夜明け前   (1991年9月12日)

 四時半に起きたときはまだ暗くて、電灯をつけて支度をする。外へ出ると東の空は微かに明るくなって、夜明け前の荘厳な景色である。文章の巧い人ならどんな表現をするだろう。
 薄い翡翠の空にはひときわ明るい金星といくつかの星が夜の名残を止めている。山際はほんのりと赤く、手前の山並みや家々は紺碧のシルエットを描いている。南にはオリオンが次第に消えかけている。西の空はまだ暗い。

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近ごろ考えること   (1991年9月11日)

 毎朝4時半に起きて、生ゴミを集めて発酵機に詰め、ゴミバケツを洗い、鶏の世話をしたり、堆肥を積んだりして満2年経った。日数にして740日、ひょいと私のやってる事が何なのか考えることがある。
 ・仕事としては費用がかかりすぎて、作ったものが手間賃にもならないようで、我が社はとっくに倒産しているはず。そしてこれからも儲ける見通しが立たないとなると、仕事とは言えない。
 ・それでは生ゴミリサイクル運動かと言うと、それも全く進展が見られない。
 ・結局、私の趣味道楽に近いようだけど、それにしては周りの皆さんの協力援助に支えられている。
 世の為、人の為なんて考えていないから、自分のやっていることは説明のしょうがない。けれども、元を正せばSK先生のお話に啓発されて、堆肥作りをやってみたかった事と、良い堆肥を使った有機栽培のうまい野菜を食べたいという願いが強かっただけである。それが機械仕掛けで規模がなまじっか大きくなり過ぎたきらいがある。
 我が家庭菜園は60坪で猫の額程しかないが、化学肥料を断ち切ってからもう四年になる。そしてこの優秀な堆肥をふんだんに使っているのだから正真正銘の有機栽培である。
 この堆肥で作ったキュウリもナスもキャベツもササゲも、特別美味しく感じられるようになってきた。だから野菜はもう買って食べる気がしないのである。またこの野菜は健康にも良いようで、妻の場合野菜のせいかどうか分からないが、白内障が治ったり視力が回復したりと喜ばしいことが起こっている。これだけでも私のやっていることの目的は十分達していると思っているのである。
 毎戸からゴミを集めて歩くのは、労力・経費の面で極めて効率が悪い。この他に1000リットル位の大口があればよいのだが、今はそんなことを言っても仕方のないことだ。
 りんご園や水田の実験も後四、五年も続けてみなければ分からないことなので、今の状態でやっていく心算である。
 私のような事をやっている人は殆どいないようで、新潟鉄工では生ゴミを処理して出来た物について相談、ソデック社では新しく発酵機を設計する段階での相談にはるばるやってきた。ゴミ処理問題もこれからは行政でも企業でもやる気を出せば、いろいろと良い方法があって巧く出来るようになりそうである。
 日毎に増えるゴミの処理問題、農業の土を生き返らせる問題、安全でうまい野菜を普及させる問題等など、誰がどういう形で切り込んだら解決の方向へ進むのだろうか、あまりのんびりしてもおれないことのように思うのだが‥。

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シャモロックの試食と私の激励会   (1991年9月11日)

 鶏肉の食べ頃だという間に、私の仕事を物心両面から支えてくださっている皆さんに是非食べて頂きたくて、適当な機会を持ってくれるようお願いしていたのであるが、今晩それが実現した。
  会費5000円は一寸気の毒だが、良い鳥肉は優れた板前に調理してもらって、おいしく食べようという気持ちからである。30分ばかり私のつまらない話を聞いてもらってから、富士見館得意の料理を味わい、それから次々と鶏の料理が出てくる。
 鶏わさ・唐揚げ・焼き鳥・酒蒸しと続いてでる。味は鶏そのものの味がして、一般に出回っているブロイラーとは比べものにならない旨さである。私のてまえもあってか、皆さんが喜んで食べてくれたようである。
 鍋物が出ないのが一寸残念であったが、これ以上は賞味するのは無理なほど腹一杯になった。食物を楽しむ席は、酒の話しが面白い。菊乃井の社長が持ってきてくれた純米酒の話や、ビール・ウオツカ等など酒の話しが続いた。
 私のやっていることを味を通して分かってもらえた感じである。

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鶏の塩蒸しを習う   (1991年9月5日)

 厚目内のKMさんが鶏の塩蒸しを教えてくれるというので、沖揚平のKSさんに場所を貸してくれるようにお願いしていた。今朝シャモロックとロードを一羽ずつしめて、午後KMさんから預かっていた練炭コンロと蒸し鍋等を積んで出掛ける。
 二時頃から実習に入る。蒸し鍋に塩を敷いて、布に内臓を取った鶏を包んでのせる。その上にまた塩をたっぷり掛ける。火のおこったコンロにかけて二時間、取り出してみると肉が骨から離れてばらばらになって出てくる。指でつまんで食べてみると、微かに塩味がして柔かで鶏の旨味が何とも言えない美味しさである。これなら薫製の匂いが嫌いな人でも大丈夫食べられる。
 鍋にロードをセットして山を下りる。途中車の荷台の上で、コンロの通気孔が閉まっていたのを知らなかった。二時間経って取り出してみると、鶏は元の姿のままだった。火力が弱くて、骨と肉がばらばらに解れるほどよく蒸れなかったためであろう。初めての物には余り手を出さない母も妻も、旨いものだと言うところをみると、誰でも喜んで食べてくれそうである。
 燻製だと一週間もかかるが、すぐ食べる時はこれに限る。早速コンロを買って、鍋を探してみることにする。
 
 5月24日に30日雛で入れたノーリンクロスが卵を産み始めた。沖揚平でも二三日前から産み始めたそうである。何れ新旧交替で、古鶏は淘汰しなければならないが、白レグのような3・4年暮らした鶏でも塩蒸しにしたら食えるだろうか、試してみなければならない。

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視察に振り回される   (1991年9月4日)

 ソデックのYTさんからといって、今日視察に来ることを度々電話連絡頂いていたのであるが、何人来るのか何時に着くのか具体的な目的については聞いてなかった。ただONさんも一緒に見えるというから、なんとか訪ねて来れると思っていたのである。
 今日はトラックを車検整備に入れる約束があったので、少し早めに作業場を引き上げてきたのであるが、「お客さんを乗せて今黒石に向かっているが、どう行ったらいいのか道を教えてください。」と弘前のタクシー会社からの電話である。家は分かりにくいから、黒石中学校の前に降ろして下さい、と言って妻をそこに迎えにやって、私はトラックを整備会社へ納めに行った。
  10時半に帰ってみると、客人は若い方三人である。キャラクター・エンジニアリングの社長と専務、それに北越という会社の技術者らしい人である。何れも富山の会社であるが、昨日横浜のソデック社に呼ばれて、そこから急遽電車でこちらへ来たと言う。用件は車に積んだ生ゴミ発酵機を作れというソデック社からの要請であるが、使用している実際を見たいということである。この辺でやっと視察の概要が分かってきたので、これからの動きを尋ねてみると、依頼者であるソデックのお偉方が来る前に発酵機についてある程度知っておきたいというのである。
 早速作業場へ案内して、発酵機の運転や堆肥の作り方について説明をする。生ゴミの量や発酵させる時間等を考えると、車に積んだ発酵機の使い道は余り一般的でないようだし、生ゴミに入ってくるナイフやフォークやビニール等の選別と破砕器の取り付け方等新しい問題も出てきたようである。長い時間作業場で技術者同士の話し合いに加わって、昼ごろ引き上げてくる。家でそばを食べて、りんご試験場の参観デーを一回りして来る。
 ソデック社の面々は飛行機で来るので、二時頃には着くだろうと思っていたら、今食事をしてそちらへ向かうという横田さんからの電話である。それでは黒石中学校の門の所へ来てください、といってまた妻を迎えに出てもらった。すると入違いにハイヤーが来た。
 見ると黒石タクシーである。黒石タクシーなら家を知っているのに、私の聞き方も足りないけれども、何とも連絡の不十分な事に腹が立ってきた。先着のお客さんが気をきかして待ち惚けの妻を迎えに行ってくれる。五人といっていたお客が四人しか来ない、もう一人は遅れてくるのだという。それにしてもソデックの社長や付き人、ON氏等急に七人も座ってもらう所も準備していないもんで、全く冷や汗ものである。
 すぐ作業場へ案内し、先客は四時頃弘前へ送る。遅れてきた一人は、少し大へいで夕方作業場へ案内して、そのまま大鰐の錦水ホテルまで送り届ける結果になった。これから訪問客もそんなにあるわけもないが、余り親切にしすぎるのも考えものだと妻と話している。

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生ゴミリサイクル運動二周年記念日  (1991年9月1日)

 生ゴミを集めて堆肥を作る活動も、一日も休まずに続けて二年経った。冬の雪との戦いは格別のものであるが、あとは何の苦もなく体が自然に動いていく感じである。
 発酵機の操作も二年がかりでやっと満足に出来るようになったし、堆肥の積み方も自分なりにやっている。鶏もこの発酵飼料を与えればすごく健康になることが分かったし、この堆肥で作った野菜は特にうまいということも自分では実証出来た。
 りんご園はやはりあと三年くらい経過をみなければ何とも言えない。水田も自分の手でやってみたいのだが、とても手が回りそうにない。
 とにかく生ゴミを資源として、土をよみがえらせることは、どうしてもやらねばならないことのように思われる。行政はなかなか腰を上げないけれども、二人の開拓の創始者が私のやっている事に関心を持ってくれたり、よそから視察に来たりするので、いくらか工夫をする機会が必要である。
  養鶏もこれから先どう経営したらいいものか分からないし、仕事の内容もこのままの状況で推移していくだろう。
 今日は生ゴミを提供してくれている所に、感謝の手紙をゴミ容器にくっつけて差し上げた。

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婿に選ばれた雄鶏  (1991年8月30日)

 厚目内のKMさんが退院して、作業場に顔を見せてくれた。もっとお話を聞いてみないと分からないが、KMさんは厚目内開拓の第一人者で、沖揚平のKSさんと好対称の方であるようだ。
 私の俄仕事をこんな農業の大家に見られるのはそら恐ろしい。堆肥にしたって養鶏にしたって何十年も苦労してこられて、一目見ればみんな分かるようである。
 ところがこの農業の大家が私の堆肥や鶏を見て感心してくれるのだから嬉しくなる。勿論ずぶの素人にしては少しましなことをやっているという気持ちもあろうけど‥。
 ともあれ私のやっていることに、二人の開拓者の元祖が関心を持ってくれることは、それなりの訳がありそうである。
 KMさんには雄鶏を差し上げる約束をしてあったので、早速選んでもらう。選ばれた雄鶏は体も他の鶏より大きめで、一際目立っていた。
 みんなの前にたちはだかって私に飛びかかってくる親分の鶏であった。彼が婿に行ったら、あとは誰がボスになるのだろう。
 木村さんは暫く、鶏の話・堆肥の話・農業の話をしていった。さすが開拓実践者である。今の若い者達もこうした人の話をよく聞いて、農業の進め方を考え直す必要がありそうである。

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シャモロックを試食してもらう  (1991年8月25日)

 5月24日に入れたシャモロック29羽は4月20日生まれだから、4カ月経ってちょうど食い頃なはずである。
 5カ月になって固くならない内に、試食してもらいたいと思って22日に4羽出したら、沖揚平のKSさんからは「今までの鶏とは全く違う美味しい肉だ。」という電話を頂いた。
 今日はNW旅館の主人が仲間を集めて試食会をするというので、4羽しめて届けておいた。生き物の殺生は決して気持ちの良いものではないけど、これはどうしても私がやらねばならない。この先どうしようかと億劫である。

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りんご園草刈り  (1991年8月24日)

 お盆も過ぎて大分涼しくなったので、また草刈りを始めることにする。先日給油所へ行って草刈り機用の混合油を10リットル貰ってきたから、何時までも怠けている訳にいかないのだ。
 昼少し日差しが強かったから、2時過ぎに出掛ける。私の担当しているりんご園は周りのりんご園に比べるとやたらに草の伸びが良い。生えている草の種類も他と違うようである。
 タンポポやギシギシは刈り込んだ茎に柔らかな若い葉が茂っている。ハコベが増えて草刈り機の刃に絡み着き機械を止める回数が増えた。新手の草はミゾソバで、これがまた大変刈りにくいのである。
 茎がたくさん枝分かれしていて、茎の所々から根が出ているからきれいに刈り取る事が難しい。こんな訳でもたもたしている内に5時半になってしまった。おそらくこれが今年最後の草刈りになるだろうけど、思ったよりも手間取るようである。

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最近のゴミ事情  (1991年8月17日)

 ねぶたからお盆にかけて、旅館街は泊まり客が多くてゴミの量が多い。こうなるとゴミを出す方も水切りが不十分になったり、ビニール等の異物を仕分けするのがいくらか粗末になるのは止むをえない。
  時節柄、西瓜やメロンが多くて、発酵機からだらだらと水が漏ってくる。トウモロコシの芯等は堆肥に馴染まないで何時までもごろごろと残るから、時々片付けて熟成槽に積んでやらねばならない。
  二日に一回の運転が少し続いて、堆肥宿も鶏舎の床も目立って高くなった感じである。
 先日KM先生が学校で使わなくなった整理棚を運んできてくれたのであるが、私一人ではとても動かせなくて、ついでの折りに応援してくれるようお願いしていた。
 今朝、国語部会の帰りとかで、同僚の方を伴って作業場に寄らてくれて、整理棚を据え付けてくれた。

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冷害が心配  (1991年8月7日)

 近くの農民がやってきて、今年は雨ばかり降って日照が少ないから、メロンも稲も具合が悪いと言う,西瓜やメロンは雨でふくらんではいるが、よく熟していないらしい。美味しくないために、生ゴミに入ってくるものは皮ばかりでなく実も一緒である。
  稲は今、穂が出てきたところだが、こんなに雨が続いたら実りが悪かろうし、病気も心配しなければいけない。やはり夏はうだるように暑いほうが良いようである。

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鶏好きの新手が訪ねてくる  (1991年8月6日)

 先日温湯のYMさんが厚目内のKMさんを連れてきた。KMさんも大変な鶏好きで、たくさんの鶏を飼っているそうであるが、近いうちに入院するので鶏を山田さんのところへ預かってもらうために運んで来たのだという。
 この人はオーバンが好きで長い間飼ったという話をしていた。私のロードを見て、目を輝かして「こんなロードの雄が欲しかったのだ」という。私のロードは羽毛の色艶はいいし、赤いとさかも見事で素晴らしい鶏だとこの前来た老人も言っていた。
 「体が良くなって退院したら、このロードの雄をあげるから早く病気を治すようにしてください。」と言ったら、喜んで帰っていった。
 今朝は青荷沢のSWさんという方が訪ねて見えた。前に二、三度来たけれども会えなかったそうである。この人は雛をかえす有性卵が欲しいのだそうである。
 雄を手に入れたけれども逃げていなくなってしまったらしい。ロードの卵が三つしかなかったので、白レグの白い卵を7個入れて全部で10個持って喜んで帰って行った。誰から聞いて来たのだろうか、こうした鶏の好きな仲間は別に呼び掛けなくても次々に集まってくる。
 味鶏の名所は、この人たちに活躍してもらえば案外簡単に出来るかも知れない。
 ねぶたの期間中は、ここの旅館街も大分混んでいて生ゴミがトラックに積みきれない位多く出る。おかげで何回かは二日に一回発酵機を運転出来た。鶏餌も市販のものをいくらか食い延ばす事が出来て助かっている。

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