが、昨日Sさんが来て締めてくれた。
  私が世話をしたものだから、鶏は痩せて骨と皮ばかりのようだが、まあ鳥汁にでもして下さいと言って配った。
  七羽つぶしてもらったから計算上は四十九羽いるはずだが、そんなに数が少なくなった感じはしない。
 いつも鶏舎に入っていくと、真っ先に私の足元に寄ってくる鶏がいた。
  少し黒っぽい奴でなんとかレグホンとむつかしい名前がついていたようだった。
  その鶏は私の後について歩いて、他の鶏が来ようものならポキッと一突き、ケケッとたちまち退散させてしまう、とても勇ましいボス的存在であった。
  今朝はそのボスが寄ってこない。
  さては昨日締められたのであろうか。
  可哀相に昨日までのその鶏の仕草がちらついて、哀れで淋しい気持ちである。
  そしてこの鶏の集団も何となくばらついて、まとまりのないように見える。 

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インタビュー (1989.12.24)

 T新聞社の支局長さんが作業場に訪ねて見えた。
  発酵機のこと、生ゴミを発酵させた資料のこと、完熟した堆肥のこと、鶏のこと等、問われるままに説明する。
  なにせ吹きさらしの作業場ゆえ、立ち話しは寒くてかなわない。
  家へ案内して話を続ける。
 新聞社の方だけあって、有機栽培の必要性も生ゴミの問題もよく承知しておられる。
  要は誰がどんな形で手を掛けるのか関心のあるところだろう。
  農家でないから直接必要もない堆肥を、たくさんのお金を使って作る意図を訪ねている。
 経費はどれくらい掛かっているかと問われても、とっさに答えられない。
  機械の購入費や電気の敷設費は別として、普段かかっている経費も少なくない。
  トラックのガソリン代が12,000円くらい、水分調節用のおが屑が2トン車2台分で15,000円くらい、こぬか30kg入り6袋で3,300円、鶏飼料4袋で5,600円、その外バーナーの抽代、電気料と計算すれば一月の諸経費は驚く程だ。
  勿論仲間みんなで負担するわけだが、使っているのが私だから済まない気持ちである。
  しかもこの莫大な経費の所産が、鶏たちが上がって遊んでいるわずかな堆肥だけなのだから、事業としては成り立たないことは誰の目にも明らかだ。
  それでもなお、この仕事を続ける意義・・・。 私はうまく語ることが出来ない。
 さてどんな記事が出ることやら。

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感謝感激 (1989.12.20)

 作業場の雪もだんだん深くなって、これ以上積もればトラックの腹がつかえて、動けなくなってしまう。
  この前、近くで仕事をしていたプルトーザーの運転手さんにお願いしてみたが、やってくれなかった。
  どうしたらいいだろう誰にお願いしたらいいだろう。
  考えているだけではどうにもならないことだけれども、雪は降り続くし、不安で頭が一杯になった。
  折も折、N旅館の前で、S建設の自動車から出てきた人に声をかけられた。
  とっさにどこか分からなかったが、最近、隣りでコンクリート作業をしている監督さんだ。
  時々あいさつを交わしたり、鶏や鯉の話を聞いたことがあったが、まだお名前も聞いていなかった。
  あいさつもそこそこに「今度プルトーザーがあそこへ行ったら、うちの作業場の雪を寄せてもらえませんか」と厚かましく頼んでみた。
 その日は会議があって青森に出掛けなければいけなくて、早々に引き上げてきた。
  吹雪は益々激しくなるばかりであった。
 今朝も吹雪は一向に収まらない。
  所々に出来た吹き溜まりが車の足をグイッと引っ張る。
  さて、作業場の除雪がされていなかったらどうしよう。
  道路に車を置いて、そこから生ゴミを運ぼうか、それにしたって一輪車の通る分20~30mの雪掻きをしなければならない。
  がぜん、また心配になってきた。
  一人で車が雪にはまったら、あそこでは助けの求めようがなく、万事休すだ。
  運転しながら、そんな不安が脳裏をかけめぐる。
 作業場へ登る坂は急で、普段でも車のスピードを緩めずに、惰性で登る様にしないとうまくいかない。
  雪道はなおさら馬力を出して登るのである。
  さて今日も新雪が多いので、道路から一気に登り坂に突っ込んだ。
  そしたらなんと、きれいに除雪してあるではないか。
  今までの不安が一辺に吹き飛んで、思わず万歳を口ずさんだ。
  良かった良かった、S建設の監督さんプルの運転手さんに感謝感激である。
 昼から妻に頼んで、古い堆肥をかき出す作業をする。
  一人ではなかなかはかどらないが、二人だと目に見えて片付いていく。
  これも感謝感激である。 

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軽トラックを買う(1989.12.16)

 整備工場で使っているトラックを、いつまでも借りているわけにいかない。
  なんとか専用の車を手に入れるために、方々にお願いをしていた。
  条件は燃料費の余り掛からない軽トラックで、価格の特別安い掘出し物と言うことにしてあった。
  4WDの軽トラックで安い物は殆ど手に入らない、と何処でも難色を示していた。
 先日ある工場で安いトラックが出たから、買わないかという話しがあって、行ってみた。
  ダイハツのハイジェットという軽トラックで、古くて頼りない車だけれども、すぐにエンジンはかかるし、スパイクタイヤが着いているから、雪道も大丈夫だという話であった。
  何よりも値段が八万円ということで、早速買う手続きをとった。
 名義変更して届けてくれたので、試運転をしてみたら困ったことに気が付いた。
  雪の上は全く動けないのである。
  これではあの雪の深い中野の作業場で使い物にならない。
  売ってくれた工場に話をすると、荷台に重しを乗せてタイヤにチェーンを巻かないと、うまく走れないと言うのである。
  売る前と話が違っていて極めて不愉快である。
  しかし今更返すわけにもいかないし、なんとも迂闊なことをしたものだと悔やまれてならない。
  この車は春になって雪が解けてから動かすことにして、中野の作業場にほったらかしておいた。
  安物買いの銭失いということであったか。
 借りているトラックを返すわけにいかなくなった。

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暖かい贈り物(1989.12.13)

 Sさんから冬用のスポーツウェアを頂いた。
  早朝の仕事や吹きさらしの作業場は、さぞ寒かろうと仲間がみんな心配してくれている。
  私はよく山歩きをするから、夏の作業衣は持っているが、冬活動する衣服は持っていない。
  なんか適当な作業衣をと、見て歩いてはいたが、どんなものを使ったらいいか見当がつかなかった。
 このウェアは風を通さないので暖かいと言っていたが、ほんとに暖かくて軽くて、すごく快適である。
  作業が始まると汗ばんでくるので、上着を脱いで仕事をしなければならない位である。
  全く感謝に堪えない。

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手足が冷たい(1989.12.10)

 車に積もった雪を払い除ける。
  フロントガラスに掛けておいたビニ一ルのシートは、雪を振り払う度にパリパリと音をたてて裂ける。
  相当しばれているようだ。
  軍手が濡れて手がだんだん冷たくなる。
  乾いた軍手にはき替えるが、冷たくなった手はなかなかもとへ戻らない。
 旅館は、昨日に引き続いて今日も忘年会のお客が多いようだ。
  生ゴミはこれまでになく多くて、トラックにあふれる程である。
  温度が低くなると、ポリ容器が壊れやすいので、取り扱い要注意である。
  それでもパケツの把手が一本ポキッと折れてしまった。
  奉仕をしながら、弁償しなければならないとは、割に合わない話である。
 容器を洗うのは、ここの水が特別温いから(15℃)、傍で見るより楽であるが、暫らく吹きさらしの所に立っていると、体が冷え切ってしまうのであろう。
  後始末をしているうちに、手足がだんだん冷たくなってくる。
  家へ帰って暖房に手足をあぶっても、指先のヒリヒリした感じはなかなか治らない。
  風呂につかって体の芯から暖まらないと手足のしびれは取れないのである。
  年のせいだろうか。

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スパイクタイヤを着ける(1989.12.5)

 12月に入って冬型の天気が崩れ、雪も消えてほっとする。
  折角乗用車に着けてもらったスパイクタイヤも外して運転していた。
 4日の天気予報は雪になると言うのですごく心配したが、5日の朝は寒さが厳しかったけど雪は降っていなかった。
  午後整備工場へ行ったら、お願いしていたスパイクタイヤが届いていた。
  早速取り付けてもらう。
  明日からは安心して出掛けられる。

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とうとう雪が積もった(1989.11.30)

 タイヤがすりへったトラックだから、雪が積もったらどうしよう、そればかり心配で近ごろ天気予報を注意して聞いていた。
  近い山に三度冠雪があれば、里にも雪が降るとも言われている。
  昨日は黒森山に三度めの雪を見た。
  天気予報も明日は雪と言うことだった。
  私は鶏の囲いが出来た事で気を良くして、車のことは余り深刻に考えていなかった。
 さて今朝は来るべきものが遂に来た。
  雪が3cmほど積もっていたのである。
  おそるおそる静かに車を進めた。
  エンジンをふかし過ぎれば車は横にずれるし、弱すぎればエンジンが止まる。車の回転に合わせてアクセルを加滅して踏まなければいけない。
  坂道は冷や汗ものだ。
  山形地区の雪の量は街の二倍くらいはある。
  落合からの帰り、中野の坂は遂に登り切れなかった。
  遠回りしてやっと作業場へたどり着いた。
  10時頃日が照ったので、急いで家へ帰ってきた。
  神経がくたびれてしまった。
 U整備工場へ行ってスパイクタイヤかスノータイヤに替えてくれるようにお願いする。
  ところがこの車に着けていたスパイクタイヤは、もう無くなったというので新しいのを交渉してくれる。
  でも今日は工場が混んでいるので夕方でないと出来ないそうだ。
  夜まで待ってもとうとう連絡が来なかった。
  忙しかったのであろう。
  明日もまた慎重に運転しなければなるまい。
 今日はこの仕事を三カ月間貫徹した記念すべき日である。
  ひそかに乾杯したい。

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鶏の囲いが出来た(1989.11.29)

 昨日から二日がかりで、鶏舎の片隅に囲いを作った。
  Aさんのお話を聞いてから、毎日気になっていた事だから、さっぱりして乾杯でもしたい気分である。
  幅 3m 奥行 1.5m 高さ 1.8m、屋根の一部分を換気のため藁で覆い、全体にビニールを張って見るからに暖かそうである。
  入口は私がしゃがんでやっと入れる位だが、もう少し工夫しなければならないかもしれない。
  とにかく今日は雪がちらついて、明朝は氷点下になると言う予報だが、もう心配しなくてもよくなった。
 今日も発酵機は6時間運転してみたが、54℃しか温度が上がらなかった。
  5時間経って53℃であったから、この辺がこの機械と私のやり方の限界であろう。
  なんともやりきれない気持ちである。

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ドライクリーニング(1989.11.26)

 今日はE子さんの結婚式に出るので、9時には家へ帰らなければならない。
  少し早めにスタートする。
  よく晴れて素晴らしい星空だ。細い下弦の月が山の端に掛かって実に美しい。
  こんな景色はお目にかかったことがない。
  これも生ゴミ集めの役得かも・・
  山形地区は霜がひどく降りていた。
  容器を洗おうとしたが、水道が氷って水が出ない。
  用意していたトーチバーナーで暖めると、ちょろちょろと出始めた。
  しばらくこうしておけばやがて勢いよく出てくるにちがいないと思って、そのまま落合のゴミ集めに出掛ける。
  帰って見ると、蛇口は長いツララをたらして固く氷り着いていた。
  今日のように天気の良い日には、北に延びる谷の上の方から冷たい山風が吹き下ろして、この辺りが余計に冷えるようだ。
 さて容器を洗うのに水が使えないとなると、おが屑で汚れを拭き取るしか方法がない。
  時間は無くなるし気があせるばかり。
  次々に容器におが屑を入れて、ゴミも汁も吸い取るように擦るのである。
  水で洗うよりも少し時間が多くかかるし、あとにおが屑がまぶしたように残るのが困る。
  明日はこのおが屑を払って行かなければなるまい。
 水を使わない容器の洗い方、つまりドライクリーニングとでも言おうか。

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一つの試み(続2) (1989.11.24)

 今朝発酵資料を取り出す前に温度を計ってみた。
  棒温度計で60℃、デジタルで53℃あった。
  意外に温度が高いのは、発酵した資料を使ったためであろう。
  新しくおが屑を混ぜて、Z菌を振りかけて発酵させる場合は、これほど安定した発酵をしないようである。
  とにかく酒井先生のお手紙に書かれている50℃以上を確保出来たのだから、安心して鶏たちに食べさせられる。 

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一つの試み(続) (1989.11.23)

 昨日に引き続いて、今日も水分謝節に既に発酵した資料を混ぜた。
  この分ではZ菌が満遍なく行き渡っていることは間違いない。
  8:00少し前に火を入れて、12:00には53℃(酒井先生のお手紙のように、4時間で75℃にはなっていない)、もう暫らく様子を見ることにする。
 午後2時、温度は58℃、それを過ぎるとデジタルの数字は乱れてしまう。
  湿度の関係だろうか、分からないことだらけだ。
 はっきりしたことは、今までのようにZ菌を時々振り掛けても、内容物全体に満遍無く行き渡っていたことである。
 こうなるとやっぱり、ドラムを保温材で覆うかバーナーをもっと強力なものにするかしか無さそうである。無念である。

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一つの試み(1989.11.22)

  「発酵機に入れた物の水分が多すぎると、バーナーで加熱しても温度の上昇が緩慢で、しかも酸欠となりZ菌は十分働いてくれません。
  おが屑を多めにして夏で2.5~3時間、冬で3.5~4時間で内容物の温度が75℃位になるように工夫してみてください。
  鶏・豚の餌にする場合は75℃まで温度を上げた物を、ドラムの中に20~30時間おき、取り出した物はなるべく早く与えて下さい。
(取り出した時の資料の温度は50℃以上であることが望ましい)」
 発酵機で温度が上がらない事と、鶏があまり喜んで食べない事に対する酒井先生のご指導である。
  その外にドラムを保温することもあったが、これは操作上のことである。
 私はもう一つZ菌が満遍無く行き渡っていないのではないか、という心配もあった。
  幸か不幸か、今日はこの前から頼んでおいたおが屑が入らないので、既に発酵している資料を水分調節用に入れてみた。
  この実験結果をみてから次のことを考えよう。
 

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専門家から養鶏の話を聞く(1989.11.19)

  Sさんの周旋で養鶏を長らく経験したAさんに会う。
  Aさんは今ダム資料館で食堂を経営しておられるので、そこへおしかけていろいろ養鶏のお話を聞くことが出来た。
  いましがた私達の鶏を見てきたそうで「あれではとても卵を産むようになれない。風の吹きさらしで寒いから、鶏の体が寒さに耐えるために精一杯で、卵を産む力が出ないのだ。だからビニール等で囲いをしてもっと暖かくしてやらなければいけない。」と言う。
 納得のいく話である。
  さてはまた一つ課題が増えた。
 お話は、初めて鶏を飼う人にとってはひよこよりも廃鶏の方が飼いやすい事。
  廃鶏を飼う場合は最初三日ぐらい絶食させなければ、再び卵を産むようにならない事。
  だから次々に鶏の数を増やしていくのは良くない事。
  平飼いの場合一坪に30羽くらい放した方がよい事。
 など次々に展開し、知らなければいけない事が如何に多いか思い知らされる。
  いずれ改めて教えを請う約束をして帰る。

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酒井先生から懇切丁寧なご指導を頂く(1989.11.17)

 いろいろと質問の手紙を出してから、一カ月半ぶりにご指導の返事が届いた。
  私の手紙を拡大コピーして、質問の一つ一つに詳しい解説が書いていて、他に資料が八編もついている。
  これを読んで先ず思ったことは、発酵機のことなど十分研究しないで仕事にとりかかったという事である。
  資料に書いてある性能を発揮出来るのは、1500kg用の発酵機であって、それより小さいものは性能が劣るのだそうである。
 私が使っている発酵機は700kg用で、ドラムの直径が小さいから熱の散逸する割合が大きくなって、良い発酵が妨げられる。
  その欠点を補うためには、
   ①排気筒の入り口に板を差込んで排気量を調節し、温度を上げるようにする。
   ②厚さ2~3cmのグラスウールのようなものでドラムを覆う。
  グラスウールを止めるために、ビニールコーテングした金網を当てて、針金で締め付ける。
 なんと大変な手当てをしなければならないのだ。
 今日は差し当って、排気筒の入口を板で半分覆ってみた。
  然しそんなに温度は上がらない。
  3時間経って47℃にしかならない。
  なんとかして75℃まで上げてみたいと思って、5時間機械を運転し続けた。
  それでも53℃であった。
  この調子でいけば75℃になるには、後4時間かかる勘定になる。
  これでは効率が低すぎる。グラスウールで保温するしか方法がなさそうである。
 これまでは、生ゴミを発酵機に入れる前に、水分調節の具合をみるためにおが屑と混ぜ合わせていたが、その必要はないということである。
  それで今日からは、生ゴミを直接発酵機のロにあげて、その生ゴミに見合った星のおが屑を放り込み、ドラムを回転させ自然に混じり合わせるようにした。
  こうすると仕事が前より楽で、時間も短くてすむが、大きい容器は発酵機のロにつかえて不便である。
  機械の構造がスコップ等で横から投げ入れるように出来ているのだ。こんな機械をどんどん作り直していけるようだといいんだが‥・。
  骨等の破砕機も欲しいし、バーナーももっと効率のいいものがあればいいと思うだけである。
 

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マンネリズム (1989.11.13)

 生ゴミを集めてきて、おが屑を混ぜて水分調節し菌を振りかけて発酵機に放りこむ。
  その後は容器を洗って、鶏に水や野菜屑をやる。
  機械を運転する仕事と、発酵した飼料を機械から取り出す仕事が、一日おき交互に行なわれる。
 こんな仕事を長い間やっていると、何も考えることなしに体が次から次へと動いて行く。
  発酵飼料が少しくらい悪く出来ても、そんなに気にならなくなった。
  只黙々と堆肥を作ってるといった感じである。
 初めは三万円もする温度計を買って、酒井教授がお書きになった「エサを作ろう」という記事にたより、その都度温度を計って一喜一憂したものである。
 機械による発酵がうまくいかなくても、その後で堆肥は60℃以上に温度が上がって発酵を続けたし、K先生がいっも言ってるように、そう神経質になることはなかったと、今にして思うのである。
 結果が思うようにならなくて、酒井先生に教えをいただく便りも出した。
  どんなことを書いたかもう忘れてしまったが、ついに返事も頂けなかった。
  おそらく試行錯誤して体で覚えろというご教訓だったのだろう。
 今では同じパターンを繰り返し、工夫することもない。
  力は必要だが思考は不要だ。
  こんな状態をマンネリズムと言うのだろうか。
 新しく鶏を飼う考えもあって、K先生にカタログを取り寄せてもらったが、これ以上新しい事に挑戦するのはおっくうになった。

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配合飼料を与える (1989.11.03)

  11月3日鶏たちは、真新しい餌箱と床にばらまかれた餌をついばんでいる。
  店で売っている配合飼料である。
  発酵した生ゴミを持っていっても、いつものように集まって来ない。
  この間、発酵餌だけでは穀類が足りないのではないか、とK先生から電話があった。
  私はこれ以上金を掛けられないという考えもあったが、発酵餌だけでやってみたいと思っていたので、はっきりした返事をしなかった。
  おそらく昨日あたりK先生が見るに見兼ねて、餌箱を作り配合飼料を買って来て、鶏たちに与えてくれたものだろうから、この発酵餌よりうまくて食い易いに違いない。
  好意は大変有り難いけれども、ちょっとがっかりした。
  まあこれは廃鶏だから、好きなものを食わせて早く元気になってくれればいいようなものだが。
 それにしても、今朝また一羽死んでいる。
  急にうまい物を食べすぎたせいだろうか。
 鶏たちは同類が死んでも、全然気にならないようである。
  近くに寄って行って様子を窺うでもなく、かといって死体を避けて通るでもない。
  死体のまわりから平気で餌を拾うし、裸足でふみつけていく。
  恐ろしいとか悲しいとか感じないのであろう。

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